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ロシアの歴史

紀元前1世紀 (ロシア シベリア極東)

紀元前37年より前にロシア極東の一部 北朝鮮全土 韓国北部の領土を統治する 高句麗と言う国ができる 

高句麗は中国王朝の唐や髄から たびたび攻撃を受けるが800年近く続く 長寿国家だった

高句麗鍛冶屋村(韓国)

4~6世紀 (ロシア ウクライナ) 

ロシア人の起源はウクライナにあり そのウクライナ人の祖先となる東スラブ人が4世紀頃ウクライナに やって来る  

スラブ人はウクライナ ベラルーシやロシアと同じ民族

スラブ人

紀元9世紀(ロシア ウクライナ)
 

862年 北欧バイキングがウクライナにやって来る 当時ルーシと呼ばれていた人々 は のちにキエフルーシとなる

北欧 バイキング

882年 ウクライナあたりでロシアの語源となるルーシことキエフ大公国ができる

ノルマンからバイキング出身のリューリックと言う強い人物が初代キエフ公となる

リューリック

10世紀 (ロシア ウクライナ)
 

 キエフルーシ キエフ公国は 東ローマ帝国 ビザンツ皇帝の妹を妃に迎え入れる
そこでキエフ公国にギリシャ正教が取り入れられる 文化的にビザンツ化(ギリシャ化)される

そのことが その後のロシアとロシア周辺国の文化にも影響してくる キエフは政治 経済 文化の面でおおいに栄える

988年 キエフ大公国はキリスト東方正教会を国教に定め スラブ語を書き表すのにキリル文字を使用するようになる

キリル文字

12世紀 (ロシア ウクライナ バルト3国)
 

キエフ公国は 王族の兄弟や親族が それぞれ分割して統治していた 次第に王族たちの意見の違いから国が分裂していくことになる

12世紀初頭にはキエフ公国は10~12個の国に分裂する その中には のちのロシアとなるモスクワ公国も含まれている

1136年 今のバルト3国辺りにノヴゴロド(ロシア北部)と言う国を立ち上げる 

ノヴゴロド国の城

1157年 ウラジミール大公国が出来る

クレムリン(ロシア ノヴゴロド)
ウラジミール聖公像(ロシア)

13世紀 (ロシア ウクライナ バルト3国)
 

13世紀 1223年 にモンゴル帝国(タタール人も)がヨーロッパまで攻めて来る 

タタール人

1238年 チンギスハーンの孫 バトゥ率いるモンゴル軍がロシア東北部のウラジミール大公国を攻め落とす

1240年 ドイツ騎士団(キリスト武装集団)がノヴゴロドのあたりを2度ほど攻める

ドイツ騎士団はバルト3国のラトビアとエストニアを支配し それらドイツ人の多くは商売で成功し のちにバルトドイツ人となる

またリトアニアはドイツ騎士団との戦いに勝利し支配を免れる

ドイツ騎士団

1243年 チンギスハーンの孫バトゥは南ロシアにキプチャクハン国と言うモンゴル帝国(本体)とは別の政権を立ち上げる 

キプチャクハン国はウクライナからカザフスタンに渡る広大な領土からなる 

それに伴い 約600年続いたキエフ公国も滅亡することになる

キプチャクハン国の支配地域 地図

ルーシ(ロシア)の国々はノヴゴロド国(ロシア北部とバルト三国)を除く すべての国がキプチャクハン国(モンゴル)の支配下に置かれた

その後 ノヴゴロド国(バルト三国)もキプチャクハン国の支配下に置かれる

ルーシ(主にロシア人)は納税や従軍の義務を負わされた

14世紀 (ロシア ヨーロッパ)

モスクワ公国はモンゴル キプチャク・ハン国の支配下で着実に力をつけていった。

1380年にはクリコヴォの戦いでキプチャク・ハン国に反旗を翻すも失敗しモンゴル支配からの脱却には至らなかった

クリコヴォの戦い

15世紀 (ロシア ヨーロッパ)

15世紀末 モスクワ公国 イヴァン3世はモンゴル支配から脱却しの自国の領土を4倍に広げた

またイヴァン3世は東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚し自らの地位を高めた。

イヴァン3世

16世紀 (ロシア ヨーロッパ)

16世紀 1533年に生まれた モスクワ公国 イワン4世はロシアで最初の議会を創設する

  イワン4世は優れた人物で近代ロシアの基礎を築いたイワン大帝と呼ばれた

が 一族のものを次々と殺す豪君でもあったイバン4世は皇太子までも殺害した

イヴァン4世

イバン4世率いるモスクワ大公国は中央政権を固め多民族の大国家ロシアへと変貌を遂げつつあった が しかし

1558年に始まったリヴォニア戦争(モスクワ リトアニア戦争)は25年も続き 結果イヴァン4世率いるモスクワ大公国は敗北し国家の衰退を招いた。

リヴォニア戦争

17世紀 (ロシア ヨーロッパ)

17~18世紀にかけてスウェーデンはロシアやデンマークと激しい領土争奪を繰り広げる

17世紀 ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年) ロシアの内戦にポーランド リトアニアが介入して発生した戦争

モスクワ公国はポーランドに大敗を期しモスクワはポーランドに占領される

ロシア・ポーランド戦争

1612年 ドミトリボジャルスキー国民軍がモスクワに侵攻しポーランド軍を撤退させる

1613年 ロシアの混乱期 ロシアの大貴族からミハイルルマノフが皇帝に昇進しロマノフ王朝が始まる

ロマノフ朝の歴代皇帝の名は3000ある候補の中から選ばれるが大体同じ名前が多い

ミハイル ロマノフ
2頭のワシはロマノフ王朝のシンボル

17世紀(1654年~1667年) 12年~13年間 長期にわたるロシア ポーランド戦争が起こる
ベラルーシの人口は100万単位で激減する 虐殺が行われた可能性が高いとされている

1667年 ロシア ロマノフ朝とポーランドの戦いの結果  ドニエプル川の東側とキエフは帝政ロシアの領土となる 一方 西側はポーランド領となる

ちょうど今のウクライナを半分に分けたような形となる  ただクルミア半島だけはオスマン帝国が支配していた 

ウクライナ 地図

当時のロシア皇帝 ピョードルは黒海を占領 悲願であった凍らない港を手に入れる

大地主が農民を奴隷のように扱う時代が長く続く そして たびたび反乱がおこるが どれも失敗する

当時は今よりももっとロシアは西ヨーロッパより遅れていた

17世紀末 ピョードルは首都サンクトペテルブルクを建設し、そこを帝都とした

ロシア皇帝 ピョードル一世が それまで弱かった 海軍を強化

ピョードル一世

ロシアを発展に導いたピョードル皇帝の評価は高い 一方 家族とは敵対し 何度も家族に殺されそうになっている

ピョードルもまた家族を処刑している 妻エカテリーナの浮気相手の男はエカテリーナの目の前で処刑された

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<目次>
1 基本情報とロシア料理

(歴史1) 4世紀キエフ時代から17世紀のロマノフ朝ピョードルまで

(歴史2) 18世紀のロマノフ王朝ロシア時代

(歴史3) 19世紀のロマノフ朝ロシアとクリミア戦争まで

(歴史4) 19世紀末~20世紀 ロシア革命とロシア内戦まで 

(歴史5) 20世紀 ソ連邦の誕生と第2次世界大戦まで

(歴史6) 20世紀と21世紀 ソ連邦崩壊から現在まで