テスト

1世紀

1世紀 2000年前の漢の時代 貴州省の赤水は名酒の地として知られていた。漢の時は船で塩を下ろし酒を積んで帰っていった

赤水河2
赤水

1世紀初頭 花山壁画 花山岩画 広西チワン族

茶色い崖の壁には赤い塗料で2000年前の壁画が描かれている 

壁画はチワン族の祖先が書いたもの 壁画の数は1800以上 獅子舞の代わりに猿が舞う

花山壁画

1世紀(57年) 光武帝陵は儒教を重んじた漢の皇帝 光武帝のお墓

光武帝陵

1世紀(68年) インドから仏教を伝えに(摂摩騰しょうまとう)別名 迦葉摩騰(かしょうまとう)中国河南省へやって来る 当時 中国では儒教が主な宗教であったが その後 仏教は儒教と対立することなく取り組まれていった

1世紀 ブッタの誕生やら約500年後 インドから後漢(中国)に仏教が伝わる 

1世紀 インドから中国へ仏教を伝えた人物 摂摩騰(しょうまとう)が亡くなり墓が建てられた(中国 河南省)

摂摩騰しょうまとう (2)
摂摩騰しょうまとう (1)
摂摩騰しょうまとうの墓

1世紀 中国は長安(西安)を首都とする漢の時代 西域南路(ウイグル南部)にはホータン王国があった

50年 一度復活した雲南ムアンペーガイ(ラーオ族)は後漢によって再び滅ぼされる。以降 ラーオ族は600~700年以上 歴史から姿を消す。

91年 後漢は鄯善国(ウイグルの南=西域)やホータン カシュガル クチャなどの都市へ出向き忠誠を誓わせた

当時西域ではローマとの貿易が盛んにおこなわれていた。

98年

北匈奴(本体)は南匈奴(分裂)と後漢の攻撃を たびたび受け滅亡する

北匈奴の人々は西方(中央アジア)の方へ逃げていった。

北匈奴滅亡後 南匈奴も力が弱まり 変わって鮮卑(せんぴ)がモンゴル高原一帯を統治する

鮮卑は のちに中国で北魏を立ち上げる民族

2世紀

2世紀 三国時代 諸葛孔明が活躍し 蜀(しょく)が栄える (中国 成都)

諸葛孔明(秀才)

134年 2世紀 蜀の時代 秦の始皇帝 暗殺未遂の壁画のある石窟が作られる (中国 四川省)

秦の始皇帝 暗殺未遂の絵

184年

後漢時代 道教の一派 太平道が起こした黄巾の乱(反乱)を切っ掛けに三国時代が始まる

2世紀(180年ごろ) 中国全土が内戦状態となった 三国志時代(180年頃 – 280年頃) 人々は平和を願い 仏教を信仰する人が増えた

3世紀

3世紀 中国で七夕を祝う習慣が始まる※七夕は のちの時代中国では衰退する 

日本で行われている七夕祭りの様子

3世紀初頭(208年) 中国 湖北省 三国志時代 赤壁の戦いが行われる

北の曹操が大量の船で攻めてきたとき南の劉備と孫権の連合軍が火をもって奇襲攻撃をした その時の壁は今でも残っている

(三国志の時代 赤壁の戦いが行われた場所) 赤壁博物館 曹公し 曹操将軍の人形が展示

3世紀(220年) 中国 後漢末期(三国志時代)の将軍 曹操が 同じく後漢末期の将軍 関羽を倒す 曹操は関羽の祟りを恐れ洛陽に関羽の お墓を建てた

漢昭烈廟 関羽
関羽墓

222年 長江下流の南京で 孫権(そんけん=初代皇帝)が呉王朝を立ち上げる

3~9世紀にかけてウイグルのクチャでキジル石窟が彫られた 全236~339か所の石窟 

キジル石窟

265年

司馬炎が呉を滅ぼし三国時代を終わらせる 中国に100年ぶりの統一王朝が誕生する

司馬炎

4世紀

4世紀以降

海チベットに吐谷渾が誕生 吐谷渾は のちに北魏や隋の属

329年

扶南国(カンボジア)とチャンパ王国(南ベトナム)は中国王朝に貢物をしながら中国文化を受け入れながらも ヒンドゥー文化を取り入れていった。

335年 くまらじゅが生まれる11年前 キジ国は漢族の軍に焼かれた

46年後 くまらじゅが35歳になったころキジ国はやっと復興した。しかしその後長安(西安)から7万の軍勢がやってきて

4世紀の戦国時代 漢族も騎馬民族も分裂し争いを続ける ついにくまらじゅのおじにあたるキジ国の国王も捕まる
ぜんしん(国)が攻めてきて キジ国の国王は殺される 413年 69歳でくまらじゅもなくなる 日本に仏教が伝わったのはそれから120年もあとの事 

くまらじゅ
くまらじゅ2
このタコのようにひょろっとした人物こそあの偉大な鳩摩羅什くまらじゅうおしょうです。

336年 敦煌 莫高窟で石窟作りが始まる 

南北1.6キロ 全745窟からなる石窟は4世紀から14世紀にかけ 約1000年かけて造られた  その多くは唐の時代に作られた

完成当時の壁画は漆(うるし)と金粉が塗られていた

莫高窟 南区 
莫高窟 正面 九層の寺院
莫高窟 194窟 唐美人
敦煌 莫高窟のインド風の石像

386年 南北朝時代 中国北部に北魏が誕生する

北魏は山西省 大同に都を構える

北京や大同周辺の地図

 中国甘粛省に炳霊寺石窟が彫られ始める 石窟は4世紀(北魏の時代)から清代まで1400年かけて造られた

石窟は現在 ダムの下にあるため1年に1か月しか見ることができない

炳霊寺石窟2
炳霊寺石窟

5世紀

5世紀の戦国時代 漢族も騎馬民族も分裂し争いを続ける 

5世紀 北魏の時代 中国3大石窟の一つ雲岡石窟が山西省の大同に作られる

雲岡石窟2
雲岡石窟

5~6世紀 北魏の時代 中国 甘粛省の天水に麦積山ばくせきざん石窟が彫り始められる

高さ142メートル 全192窟  廬舎那仏るしゃなぶつ などの石窟を1300年以上の月日をかけ彫られた

麦積山とは麦を積み重ねた形に似ているからその名がついた

麦積山ばくせきざん石窟5
麦積山ばくせきざん石窟4
麦積山ばくせきざん石窟3

同じころ 甘粛省に天梯山石窟も造られ始めた

天梯山石窟4

420年

中国南部 南京に宋(1回目)が誕生する。宋は のちの南朝となる

439年

北魏が華北(中国北部)を統一したことで五胡十六国時代が終わる

439年~589年

中国南北朝時代(北魏と宋) 北魏が華北統一してから隋が中国再統一を済むまでの150年間

南北朝時代

5世紀(477年) 河南省に少林寺が建てられる

少林寺はインドから中国に渡来した達磨(だるま=インド人の僧侶)による禅の発祥の地と伝えられている ※少林寺でカンフー(武術)が始まるのは約200年後の 7世紀以降※

少林寺 塔林
達磨洞
インド人僧 達磨(だるま)大使 (2)

5世紀(493年) 北魏は都を洛陽に移し竜門石窟を作り出す 石窟は完成するまでに400年以上かかった

龍門石窟2
龍門石窟

<目次>
1 紀元前(秦の始皇帝他)
2 1~5世紀(三国志や北魏の時代)
3 6世紀と7世紀(唐のシルクロード時代)
4 8~12世紀(唐や吐蕃の全盛期)
5 13~15世紀(モンゴル帝国時代)
6 16~18世紀(明や清の時代)
7 19世紀(欧米列強に圧迫を受ける苦難の時代)
8 20世紀(前半)辛亥革命と王朝崩壊
9 20世紀(後半)~現代 中華人民共和国