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クリミヤ半島

クリミア半島の場所

もともと15から18世紀にかけてクルミアはクルムハン国だった 先祖はモンゴル系イスラム教徒(アラブやトルコも同じ系統)のタタール人であった 

ちなみにタルタルソースを発明したのはタタール人だと言われている その後 クルミアは ロマノフ朝 ロシアに編入され

第2次大戦後 多くのロシア人が島へ移り住んだ 今でも6割のロシア人が住んでいる ソ連崩壊後 ウクライナが独立した際はクリミアも独立を宣言していた 

そのころは まだロシアとウクライナは仲が良かった ウクライナの元独裁者 ヤルコビッチはロシアの支援を受けていた 

ウクライナはロシアに海軍基地を提供する代わりに天然ガスをもらっていた

しかし2004年には暴動により大統領選の結果を覆したオレンジ革命が勃発した。

ヤルコビッチ大統領が逃亡したことによりウクライナでヨーロッパよりの政権が誕生した 次第にロシアとの仲が悪くなっていった

ウクライナではロシアに近い西側がロシアを支持 EUに近い東側がEUを支持していた また宗教も違っていた

東側はカトリックが多く農業が盛ん 一方  西側はロシア聖教で工業が盛んであった

ユーリヤ・ティモシェンコ(美人政治家)もEU支持派 首相にまでなったが大統領にはなれなかった

※現在 クリミア半島はロシアの占領下にあるためロシア国内からしか入れない 

なおクリミア半島に入った後はウクライナの入国が拒否される

ユーリヤ・ティモシェンコ

ヤルタ

海辺の岸壁に建つ ツバメの巣城

1912年 ドイツの石油王の大富豪が建てた高さ40メートルの城 

ツバメの巣城3
ツバメの巣城2
ツバメの巣城1
ツバメの巣城0
ツバメの巣城

リヴァーディア宮殿

ロシア ロマロフ朝 最後の皇帝 ニコライ2世の命令により造られた別荘

第2次世界大戦末期 のちの戦勝国アメリカ ソ連などによる領土分配の話が行われた ヤルタ会談の舞台

ヤルタ会談
リヴァーディア宮殿

(リヴァーディア 皇帝専用レストラン)

金賞を受賞した 皇帝料理がいただけるレストラン

皇帝料理の一種 海鮮サラダ
皇帝料理 牛肉のラズベリーソースあえ
皇帝料理 サーモンのスープ

<目次>
1ウクライナの基本情報
2ウクライナの歴史
3チェルノブイリ原発事故
4キエフ
5オデッサ 
6ウクライナの西北部
7クリミア半島