テスト

アララト山(5133~5137メートル) agri dagi

トルコ一高い山 アルメニアとイラン国境の近く

山頂はマイナス30度になることもある

旧約聖書でノアの箱舟が漂流したのち たどり着いたとされる伝説の山とされている

ノアの箱舟の話はローマ帝国がこの地を支配していた時に造られた話

ノアの箱舟伝説はキリスト教だけでなくイスラム教にも影響している

また火を神とするクルド人(ゾロアスター教徒=拝火教)にとっても何度も噴火した神の山して崇められている

アララト山

アララト登山 

1990年に一般登山者の入山が可能になった。

登山には許可書と事前にツアーへの申し込みが必要

アララト山のふもと

山の ふもとにはクルド人がヤギを放牧して暮らしている

母羊は自分の子供以外の子供に乳をあげたがらない。

そのため母親を亡くした仔羊は乳が飲めない為 

その場合 人間が母羊を押さえつけ無理やり仔羊に乳を与える

アララト山のふもと (3)
アララト山のふもと (2)
アララト山のふもと
アララト山のふもとで行われたクルド人の結婚式

ドウバヤズット dogubayazit

アララト山のふもとの町 イラン国境から35キロのところにある

ノアの方舟 nuh un gemisi(ドウバヤズット郊外)

山の盛り上がったところが少しだけ船の形に似ている。

山の中腹に打ち上げられたノアの箱舟
ノアの箱舟に乗り込む動物たちの様子
ノアの箱舟
アララト山の中腹に打ち上げられたノアの箱舟

メテオ ホール meteor cukuru(ドウバヤズット郊外)

1920年 隕石が落下し直径35メートルのクレーターが発生した。深さは60メートルある

ディヤディン温泉 diyadin kalicalari (ドウバヤズット郊外)

勢いよく噴き出る75度温泉

カルス kars 

19世紀 カルスでオスマン帝国と帝政ロシアとの間で激しい戦闘がおこった

チーズと蜂蜜がカルスの特産品

カルス城 

町の高台に建つ城

キュンベットジャーミィ kumbet camii

10世紀 バグラト朝(アルメニア系) アッパース王によって建てられた教会

11世紀 セルジューク朝(中央アジア系民族)がモスクに改宗する

ロシア統治時代には再び教会として使われる。

20世紀のトルコ共和国以降は博物館として使用されている。

アニ ani (カルス郊外) 

971年 バグラト朝(アルメニア)カルスからアニへ都を移す

最盛期には人口は10万を超え 1001か所の教会が建てられた。

11世紀以降 徐々に衰退し始め廃墟となった

アニのアルメニア教会遺跡

1001年に建てられた教会 1064年 セルジューク朝(中央アジア系民族)によりモスクに改宗されるが 

13世紀 再び教会として改築される

14世紀 地震により天井部分が崩壊し 今も そのまま残っている

アニ 聖グレゴリオ教会

町の東にある教会 町の西側にも同じ名前の教会がもう一つある

ユーフラテス川 上流 シャンドゥールハ(トルコ)

イラク シリア トルコを流れる全長2400キロの大河

全体の50%がアラブ人 残りの50%はクルド人が暮らしている

シリアに近く 砂漠に近いためトルコで最も暑い地域

アブラハムゆかりの地

ここユーフラテス川上流は旧約聖書に登場するアブラハムの出身地とされている

町の中心にはアブラハムゆかりのモスクが建っている

モスクにはトルコ国外のイランやイラクからも大勢の人がやって来る

アブラハムは一神教の礎(いしずえ)を築いたとされている

イスラムだけでなくユダヤやキリスト教徒からの信仰も厚い

アブラハム生誕の間

アブラハム生誕の間は洞窟内にある

紀元前 アッシリアの王は ある年に生まれた子供は この国を亡ぼす。と言い 赤ん坊を皆殺しにした。

そのときアブラハムの母は わが子を洞窟に逃した。

アブラハムはユダヤとアラブの共通の祖先だと言われている

洞窟内の水道からはアブラハムも飲んだと言われる聖なる水が流れている

礼拝に訪れた人々は各自持参した容器に聖水を入れ持ち帰る

アブラハム生誕の間 内の礼拝所

バイ村 

標高1800メートルのところにある

時々トルコ軍がやって来る 村民は強制移住を免れたが

軍の厳しい管理下に置かれ続けている

ワシ湖(塩湖)

大きさは琵琶湖の5倍ありトルコ最大の湖

湖の中には10世紀に建てられた教会の建つ無人島もある

アクダマル教会

ワシ湖の島に建つ教会

教会は10世紀 この島に住んでいたアルメニア人によって建てられた。現在は無人島となっている。

教会の壁には旧約聖書を描いたレリーフがいくつも残っている

ダビデとゴリアテ

のちにイスラエル王となるダビディが巨人ゴリアテと戦う様子が彫られている

ダビデとゴリアテ(アクダマル教会)

アダムとイブの物語 エデンの園

かつてはイブの両眼にはダイヤモンドがはめ込まれていた

19世紀の末 西洋人はオスマンに異民族の反乱をそそのかしたかす。

その欧米列強のあおりを受けたオスマン帝国は異民族の反乱ハサンキエフの要塞を恐れ異民族の大弾圧に乗り出した。

そのときアルメニア人もこの地を去った。命を落としたアルメニア人もいた。

アクダマル教会2
アクダマル教会
アクダマル教会 (2)
アクダマル教会の壁のレリーフ
アクダマル教会のレリーフ

イラク国境(クルド人問題)

トルコとイラクの国境は第1次大戦後 オスマントルコの領土が分割された際 イギリスとフランスがサイコスピス協定により国境線が引かれた。

そのときクルド人居住区も2つの国に分断されてしまった。

もともとオスマントルコの領土内にあったイラクは その後 イギリスが統治することになった。

結果 クルド人居住区は①トルコ②イラク③イラン④シリア⑤アルメニアの5つの国に分断された。 

クルド人居住地域

クルド人はトルコ東部が最も多いがイスタンブールにも多くのクルド人が暮らしている

イスタンブールへ来るクルド人は出稼ぎ労働者が多い クルド人はイスラム教徒と違い女性は頭にスカーフをまかない

トルコ政府はクルド人の身分書発行を認めてこなかった。

クルド文化(楽器)

クルド人が愛用しているサスと言う楽器

サスは その昔 シルクロードを通ってペルシャ(イラン)から伝わった。三味線のような楽器

クルド人は長い間 文字を持たなかった。

そのため歌を歌いクルド人の伝統と語り継いできた。

サス(楽器)

クルド人の新年 ネヴローズ

正月のお祝いもトルコ軍の厳しい管理の元行われる

春を知らせる祭り だが

もともとは 昔 王により市民が抑圧されていた時代

民衆の放棄によって王政が倒されたことを記念して行われた祭りが始まり

ブラックテント 

ヤギの皮で出来たクルド人伝統のテント

結婚式の際 テントの中で客をもてなす

ロジテレビ

クルド語で放送を行っていてトルコ国内のクルド人も視聴することが出来る

2005年 イラクの大統領に初めてクルド人のタラバーニが選ばれた事はことはテレビで大きく取り上げられた。

ロジテレビ

クルド料理

唐辛子をたっぷりと入れた麦ピラフ

クルド人問題

クルド人の人口はトルコ全体の20%を占める
国をまたがって住んでいるクルド人の総人口は3000万人以上(うちトルコに1000万人 イラクは400万人)

祖国を持たない最大の民族とも言われている。またクルド人は子だくさんでも知られている。

クルド人の起源はペルシャ(イラン)にある

かつては遊牧民だったクルド人も近年は ほとんど定住生活をしている。宗教はゾロアスター教(拝火教)を信仰している。

火は最も大事で火に水をかけてはならない。

第1次大戦時にはクルド人はアタチュルク(トルコ共和国の建国者)と協力し4年間 イギリスと戦った。

しかし1929年 独立を求めたクルド人がトルコ軍に大規模な攻撃を仕掛けた それ以降 トルコ政府のクルド人弾圧は厳しくなった。

トルコ共和国 建国後 建前としては国内の民族はすべて平等 しかし実際はクルド人は2級市民扱いとなっている

イスタンブールではクルド人が道を歩いているだけで尋問されることもある クルド語を話す事も出来ない。

そのためトルコ東部に住むクルド人はトルコから独立したがっている

クルド人は過去の歴史においてもアラブ人やペルシャ人に抑圧され続けてきた。

イラク国内のクルド人はフセイン政権時に弾圧を受けていた。

しかしフセイン政権崩壊後 イラクでもクルド人の独立を求める動きが活発になった。

1978年 トルコ国内にクルド人からなる政治組織PKK(クルド労働党)が発足される。

1980年代 トルコ軍はクルド人の独立を阻止するためにクルド人武装組織とPKK(クルド労働党)に対し空爆を加えた

PKK(クルド労働党)はイラクへ逃亡し イラク北部に拠点を置いた。

イラクでは石油の利権をめぐる対立もある

またトルコとイラク以外にイランやシリアにもクルド人が住んでいる。

クルド人武装組織

草原に残る廃墟の町

1993年 トルコ軍の銃撃にあい廃墟となった町

かつては50件ほどの民家があった

当時 トルコ軍はPKKに協力するものを狙っていた。

トルコ軍は人々を外に追いやり次々と火を放って行った。

その時 村を守ろうとしたトルコ人が射殺されなくなった。

全国で3000か所のクルド人の村が焼き放たれた。

トルコ政府は国際的な批判を浴び 近年は 割と融和的な政策(クルド人に対し)がとられるようになった

バブル国境門(イラクとトルコの検問所)

米軍がイラク国内にあるジェット燃料を必要としている。

そのためトルコ国内のクルド人(又はイラク国内のクルド人)が大金を求めて危険なイラクへの行き来を行う

1か月かけ燃料を運ぶ 建築現場の3倍となる月1500ドルの収入を得ることが出来る

トルコ国内ではいい職に就けないクルド人にとってこの門(国境)は希望の門と言われている。

ただ国境紛争の巻き沿いを食う危険性もある

バブル国境門では一日4500台のトラックが通過する

陸路でトルコ~イラク間を通過できる唯一の国境となる

物資を運ぶトラックの行列ができている 

時に検問に3~5日待たされることもある

検問所での待ち時間 トルコのクルド人とイラクのクルド人の交流が深まる

お互い国籍は違うが言葉や習慣は同じ

バブル国境
渋滞中のトラックの横で調理(バブル国境)

ハッタリ県 

かつてトルコ軍との戦闘が最も激しかった場所

20年にわたる戦争の傷跡が残る村 

今も村のあちこちに検問所が置かれている

ハッタリ地区は山々の景色が美しく中東のアルプスとも呼ばれている

しかしここを訪れる外国人は ほとんどいない

山々が連なる向こう側にイラクがある

1990年代 トルコ軍は村の住民がPKKクルド人武装組織と協力しているとの情報を入手

トルコ軍はクルド人が住む村を破壊し40万人のクルド人が住処を追われた。

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キリム(織物)

ハッタリ地区はキリム(織物)の産地でもある

3人がかりに1か月間かけ織りあげる 

赤 白 紺 を基調とした素朴な味わいが特徴の織物

ハッタリ伝統のキリム(織物) (2)
ハッタリ伝統のキリム(織物) (1)
キリム 魔よけの模様
キリム 子宝祈願の模様


<目次>
1カッパドキア1(奇岩群+渓谷&女性ミイラ)
2カッパドキア2(地下都市&住居ホテル+陶器)
3カッパドキア3(岩窟教会+壁画&鳩の飼育)
4カッパドキア4(地下ワイナリー&カイセリ+エルジェス山)
5アンカラ(アナトリア高原 トゥズ湖)
6コンヤ(チャタルホユック遺跡)
7アララト山とクルド人問題
8ネムルト山と周辺の遺跡(トルコ東部)
9トラブゾン(スメラ修道院)ボアズカレとエディルネ
10サクランボル(北)とニクサル(東)
11トルコ南部の名所(クズカレスィ カシュ タシュカレ)