テスト

19世紀 (ロシア ヨーロッパ シベリア極東 アラスカ)

エカテリーナ2世の後を継ぐのが

バーベル1世(在位期間1796~1801年)弱い皇帝であったためクーデターで失脚

19世紀 次にエカテリーナ2世の孫 アレクサンドル1世が皇帝に次ぐ この皇帝は教育に力を入れ大学などを開設した

クーデターで失脚したバーベル皇帝はナポレオン(フランス)と手を組んでいたがアレクサドル皇帝は手を切った 

代わりにイギリスやオーストリア スウェーデンと手を組んだ

1801年 ジョージア西は帝政ロシア ロマノフ朝に併合される その後 ジョージア東も帝政ロシアに併合される

ジョージア(旧名グルジア)の場所

もともとはイスラム教徒が多かったが多くのイスラム教徒は国外追放となりオスマン帝国が統治する領土に追いやられ難民となった

1804年 ロシアはクリミア半島にセヴァストポリ要塞を築く

セヴァストポリ要塞

1805年 13年前 北海道で追い返されたロシア船が再び貿易の許可を求めて長崎へやって来た 

ロシアの貿易船は半年も待たされた挙句 またしても追い返されることとなった

1807年 怒り心頭となったロシア船は択捉島(えとろふとう=北方領土)に大砲を放って帰っていった。

北方領土の場所

1808年~1809年の間 ロシアとスウェーデンとの間でフィンランドの領土をめぐる戦争が勃発した 

スウェーデンの場所

結果はロシアの勝利 当時スウェーデンが持っていたフィンランド領(一部)を帝政ロシアに奪われる 

続けて もう一度 ロシア スウェーデン戦争が起こる またしてもロシアの勝利

今度はフィンランドの領土は すべてロシアに持っていかれた 

ロシア スウェーデン戦争

しかし その時のロシアのフィンランド統治が評価され 今でも当時のロシア皇帝 アレクサンドロス2世はフィンランドで人気がある

フィンランドにとってロシアはスウェーデンの支配から解放してくれたという意味合いもある

フィンランドはロシア統治のもとで開発が進みヘルシンキに大聖堂も多く建てられた その後 ロシアのフィンランド統治は100年続いた

ロシア皇帝アレクサンドロス2世の銅像(フィンランド ヘルシンキ)

1812年 ロマノフ朝ロシアが 不凍港を求め当時オスマン領であったモルドバへ攻撃を仕掛ける またしても露土戦争の勃発する

モルドバ人は そのときロシアへの反感を買い モルドバが将来独立を目指す きっかけとなった 

モルドバの場所

露土戦争はロシアが勝利しロシアがモルドバの東半分を併合した 
そしてロシアはモルドバの東半分をベッサラビアと命名した 一方 西モルドバは南ワラキアと呼ばれていた

しかしその後 ロシアはフランス ナポレオンに攻められロシアは自国の町を焼き払いながら撤退する

同年 モスクワはナポレオンの手に落ちるが しかし冬将軍の到来とともに燃料が付き

暖もとれない状態でナポレオン軍はモスクワから撤退する(第2次大戦中ドイツ ナチスが同じ事情で撤退する)

ナポレオン
モスクワの侵略に失敗したナポレオン軍

その後 アレクサンドルの弟がロシア皇帝の後を継いだ

1818年~ 30年戦争が始まる プロテスタントとカトリック(共にキリスト教)による宗教戦争

戦争の結果 ヨーロッパ全体の国力が低下する 一方 東方正教会を信仰していたロシアは宗教戦争の被害を免れたため力をつける 

30年戦争

1825年 ロシアでデカブリストの乱(一種の農民一揆)が発生する 

ロマノフ朝ニコライ一世は 国内不満をそらすためギリシャ独立戦争やトルコ エジプト戦争に参戦した

デカブリストの乱

1828年 3度にわたるロシアペルシャ戦争の結果 トルコマイチャーイ条約が結ばれ

もともとペルシャ領であったアルメニアの東部はロシア領となる 

残る西アルメニア(オスマン領)ではロシアとオスマンとの間で領土争いが起こる

アルメニアの場所

リトアニアの観光名所

リトアニア 場所

1831年 リトアニアに作られた特別な墓地 丘の上に置かれた十字架の数は5万~10万個

帝政ロシア統治時代 弾圧にあい犠牲となったリトアニア人のために建てられたのが始まり

ソ連時代に取り壊されたが独立後 また再建された

十字架の丘
十字架の丘  19世紀 帝政ロシア(リトアニア)

1854年 ロシアは東地中海に進出しようとしてオスマン トルコと衝突したイギリスとフランスはトルコを援助し 

そこにクリミア戦争(イギリス フランス オスマン対イタリア サルギニア ロシア)が勃発した。 ロシアは この戦いで大敗を期す

戦後 ロシアは衰退する 一方 イギリスとフランスは力をつける ロシア最大の要塞セバトスポリも陥落する 

しかし今でもウクライナ クリミア半島の付け根にはロシア軍基地がある 黒海に面した要塞のような場所

クリミア戦争

クリミア戦争に負けたロシアは国内改革に乗り出す 

1861年 アレクサンドル2世は「農奴解放令(農業労働者の解放)」を発布し近代化の筋道をつけた ロシアで産業革命がおこるきっかけとなった

アレクサンドロス2世は農民の味方だったが国民と対立し暗殺される

1867年 ロシアはクリミア戦争の賠償金を払うためアラスカの領土を720万ドル(現在の価値で約1440億円)でアメリカに売却する

アラスカの地図

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<目次>
1 基本情報とロシア料理

(歴史1) 4世紀キエフ時代から17世紀のロマノフ朝ピョードルまで

(歴史2) 18世紀のロマノフ王朝ロシア時代

(歴史3) 19世紀のロマノフ朝ロシアとクリミア戦争まで

(歴史4) 19世紀末~20世紀 ロシア革命とロシア内戦まで 

(歴史5) 20世紀 ソ連邦の誕生と第2次世界大戦まで

(歴史6) 20世紀と21世紀 ソ連邦崩壊から現在まで