テスト

紀元前の石器時代はカナン人が住んでいた 古墳からその時代の手斧が発見されている

5000年前には漁をしていた 東南アジアの陶器も見つかっている

シンドバットの舞台にもなった場所で実際 大金を船につぎ込み航海をするイスラム商人も多くいた

その昔 エジプト人(ムルマーク朝)がこの地を納めていたころ アジア人とムスリム(イスラム教徒)を保護しヨーロッパの人とも交易を行っていた。

その後 ポルトガル人がインドから東南アジアの商売に手を付ける やがてエジプト マルマーク朝と対立することとなり

1509年 リオ沖の海戦でエジプト マルマーク朝はポルトガル軍に敗れてしまう

それを機にインド洋での海上貿易の利権はポルトガル人が握ることとなる

ムスリム商人たちは16世紀の終わりごろまで約100年間 ポルトガル人の支配をうけることとなる

1602年 新たな大航海時代が始まり東インド会社を設立したイギリスがこの地に進出してくる

ポルトガルは軍事費を抑えるためイギリスと戦うことなくこの地から撤退する

そこで今度はポルトガルに代わってイギリスが この地を約250年間統治する その影響でカタールでは英語もよく通じる

18世紀後半になり 今のカタール人の先祖となるアラブ人がこの地にやって来る 

現在首長を勤めるサーミ一族もこのころやって来た 

イギリス統治時代の1686年まで隣国バーレーンのハリーファ家が現カタールの北部を納めていた 

その次に現 首長の王族が統治することとなる 初代首長はムハンマドで当時から王族とイギリス政府のは良好関係にあった

ただ19~20世紀(イギリス統治時代) このあたりの沿岸諸国は貧しい時代が続く

砂漠が多く農作物が育たなかったことが原因 一時期 オスマントルコがこの地を納めるが第2次大戦後 再びイギリスが統治する

表向きは王族がこの地を統治するが実権を握っていたのはイギリスであった

1934年 ヨーロッパ人がこのあたりで石油の調査を始める

翌年 イギリス オランダ フランス アメリカが共同でカタール石油会社を設立する。

1940年 やっと高品質の石油が発掘されるが第2次世界大戦が始まり その後10年間 採掘がおこなわれなくなる

石油発見後は 石油の利益で学校や病院などが作られ イギリス領カタールは一気に金持ちの国となる

1968年 イギリスがエジプトのスエズ運河から撤退をする

それを機にアラビア各国の首長が結成しイギリスからの独立を主張する。

1971年 ドバイのあるアラブ首長国連邦が独立を果たす

そのころは連邦国にしないと独立は難しいと思われていたため 複数の首長(王朝)が一つとなり連邦国として独立した。

ただ石油の採掘量の多いバーレーンとカタールは経済的に優位な立場にあったため連邦国には入らず そのまま独立を果たした。

カタールは独立後すぐアラビア半島と北アフリカの国々からなるアラブ連盟と国連に加盟する。 

しかし1972年 独立の翌年 アフマドがイラン訪問中にクーデターが発生しハリーファが首長となる

クーデターと言っても王族の家庭内で起こった出来事であった 問題は話し合いで解決された

独立後 暫定憲法を作り民主化を推進していく 

1981年 湾岸6カ国(アラビア半島)による湾岸協力会議が開かれGCCが結成される

サウジアラビアなど近隣諸国との友好関係を築く

1990年の湾岸戦争では米国やサウジアラビアと同じ反イラクの立場をとる

国王(首長)と皇太子は たびたび外国との外相問題で対立した

王のハリファはサウジなど近隣諸国との関係重視 一方 ハマド皇太子は イラン イラク イスラエルとの関係強化を図る

1995年 国王がイランへ訪問中 息子(皇太子)のクーデターにより首長(国王)は失脚する

身内が起こしたクーデターでのし上がった首長であったが 同じく身内の起こしたクーデターにより失脚した

ハマド首長

8代目 首長となったハマドは資源に頼る政策を改め観光業と教育に力を入れた 教育費は幼稚園から大学まで無料

全首長が保守的であったためカタールはガイドブックに世界一退屈な街と書かれていた。

しかし首長が変わったことでカタールに それまでなかった娯楽施設が作られ観光客も増えている

ハマドは国の経済を世界のトップクラスにのし上げた独裁者とも言われている

さらにハマドは100億円を出しアルジャジーラ(テレビ局)を開設 

米国と敵対関係にある放送局 アルジャジーラ

自家用旅客機を所有

海外からのスポーツ大会も誘致している ブランド力のある高級デパート イギリスの(19世紀から続く伝統の老舗デパート)ハロッズや

シンガポールのラッフルズホテルなどを それぞれ2000~2500億円で買収する

有名サッカーチーム FCバルセロナのユニホームには国を宣伝するカタールの文字が入っている 

海外の陸上選手 シャヒーンは1億円を受け取り さらにカタール国籍が与えられた

ただハマド首長になって以降 近隣諸国との関係は悪化した バーレーンとは国交を断絶 

サウジとは 石油採掘の境界線をめぐり たびたび国境紛争が発生した。

そんな中 元首長の父ハリーファはバーレーンに実をひそめ ひそかにクーデターの機会を狙っていた

しかし近年 カタールは近隣諸国とも友好関係を築くようになり

さらにハマドと父ハリファーの親子関係も改善し ハリファーは10年ぶりにカタールに帰国することとなった

ハマド首長


<もくじ>
1カタールの基本情報
2カタールの歴史 
3カタールの首都 ドーハ