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紀元前2000年 紀元前20世紀 イラク北部でアッシリア王朝が誕生する  

 紀元前20年(紀元前2000年)より前には アッシリア(イラク北部)に王朝が誕生し 王朝はその後3400~4000年以上存続する

(ジェグラト神殿  3層からなる神殿 バグダッド郊外)
紀元前2000年ごろのメソポタミヤ文明 カッシート 第3王朝の遺跡 カッシート人は主にバビロニア(現イラク)で住んでいた民族

完成当時は高さ78メートルあったが今は57メートルとなっている 神殿に入る石段は後から作られた

初期王朝時代の墓があったところで 素晴らしい装飾は服装品が見つかっている 

それらの多くはイギリスの大英博物館に展示されている

遺跡の周りにはシュメール文字(世界最古の文字)と雨水を外に出す溝が彫られている  

この遺跡はバグダッド郊外のアガルグフと言う紀元前から栄えた都市にある

ジェグラト神殿の壁
ジェグラト神殿の全体図
ジェグラト神殿3
ジェグラト神殿2
ジェグラト神殿2
ジェグラト神殿
ジェグラト神殿 (2)

紀元前2000年 紀元前20世紀 アッシュール イラク北部  

紀元前2000年~14世紀半まで約3400年以上存続した王朝(兼地名)アッシリアの古代都市

アッシュールはアッシリア王朝発祥の地ともされている

アッシリアは紀元前1800年ころから大きくなり初め 各地に30を超す王宮がててられた

アッシリア王宮の壁画

紀元前2000年 紀元前20世紀 イラク南部  バビロニア王国 

紀元前20世紀ごろ バビロニア王国が誕生する

紀元前 1900年~1500年

紀元前18世紀(紀元前1800年) イラク南部  バビロン第一王朝の誕生 

ハンムラビ王はバビロン第一王朝を立ち上げイラク南部のバビロニア地方を統一する

王はシュメールとアッパドを併合しユーフラテス上流からペルシャ湾に至るまで広大な領土を築いた

バビロニア王国はハンムラビ王により栄えていた

ハンムラビ王はイラク北部からシリアにかけてのアッシリアの遠征でも大きな功績を残した

しかしそのころの遺跡はまだ見つかっていない

紀元前1792年から1750年(紀元前18世紀)紀元前18世紀 

イハンムラビ王がハンムラビ法典を作る 

ウル王朝 ハンムラビ王(バビロン人)が 世界最古の法典(法律のような物)ハンムラビ法典を作る

それまでは目には目を歯には歯をの復習に近い裁判が行われてきた ハンムラビ法典はそれを改善する物の一つ

法典は石碑にアカッド語のクサビ文字で書かれていた。

ハンムラビ法典
ハンムラビ法典がかかれていた石碑
ハンムラビ法典が刻まれた石碑

 ハンムラビ以降5人の後継者が存続するが やがてバビロンは衰退していく

バビロンに代わりザグログ山岳民族のカッシート王朝がこのあたりを支配することとなる

一方 イラク北部のアッシリアは文化的には南部バビロニアの影響を強く受けるも政治と軍事力で勢力を伸ばしていった

紀元前15世紀 トルコ ヒッタイト人に制圧される

紀元前15世紀 高度な製鉄技術を持ったヒッタイトがトルコの方から攻めてきてメソポタミア地方(現イラク南部の古バビロニア地方を含む)を制圧する

ヒッタイト人

紀元前10世紀から紀元前1世紀 カッシート王朝 崩壊

カッシート王朝(現イラク南部)は東のエラム人(現イラン)の攻撃を受け崩壊する

→続きを見る5 紀元前9世紀 
ニムルド遺跡(アッシリアの守護神他)

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