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横浜中華街(神奈川) の記事一覧 

横浜中華街(神奈川)8 日本と中国の全く違った2種類の天津飯!! 

前回の春節(旧正月)では最後の最後に大量の爆竹が大爆発し中華系(中国人と華僑)の人が大喜びしたところで お祭りは めでたく終了となりました。

ところで大爆発と言ったら2015年の夏に中国の天津(※北京の隣の大都市)で起こったあの大惨事を思い出す人も多いと思います。
その大爆発の衝撃は すさまじく事故後の現場は まるで隕石が衝突したかのように大きく地面がえぐり取られてしまいました。

さて それはされおき天津と言って多くの日本人が思い浮かべるのは やはり天津飯でしょう ところがその天津飯の発祥は中国の天津ではありませんでした。

10年位前の事になりますが 僕は神戸から上海(中国)へ向かう船に乗ってました。そこで船内のレストランで天津飯を注文しました。
そのときは当然ご飯の上にオムレツ(卵焼き)の乗ったあの甘酸っぱい醤油ダレが掛かった普通の天津飯が出てくる物だと思ってました。

しかしその店の天津飯は日本の中華にはない〃あっ〃と驚く物でした。しばらくすると暖かい天津飯が〃ふわっ~〃と優しい湯気を立てながら運ばれてきました。
早速 僕はスプーンを手に〃いただきま~す〃と一口パクリとやったら すぐその異変に気づきました。

そこには卵の味は一切なく代わりに〃もっちり〃とした もち米ご飯に〃とろり~〃とした甘いあんみつの味が口の中一杯に広がりました。なんと それは甘いデザートでした。
その意表を突く攻撃に僕は開いた口が塞(ふさ)がらずあ.あ..あご(顎)が外れそうになりました。どうやら本場中国では天津飯と言ったらその甘いデザートが一般的のようでした。

一方 麻婆豆腐や青椒肉丝(チンジャオロース)さらには回鍋肉(ホイコーロー)は本場中国でも定番のメニューとなってます。ただ本場の味付けは少々辛口になってます。

お馴染みの天津飯 発祥は中国の天津(北京の隣の大きな都市)ではありませんでした。
中国本土で食べられている天津~と言う甘いデザート
中国 天津の化学薬品による爆発事故

ーーーーーこのあと約100年前 当時ゲテモノと言われた牛肉料理と中国の海産物をふんだんに使った潮州(ちょうしゅう)料理についてです。 

横浜中華街(神奈川)9 日本酒によく合いそうな〃潮州(ちょうしゅう)料理〃!! 

ビーフシチューのようなチョコ―レート色をした鍋の中には〃ゴロゴロ〃とした野菜が〃ぐつぐつ〃と煮込まれていました。
それは僕にとって懐かしのふるさとの味 名古屋名物の〃味噌おでん〃でした。

一方 横浜の明治元年(約100年前)創業の老舗(しにせ)料亭でも〃味噌おでん〃のように赤みそで〃こてこて〃に煮込まれた〃牛鍋〃と言う料理がありました。
赤々としたサイコロ状の牛肉は客の目の前で煮込まれて行きます。出来上がったその料理は〃牛の角煮みそ仕立て〃と言った感じです。

その店では なんと100年以上前から変わらぬ味を提供し続けているそうです。

実は当時の日本は仏教の教えから天武天皇の食肉禁止令が発令されていました。そして実に千年以上にわたって肉を食べる習慣がなかったそうです。
そのためその牛肉料理はヘビやカエルなどのゲテモノ料理の部類に属(ぞく)するそうです。それにしても日本人が約千年間もベジタリアン(※魚介類は別)だったとは知りませんでした。

恐らく鶏や豚をふんだんに使った中国料理(※中華料理も含む)も昔の日本人には受け入れられなかったのでは と思います。
ちなみに中国の広東省には海鮮料理を作らせたら中国一と言う〃潮州(ちょうしゅう)料理〃があります。この料理なら昔の日本人でも口にあったと思います。

潮州料理は東南アジアの華僑の間ではよく知られているそうです。僕は広東省の海沿いの町の屋台で潮州料理のエビ刺身を食べた事があります。
どれも日本酒に合いそうな料理ばかりでとっても美味しかったです。ただ残念ながら日本では潮州料理はあまり浸透(しんとう)してないようです。

そして日本人の味覚が大きく変わったのは戦後(約75年前)になってからでした。
戦後 日本では肉の消費量が増え日本人の味覚も〃あっさり〃から〃こってり〃が好まれるようになって行きます。

そんな頃 誕生したのが豚骨ラーメンや札幌ラーメンと言った日本のラーメンや焼き餃子でした。
恐らく横浜中華街の中国人コックもこれら日本発祥の中華料理に大きく影響を受けた事でしょう

新鮮な魚介をふんだんに使った潮州料理(広東地方)あっさりした味付けが特徴!
横浜の伝統料理〃牛鍋〃
名古屋名物の味噌おでん

ーーーーーこのあと日本の中華料理と横浜中華街の中国料理がガチンコで勝負します。果たして勝敗の行方は? 

つづきは後日公開します。