テスト

一筋の川沿いに背の高い柳(やなぎ)の木が静かに立ってました。その柳の木からは多くの枝と葉が垂れ下がるように〃すらり〃真っすぐに伸びてました。
その柳の葉は まるで美しい女性の長髪(ちょうはつ)が風になびいている様でもありました。

そしてその〃さらさら〃と風になびく柳の葉の様な麺料理が〃柳麺ラウミン(南中国の方言)〃でした。1872年(約140年前)横浜で初めて柳麺(ラウミン)の屋台が出たそうです。

さて その頃 横浜の港が新たに開港され貿易が活発に行われるようになりました。すると多くの外国人が横浜に住み出すようになりました。。
そのようにして横浜に外国人の町が形成されて行ったのでした。

また今でも多くの中国人が尊敬する革命家〃孫文(そんぶん)〃が横浜に亡命(ぼうめい)したのもその頃でした。
その孫文は毛沢東(もうたくとう)より一世代前の中華民国のリーダーでした。しかし当時の横浜は まだ中国人は欧米人よりも少なく中国料理店もわずかに5軒しかありませんでした。

その5軒のお店は5軒とも〃飲茶ヤムチャ(広東語)〃で有名な広東料理のお店だったそうです。

中国北部の料理はイタリア料理のように〃こってり〃したものが多いのに対して飲茶(ヤムチャ)等の広東料理は油控えめで甘口の味付けが多いようです。

そしてその後 横浜では広東料理を基本にした中華料理店が〃どんどん〃と増えて行くのでした。しかしその後あの関東地方に恐ろしい悲劇が襲い掛かって来るのでした。

〃さらさら〃と流れる川のように〃すっきり〃とした柳(やなぎ)の葉
柳(やなぎ)の葉の様な〃さらり〃とした麺の柳麺ラウミン
まさにこの彼女の髪のように美しい麺でした。

ーーーーーこのあと横浜開港以来 約60年間築き上げて来た町が一瞬にして瓦礫(がれき)と化します。

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