テスト

さて ここからは横浜と横浜中華街の歴史について説明します。横浜は浜と言うだけあって昔は海水浴が出来る様な綺麗な浜がありました。
そしてその横に長い浜を見た人がそこに横浜と言う地名がつけたそうです。その昔(約160年前)横浜は人口100人程度の小さな農村でした。

そして海に田んぼを作るため横浜中華街を始め横浜の多くの場所が埋め立てられて行きました。その頃 横浜村の近くには神奈川宿と言う横浜よりずっと栄えた港町がありました。
神奈川宿には主要な道路でもある東海道や水道等のインフラ設備も整ってました。さらに神奈川宿にはアメリカやイギリスとフランスと言った各国の領事館もありました。

そこでアメリカは1859年(約160年前)江戸幕府に対して神奈川宿を開港するように求めて来ます。アメリカの軍艦が日本にやって来たペリーの黒船来航から5年後の事でした。
そしてついに幕府もアメリカ側の要求を受け入れ港を開く事になりました。

しかし なんとその港は神奈川港ではなく なんと横浜村と言う当時無名の辺鄙(へんぴ)な場所でした。そのとき幕府は横浜も神奈川の一部だと言い張りました。
それに伴(ともな)い各国の領事館も仕方なく神奈川宿から横浜村に移す事となりました。やがて横浜は大型外国船が行きかうようになり海外との貿易が活発になります。

さらに横浜の道路や水道等のインフラも整って行きます。そのようにして横浜は世界に開けた大都市へと発展を遂げるのでした。

100年以上前の横浜村の様子
横浜のほどんどの土地は埋め立てでした。
江戸時代 横浜村よりずっと栄えていた神奈川宿と言う港町

ーーーーーこのあと横浜に多くの外国人が住むようになり外国人街が形成されて行きます。

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