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基本情報

ニュージーランドの右上 島民の人口1624人(2018) 

世界一人口の少ない国はイタリア半島の中にあるバチカン国だがニウエはその次(又は次の次)に人口の少ない国

ニュージーランドに出稼ぎに行く人が多く ニュージーランドには2万2千人のニウエ人が住んでいる

ニュージーランドからニウエに週一で飛行機が飛んでいる さらにニウエ国民はニュージーランド国籍をもっている 

島の大きさは淡路島の半分ほどで 世界で9番目に小さい国 エリザベス2世を君主とする立憲君主制 

ニウエがある場所
ニウエ国旗

日本との時差は20時間 一応国ではあるが日本はニウエを国として認めていない 

国として認めているのは中国とインドのみ 2009年 中国が世界で初めてニウエと国交を結んだ

世界最大のサンゴの島 季節は雨季と乾季の2種類 島にはサモア系とポリネシア系の住民が住んでいる

島民はキリスト教徒がほとんどで 近年 モルモン教も増えつつある

農業が盛んだが土地が悪く 農作物が育ちにくい ビーチが少なく観光業にも向いていない そのため出稼ぎが主な収入源となっている

インターネットで国ごとに分けられている ニウエのドメインは高値で取引された

ニウエ
ニウエ島

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ー歴史ー 

島民の先祖は紀元前25世紀 台湾から太平洋に割ったた人々

または 紀元前10世紀 サモアに到達したラピタ人(モンゴロイド)が起源だとされている※フィジーやバヌアツも同じ

ただ1771年に西洋人が はじめて島に到達するまでの記録は残っていない

1774年 イギリス人クック船長がニウエを発見している 船長はその時 島民から攻撃を受けたため

その後 島は(サウベジ)野蛮人と言う地名が付けられた 

1830年 宣教師が布教活動のために島を訪れるが 布教に失敗する

そのときインフルエンザの病原菌を島に持ち込んだため 多くの人が亡くなり 島民は激減した。

その後 サモアからニウエにキリスト教が伝わる

サモア人が布教に訪れたころ スペインも南米ペルーで働いてもらう行員を集めるためニウエに上陸する

スペインの船は島民 100人ほどを連れ去っていった

サモアとニウエの衝突が起こり そこへアメリカ ドイツ イギリスが介入する 争いは1899年に収束する

が その後もドイツやイギリスが訪れ 島の領土争いを行う

ニウエの王様はイギリスのエリザベスに助けを求めたが そのことがきっかけで島はイギリスの領土となってしまう

1901年 当時 イギリスはニュージーランドも支配していた ニウエは そのニュージーランドの保護国となった

ニウエ人
ニウエの島民