テスト

その門の下に立つとお寺の屋根が降って来そうなそんな大迫力を体感する事が出来ます。またその大きな屋根はたった2本の柱だけで支えられています。
そうですそれは横浜中華街のあの堂々とした文字で〃中華街〃と書かれた大きな〃喜隣門(ぜんりんもん)〃でした。

その喜隣門(ぜんりんもん)はアメリカ サンフランシスコのチャイナタウンにある門を参考にして造られたそうです。
また喜隣門は横浜中華街の玄関口でもあります。 そして中華街で一番目立つ建物とあって門の前では記念撮影する観光客が絶えません。

実は横浜中華街はその門が完成するまで南京町や唐人町(とうじんまち)など様々な呼び方がされていました。しかしその門が出来た事で〃横浜中華街〃と呼び方が定まったようでした。
そして現在の門は平成元年の横浜万博の時に新たに造り変えられた2代目でした。

さて横浜に最初にやって来たのは広東省出身の中国人でした。しかしその後 中国各地から人が集まるようになります。しかし中国は広く場所によって言葉や生活習慣が全然違います。
そのためどうも中国人は横浜に来ても出身地別に固まって住んでいたようでした。

そこで上海の出身者が多い通りは上海路 福建省の出身者が多い通りは福建路と言うように分かりやすく通りの名前が付けられて行きました。
それでも やはり最初に横浜に住み着いた広東省の出身者が多いようで中には広東小路(こうじ)と広東通りが交わる場所もありました。

その通りは観光客から分かりずらい意見があったのでそこは思い切って広東小路を北京小路と改名したそうです。
さらに市場の多いところは市場通りとより分かりやすい名前が付いてました。ちなみに香港の九龍(クーロン)地区も道の名前に多くの中国の地名が付けられてました。

実は横浜中華街が中華街と言われるようになったのはこの門の表札がきっかけでした。
福建省出身者の華僑が多く住む通り
北京出身者がいなくても北京小路

ーーーーーこのあと横浜が大発展を遂げるまでの歴史を振り返ります。 

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