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紀元前2700年~2300年頃

紀元前2700年~2300年頃(紀元前27~23世紀) イラク南部のバビロニア地方は 北にアッカド 

南にシュメールのメソポタミア文明初の国家(又は都市)が誕生する その他 20ヵ所ほどの都市が出来る

都市国家はそれぞれ大きな神殿を築き守護神を祀った 

神権政治=権力者は神殿(ジックラット)の周りに住み 神のお告げと言って様々な政策を行った

それまで使っていた絵文字は くさび形文字に代わり 天文学も発展した

ウルのスタンダード 紀元前2600年
イギリス 大英博物館の展示物

紀元前2600年 横幅50センチくらいの箱 ウル王朝初期の作品 発掘当初はバラバラになっていた ただスタンダードの意味は分かっていたない

見事な装飾がされた箱にはシュメール王と その軍隊が戦をしている様子が描かれている  箱には貝殻やアフガニスタン産のラピスラズリがちりばめられている

また箱にはシュメール楽器 リラの演奏や賑やかな宴の様子も描かれている 

裏側には戦争の絵が描かれ動物に引かれながら動く戦車の絵が彫られている コマ送りのまんがのようにストーリー仕掛けで描かれている

上の段には とらえられた捕虜が王に向かい命声をあげる様子が描かれている

銀で作った牛の飾り その下には貝殻で作ったさまざまな動物

ウルのスタンダード
ウルのスタンダード (2)
ウルのスタンダード (1)
ウルのスタンダード 宴の席での演奏
ウルのスタンダードに書かれた兵士の様子 (2)
ウルのスタンダードに書かれた兵士の様子 (1)
ウルのスタンダードに書かれた宴の様子 (2)
ウルのスタンダードに書かれた宴の様子 (1)

紀元前2300年 紀元前23世紀 イラク南部  古バビロニア王国誕生

紀元前2300年頃(紀元前23世紀) アッカド王 サルゴンが多くの戦争を重ねた末 バビロンのすべての都市を統一する 古バビロニア王国を設立する

その勢力はイランの西部からシリア さらには小アジアにまで及んだ

しかしサルカド王の死後 100年ほどで帝国は滅亡 その後 数100年の間は帝国国家は統一と分裂を繰り返した。

紀元前2200年 紀元前22世紀 イラク南部  ウル第3王朝誕生

紀元前22~21世紀にかけてウル第3王朝が現在のイラク南部のあたりで栄える

ウル第3王朝の都にあった建物は

大きさ1030メートル×690メートル 上空から見れば いびつな卵型をしている

また建物は城壁に囲まれ さらに城壁の外はユーフラテス川に囲まれていた

城壁の中には3万4千人 周辺地域を合わせると25万人以上が暮らしていた

紀元前2100年ごろ  紀元前21世紀

ウルにはウルナム王によって建てられたジッグラッド(神殿)もあった

そのころもうすでに王朝は中央集権と官僚による統治体制がとられていた

神殿などの巨大建造物も次々と作られて行った

ウルの都の中心部にはテメノスと言われる神殿地域があった

テメノスの中には 宮殿以外に 役所や はた織り工場が入っていた 

民家の外壁は白い漆喰が塗られ 広い家には中庭がついていた 中流家庭でも10LDKはあった

その神殿地域のテメノス遺跡からウーリー(イギリス人)が100個近い粘土板を発見した

テメノス(想像図)

その粘土板には はた織り工の明細書 45人分と 油や魚の配給量 家の売買記録 など が示されており

当時もうすでに 完璧な経営法がなされていたことが分かった さらに高度な行政と福祉が行われていたことも分かった

ウルでは収穫の10分の1は神へささげるという名目で納税を行っていた 

その税収を使い 病人 貧しい未亡人 に穀物や織物が支給されていた

また神へささげる農作物は ちゃんと納税記録として残っていた

教育に関することが書かれた粘土板も見つかっている シュメールでは5000年前からもうすでに学校があり

文字を書いたり数学や歴史 化学などを勉強していた 朝から晩まで厳しいスパルタ教育が行われていた

(イラク南東部 ウルのゲーム版) 
イギリス 大英博物館の展示物

紀元前2000年よりも前のゲーム 発見当初は遊び方がわからなかった

ゲーム版と一緒に あそびかたが書かれた くさび形文字の粘土板が見つかった 

遊び方は 2人のプレーヤーがそれぞれ7つのコマを持ち すごろくの要領でサイコロを振りコマを進める

先にコマを全部出した方の勝ち 一見簡単そうに見えるが 実は花模様と出口以外のマスに自分のコマを複数置くことができない

自分のコマが相手のところに来たら相手のコマを振り出しに戻せるなど 細かい決まりがあり決着がつくまでに かなり長い時間がかかった

アッシリアの守護神像の足元に書かれたマスも これと同じゲーム ウルのゲーム版もイギリスの大英博物館に展示されている

また インドでは つい最近まで これと同じようなゲームが残っていた

ウルのゲーム版

20世紀  イギリス人考古学者レナードウーリー

1922年 大英博物館の研究者からなる団体 トラスティーはイギリス人考古学者レナードウーリーをイラクに派遣した

シュメール人

ウーリーは一人の人類学者を訪ね 発見された頭蓋骨を元に4600年前のシュメール人の顔を復元した。

頭蓋骨を基に再現されたシュメール人 (2)
頭蓋骨を基に再現されたシュメール人 (1)

ウルの黄金細工

ウルは1000年以上シュメールの都市国家として栄えてきた 

しかし その繁栄は途切れ いつの日か砂漠の中に埋もれ人々から忘れられる存在となってしまった

ウーリーは まず瀝青(れきせい)の丘の上から発掘調査を始めた 

瀝青(れきせい)の丘から現れたジッグラット

すると丘の中からジッグラットと言う神殿 兼 王の墓が現れた

墓の主は女王 ジュプアド  その女王の墓からはラピスラズリを使用した黄金の兜と黄金の短剣が出土した 

さらに墓からはおびただしい装飾品と共に大勢の女性の骨も見つかった

宮廷につかえていた女性たちと考えられている 女性が使っていたリラや竪琴などの楽器も出土した

黄金の兜2
黄金の兜
黄金の短剣
古代の楽器リラ

この世の別れに弦を奏でたとされている 人々の身分を表していた 円筒印章(シュメール語)

円筒印章2
円筒印章

ここで出土した品々はイラク国立博物館とイギリス大英博物館の2か所に分けて展示されている

紀元前2004年  紀元前21世紀
繁栄を極めたシュメール人はエラム人の侵入によって滅ぼされた

そのときシュメール人(現イラク南部)の国家は滅亡した。 国家は滅亡するがシュメール人 その後 イラク北部で影響力を強める

そしてシュメール人が発明した くさび形文字は北はトルコ 南はペルシャ湾まで オリエントの15か国に伝わった

シュメール語は その後 2000年間 学者の専門用語の中に使われていた

→続きを見る4 紀元前20世紀 
イラク(北)アッシリア王朝
(南)でバビロニア王国が誕生
(ハンムラビ法典他)

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