テスト

(この世紀に誕生した王朝※国)

漢(紀元前3~紀元3世紀)中国


紀元前3世紀 秦王朝(中国大陸) 

兵馬俑  

〇兵馬俑(市内から約40キロ) 2200年前 日本は弥生時代の中頃 秦

兵馬俑 紀元前3世紀 秦
兵馬俑

1974年 麦畑で農夫が地下5~6メートルくらいのところから兵馬俑を発見 7500体(全体の2割程度)
先頭兵は武器なしよろいなし 青銅製の兵士像は一人一人の違った顔で造られている 身長2メートル 重さ200キロ

型にはめ制作 造られたばかりのころは色まで付けられていた。始皇帝の墓を守る像として造られた 馬車もあった
兵士以外に鶴や水鳥 演奏者や力士(大道芸人)の人形も造られた 人形にはそれぞれ制作者の名前が刻まれていた

兵馬俑(色付き)
兵馬俑と一緒に発見された 水鳥
兵馬俑 力士(大道芸人)

広さは甲子園球場と同じ 兵馬俑も墓の一部であった
西側では馬や人骨も発見されている ペルシャ系の人のDNAが見つかった


始皇帝陵 

〇始皇帝陵りょう 秦の始皇帝は 13歳で皇帝の座についてから40年の歳月をかけて造らせた自分の墓
幅360メートル 高さ70メートル 匈奴(きょうど北方民族)の脅威(きょうい)が造らせた巨大な墓 高さ87メートル 広さ10キロ 70万の人が建設に携わった

秦の始皇帝
始皇帝陵 紀元前3世紀 秦


阿房宮

〇阿房宮(あぼうきゅう)は、秦の始皇帝が建てた大宮殿(今のは復元されたもの)
あまりに巨大すぎたため 完成前に始皇帝は死んでしまった

阿房宮(あぼうきゅう 紀元前3世紀)は、秦の始皇帝が建てた大宮殿
阿房宮(あぼうきゅう)は、秦の始皇帝が建てた大宮殿2


秦長城

秦長城 2000年以上前 当時の人口の15パーセント 300万人が建築に携わった  ちょっとしょぼい

秦長城 紀元前3世紀 秦


都江堰とこうえん

〇都江堰とこうえん 紀元前3世紀(ー248年)に完成した人口の水路 工事期間は8年間 都江堰の完成により農作物がよく育つようになった 秦の統一に大いに役立った 

都江堰が出来る前までは時々洪水が起こった  また町では慢性的な水不足に見舞われた 
2200年前 都江堰が完成し成都平原は一大穀倉地帯へと変貌を遂げた 長城に匹敵する大工事だった

(先人からの知恵)堤防を高くするより川底を深く掘れ  諸葛孔明も都江堰の復興工事に携わった 

(石像)1970年代 川底を掘っていたら高さ3メートル重さ5トンの古い石像が出てきた ー168年 李冰りひょう(紀元前3世紀 都江堰を作った人物)の石碑 
背の高い石碑は当初 水量を図るために建てられていた(メモリ替わり) うつぶせになって埋まっていたため保存状態がよかった

都江堰は李冰親子が作った 近くからは 頭のかけた りひょうの息子の石像も出てきた 都江堰近くには李冰親子の大きな像がたっている 
石碑は息子以外にもう一体見つかっている

李冰親子の像
都江堰 紀元前3世紀(ー248年) 秦
都江堰

岩を熱し 冷やすことで亀裂が生まれそこから岩を砕いていった 竹かごに小石を詰めて川に投げた今でも同じ方法が使われている

昭化古城 紀元前3世紀より古い 秦


紀元前3世紀 前漢(中国大陸の王朝)


閬中ろうちゅう 人口80万 2300年前 秦が築いた 
〇古い瓦屋根の民家(麗江のよう)

閬中(古い瓦屋根の民家)紀元前3世紀 前漢


紀元前3世紀 マウリヤ朝(インド)

アショーカ王の碑

紀元前3世紀 インドを統一した アショーカ王の碑

アショーカ王の石柱 ashokan pillar紀元前3世紀 マウリヤ朝

マウリア王朝 インドの考古学者が発見


マハーボディー寺院

紀元前3世紀に建てられた高さ52メートルの寺院 紀元前2世紀に再建されたが仏教の衰退とともに土の中へ埋もれていった

再度発掘されたのは19世紀に入ってから 人間はどのように生きればいいかを教えてくれる場所

夜 僧侶が遺跡の周りに蝋燭で明かりをともし祈りの儀式を行う

(マハーボディー寺院)別名 大菩提寺
高さ52メートル 紀元前3世紀に建てられたものだが5~6世紀に改築された

今ある塔は19世紀 イギリス人によって大改修されたもの 信者は祈りながら塔の周りを右回りに回る

マハーボディー寺院- 紀元前3世紀 マウリヤ朝
マハーボーディ寺院2
マハーボディー寺院
マハーボーディ寺院4
マハーボーディ寺院3
ブッタガヤ 夜の祈り


ブバネッシュワール

ブバネッシュワールの遺跡群 紀元前3世紀 マウリヤ朝

(ダウリ) 白く大きな仏塔

ダウリ 紀元前3世紀 マウリヤ朝

(この世紀に消滅した王朝)

楚(中国)

周(中国)

秦(中国)