テスト

18世紀(1701年~1800年)

18世紀

18世紀 鳳凰(湖南省) 清代 漢民族が築いた水辺の古民家

鳳凰古城2

18世紀

18世紀 済州石文化公園 李氏朝鮮時代 韓国チェジュ島の小型モアイ像群

済州石文化公園3
済州石文化公園2

1709年

1709年 ラプラン寺(甘粛省) チベット寺院 文化大革命で大きな被害を受けた 毎年2月にタンカ祭りが開かれる

ラプラン寺
ラプラン寺 タンカ祭り

1714年 

  

カンボジア(クメール)の政権争いに広南国(ベトナム中部)とアユタヤ王朝(タイ)が介入 広南国(ベトナム中部)が勝利し 広南国はカンボジアから多くの領土を獲得する

タイ アユタヤ王朝

1716年

日本の徳川幕府 8代将軍に 和歌山県 紀州から来た徳川吉宗がなる 

8代将軍は貧しい病人や年寄りでも無料で治療を受けられる施設を建設する

さらに消防団を結成し人々に大いに役立った。

人々に尊敬された8代目将軍 徳川吉宗

1716年

      

ジュンガル(モンゴル中国ウイグル中央アジア)がチベット ラサに侵攻する 多くのチベット人を殺害する

ジュンガルとチベットの地図

1718年

 

清がチベットに軍を派遣させ 清が正当な王とは別にダライ・ラマ6世を建てる

1721年

 

1721年 サンティエゴ要塞(マニラ)が完成する (1571年から150年の歳月をかけて建造)

サンティエゴ要塞
 

1724年

 

1724年 レガスビのマヨン山の ふもとにカグサワ教会が建てられる

レガスピ カグサワ教会跡 マヨン火山の噴火により破損

1735年

        

 清は ロシア ウラジオストク ハバロフスクとモンゴル全土 キルギス共和国 カザフスタン アフガニスタン タジキスタン ミャンマー北部 インド北部 を含む東洋の半分は清国の支配下となった

清 支配地図

1738年

 

1738年 サンペトロ要塞(セブ) スペイン人が国内のイスラム勢力に対抗するため建設 19世紀には反乱を狙っていたフィリピン人の拠点となった(1565年に建てられた当初は木製だった)

サンペトロ要塞

1739年 

 

カンボジアが広南国(ベトナム中部)に奪われた領土奪還の為(25年前に奪われた領土) 10年以上戦うが失敗する

1750年

 チベットは清朝の支配下に入る しかし実効支配には至っていなかった

1750年

 

1750年 スペイン人によりマニラにマラカニャン宮殿が建てられる 独立後 宮殿は独裁者マルコスの宮殿となる 現在 一般公開されている

マラカニャン宮殿
マラカニャン宮殿 内部

1755年

 

 清とモンゴル系オイラトとの間で清ジュンガル戦争が起こる 結果 ジュンガル帝国(今の北ウイグル)は清朝に滅ぼされる

同年  モンゴルとウイグルと中央アジアは清の領土に組み込まれる

清はロシアに占領されないようにモンゴル高原に漢民族を移住させた。

しかしモンゴル民族は漢族の入居をよく思わなかった

1755年

1755年 ノルブリンカ(チベット ラサ) 罗布林卡公园 ダライ・ラマ7世が建設した夏の宮殿 1959年 ダライ・ラマ14世はこの宮殿からインドへ亡命した。

ノルブリンカ

1757年~1760年

江戸時代の日本では 東北危機が発生し 天候不順により飢饉が多発した  飢餓は全国に拡大した

1762年

  

1762年  イギリスとスペインとの間で衝突が生じ イギリス艦隊が一時マニラを2年間ほど占領する

1765年

 

 ビルマ(ミャンマー)の戦争に敗北したシャン族(タイ系民族)が中国へ行き清朝に助けを求めたため清緬戦争(中国VSミャンマー)が勃発した。

戦闘は清朝の4度の進行を すべて退きコンパウン王朝(ミャンマー)の勝利で終わった
 

1769年 

 

広南国(ベトナム中部)とシャム国(タイ)との戦争が始まる

1771年

 農民の反乱が切っ掛けとなり西山党(タイソン)の乱が発生する 戦火は広南国(ベトナム中部)全土に広がる ホイアンは この反乱で壊滅的な被害を受ける

西山党

1774年

 

ターヘルアナトリア(オランダの医学本)をもとに作った解体新書(日本語版)が ついに完成した それにより日本の医学は飛躍的に進歩した

1777年 

広南国(ベトナム中部)が滅亡する

1778年 

広南国に代わりベトナム中部は西山朝が統治する

1782年

江戸時代の日本では 天明の大飢饉が発生  仙台藩では30万 南部藩では6万4千人が疫病に掛かったり飢え死にした 

しかし亡くなったのは農民が大多数で役人は死ななかったと伝えられている

天明の大飢饉

1783年

江戸時代の日本では大飢饉に追い打ちをかけるように浅間山(長野)が大噴火を起こした 江戸の町にも火山灰が降り積もった

火山灰は大気で浮遊し太陽光を遮り凶作の原因にもなった そして米の値段が4~5倍に跳ね上がった 

浅間山噴火

1785年 

 

ベトナム南部でタイソン・シャム戦争(ベトナムとタイとの戦争)が勃発する 結果はベトナム西山軍が勝利する

1788年~1792年

 

 ネパール王国はチベットとの間に貿易(領土侵犯)で もめ事となり衝突が発生した。

チベットの宗主国 清朝(中国)が もめ事に介入し 清 ネパール戦争へと発展する

結果 清朝(中国)の勝利 その後 ネパールは清の属国となった

またこの戦いで清はチベットでの影響力を高めた

清 ネパール戦争

1788年から翌年にかけ 

 

大越国と西山朝の連合軍(ベトナム)と清(中国)との間でドンダーの戦いと言う戦争が起こる 清越戦争とも言う

戦いはベトナム連合王朝の勝利 ベトナムは清からの支配を免れる

しかし後黎朝(北ベトナム)はこの戦いの後 滅亡した。

ドンダーの戦い

1789年

江戸時代の北海道(日本)で アイヌ人(日本の少数民族)が支配者の和人(日本人)に対してクナシリ・メナシの戦い を起こす。が またしても鎮圧されてしまう

1790年

1790年 避暑山荘(河北省) 清朝の離宮  着工から87年を得て完成 普陀宗乗之廟(ポカラ宮殿に似せて作った建物) 外八廟など豪華な寺院が建ち並ぶ

避暑山荘(チベット寺院 
避暑山荘( 小ポカラ宮殿)

1791年 

  

李氏朝鮮でカトリック弾圧事件が起こる カトリック信者数万人が犠牲になった。その後もカトリック弾圧は断続的に行われた 

1792年

 

ロシアの使節ラックスマンが乗った船が根室を通り北海道の一番東から北海道の一番西の松前(函館)に貿易を求めて やって来た 

当時 まだ鎖国を行っていた江戸幕府はそのロシア船を追い返した。

ロシアの使節ラックスマン

1796年 

 

水原城(水原華城) 建設 李氏朝鮮 全盛期に建てられた

水原  城壁で囲まれた町(韓国)
水原華城(韓国)

1798年

 

 ロシアの脅威に感じた江戸幕府は当時まだ未開の地だった北海道の守りを固めた 

そこで幕府は日本人を北海道の択捉島(えとろふとう=北方領土)に移住させた。

北方領土の地図


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<目次>
ペストの世界流行①室町②明③李氏朝鮮が誕生(14世紀)

日本内戦勃発 応仁の乱 明 北京遷都 モンゴルの反乱 土本の乱(15世紀)

大航海時代到来 フィリピン スペインに占領される(16世紀 前期)

安土桃山時代 秀吉の朝鮮出兵(16世紀 後期)

ベトナムホイアンの発展①江戸幕府②清が誕生(17世紀 前期)

オランダが台湾をグアムサイパンはスペインが占領(17世紀 後期)

清 領土拡大 モンゴル併合 清越戦争 日本天明の大飢饉(18世紀)