テスト

眼鏡をかけたような顔の猿はメガネザルそしてキツネのような顔をした猿はキツネザルさらには天狗のお面をかぶったようなテングザルまでいました。
そこは僕が子供のころ母親や兄弟そして学校の友達と遠足で数回訪れたことがある愛知県の犬山モンキーパークでした。

そこは世界中から様々な種類の猿が一か所に集まった猿のテーマパークです。

1990年(26年前)間中さんはその犬山モンキーパークから13匹の猿をもらい受ける事となります。
そしてその翌年には埼玉県に間中さんの かねてからの夢だった猿の学校を開く事となります。さらにそのころ間中さんの一人息子 和彦さんが間中さんに弟子入りします。

そしてついに1992年 日本中を笑いの渦に巻き込んだあの日光猿軍団が結成されます。
芸の内容は 今までのサーカスのようなアクロバティックなものとは違って吉本新喜劇のようなコント形式の劇でした。そして日光猿軍団は人間顔負けの芸を見せてくれました。

ショーが始まると猿たちは間中さんの合図とともにちょうどいいタイミングでズッコケをします。すると劇場の観客からは割れんばかりの大爆笑が起きてました。
猿たちは まるで観客の笑いのツボを知っているかのようでした。 それは まるでチャップリンの喜劇を見てるようでもありました。

あるときは ステージ上を大暴れした後 ちょっこんと頭を下げてごめんいと言う この芸も観客に大うけし割れんばかりの拍手の雨あられでした。 

また猿軍団は日光の劇場だけでなくテレビやCMの出演の依頼も殺到し スーパースターになった猿たちは毎日 大忙しでした。 
そんなスーパースターを夢見て自ら入隊希望する猿も増え最盛期には猿の数が なんと50匹もいたそうです。それぞれの猿に調教師が付き まさに猿の英才教育でした。

ステージを我が物顔で大暴れする日光猿軍団! (1)
ステージを我が物顔で大暴れする日光猿軍団! (2)

ーーーこのあと一世を風靡(ふうび)した猿ブームも去り数々の不幸が猿と間中さんを襲います

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