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富岡製糸所(群馬)前回までのあらすじ

富岡製糸所(群馬)14 100年以上先の未来を見据えて建築法!! 

さあいよいよ富岡製糸所の本体工場の中核施設でもある繰糸場(そうしじょう=糸をつむぐ場所)へと進みます。その繰糸場は東まゆ倉庫のずっと向こうの一番端にありました。
その繰糸場の大きさは東まゆ倉庫の大きさを遥かにしのぐ なんと長さ140メートルもありました。高さと幅はそれぞれ12メートルでした。もちろん世界最大規模の繰糸場となります。

この建物も瓦屋根に木造柱(骨組み)の赤煉瓦の壁で出来てました。そして平屋建ての三角屋根の上にはさらに小さな屋根が幾つも付いていました。
その小さな屋根は室内の通気を良くする換気用の小屋根でした。日本の伝統的な養蚕(ようさん)農家の屋根の造りだそうです。

そしていよいよ繰糸場の中に潜入します。するとそこにはジャンボジェット機が収納出来そうなほどの広大な空間に柱が一本も立ってない事に驚きます。
これだけ大きな建物の天井を支えるには西洋の建築技術が必要となりました。そこで採用されたのがトラス構造と言う建築方法でした。

その方法とは天井に組まれた大小様々な三角形の骨組みにありました。その三角形が幾つも重なる事で強度が増し柱が少なくても重い天井を支える事が可能となってました。
またそのトラス構造はその後 日本の工場や学校そして倉庫などの建築に採用されて行きます。

日本ではその後 近代化が進むにつれ工業用機械も大型化していく傾向にありました。
その場合どうしてもそれまでの工場には収まり切らず一旦 建物を取り壊したのち新たに立て直すのが一般的です。

ところが富岡製糸場はその後 何度か会社や経営者が変わりますが ただ建物だけは取り壊されることなく保存されて行きました。
それも全て建設当時の100年以上先の未来を見据えて造られた結果だと言えるでしょう

繰糸場の屋根の上の小屋根は換気をよくするため
繰糸場の内部のトラス構造の骨組みで建てられた天井
錦絵に描かれた工場の中(白い天井が青色に?)

ーーーーーこのあと開業当時に使われていた糸をつむぐ機械についてです。 

富岡製糸所(群馬) 15 大昔の糸をつむぐ機械!! 

富岡製糸場の女工からの手紙に工場内には風を通さず外部からの光だけを通す透明で不思議な板がありましたと書かれてました。
要するに窓にはめられたガラス板の事ですがその女工にとっては生まれて初めて見るガラスだったそうです。しかし約140年前 日本にまだガラスがなかった事に驚きました。

富岡製糸場の心臓部でもある繰糸場(そうしじょう=糸をつむぐ工場)の内部ではガラスだけでなく照明もありませんでした。
そのため室内に多くの窓が取り付けられ自然光をふんだんに取り入れる事にしました。その建設に当たって大量のガラスが海を渡って富岡製糸場に運ばれました。

さらに繰糸場は太陽光を最も浴び易いよう南側に建てられました。また自然光に照らされながらの作業のため就業時間も季節によって違ったそうです。

繰糸場の中は今 昭和40年代以降に設置された自動 繰糸器(そうしき)が設置されていますが開業当時はフランスから輸入された繰糸器がなんと300台も設置されたそうです。

東まゆ倉庫一階の展示室では なんと創業当時(約140年前)に使われていた繰糸器(糸をつむぐ機械※復元)を実際に触れることが出来きます。
鉄製の風呂桶の中にまゆを入れ煮込みます。そして柔らかくなったところで髪の毛のよりも細い糸を紡(つむ)いでいきます。

その長さは一つの まゆからスカイツリーの2倍以上の長さ なんと1300メートルも取れるそうです。またその糸をつむぐ実演は毎週水曜日 午前と午後に一回ずつ行われているそうです。 
そしてその繰糸器は たったの2台しか残ってない非常に貴重な機械となってます。創業当時はその機械を操作する300人の女工さんが働いていたそうです。

さらに工場設立以前(140年以上前)に使われていた江戸時代の道具まで展示されていました。手で自転車のペダルをこぐ事により糸が巻き付けられて行きます。
こちらも展示室内で毎週一回のみ実演が行われていました。

江戸時代から使われていた繰糸器
約140年前 創業当時に使われていたフランス製の繰糸器
この中でまゆを煮てからほぐしていた

ーーーーーこのあとフランス製の蒸気エンジンが稼働し300台の機械が一斉に動き出します。 
つづきは後日公開します…