テスト

(基本情報)コーカサス地方にある黒海とカスピ海の間に位置する内陸国 

北はジョージア 南にイラン 西はトルコで 東はアルメニアに囲まれた国

西暦301年 アルメニアは世界で初めてキリスト教を国の宗教と定めた キリスト12使徒のうちの一人がアルメニア出身者

12使徒は最後の晩餐に書かれていた人物のうちの一人 キリストの面倒をみていた人々

クリスマスは年明けの元旦から5日間 行われる 新年とクリスマスを一緒に祝う

アララト山(トルコ)は旧約聖書(キリスト教)にノアの箱舟がたどり着いた場所だとされている

アルメニア国内の教会にノアの箱舟から見つかったとされる宝物が残っている

一方 コーカサス山脈はギリシャ神話のポレテウスが貼り付けになった場所とされている 

国土は日本の13分の1 日本の関東地方よりやや小さい程度 人口は約300万人で98%がアルメニア系 

隣国ジョージアと同じヨーロッパ系 近年 紛争があったためトルコとアゼルバイジャンからの陸路での入国はできない

アゼルバイジャンとアルメニアの両国を訪れたい場合は先にアゼルバイジャンを訪れた方がいい

アゼルバイジャンの入国の際アルメニアのスタンプがあると入国が難しくなる

(石油)

アルメニア ジョージア(旧名グルジア) アゼルバイジャンの3か国はカスピ海の石油をヨーロッパに運ぶパイプラインの通り道

ただこの計画はそのぞれの国の宗教対立と不仲のためうまくいっていない

アルメニアはキリスト教 グルジアはグルジア正教(キリスト系) トルコとアゼルバイジャンはイスラム教 

大国ロシアとアメリカの思惑も邪魔となっている アルメニアはロシアより アゼルバイジャンとジョージアは欧米より

さらにアルメニアはトルコとアゼルバイジャンとの間で領土問題も抱えている この両国から経済制裁も受けている

(アゼルバイジャンとの対立)
1980年~90年にかけて と1992年に ナゴルノカラバフでアルメニアとアゼルバイジャンの紛争も発生している

ナゴルノカラバフはアゼルバイジャンとアルメニア国境近くにある両国とは独立した地域

のちに両国との全面戦争に拡大する トルコはトルコと同一民族の国 アゼルバイジャンを支援 

一方 アルメニアはロシアの支援を受けている

紛争以前は両国(アゼルバイジャンとアルメニア)の関係は良好だった

アルメニア人とアゼルバイジャン人が一緒に田畑を耕し家族ぐるみの付き合いをしていた

しかし近年 アルメニアでの大統領選挙が原因で 隣国アゼルバイジャンとの武力衝突が発生している

※2019年6月現在 外務省の発表ではアルメニア国内の治安は比較的安定している

(歴史)
古代史の歴史からもうすでに列強の支配下に置かれる

3000年前(紀元前1000年) パルミヤ時代 アルメニアはササン朝ペルシャの支配下にはいる

紀元前5世紀頃 宗教はペルシャと同じ ゾロアスター教を信仰していた
 
紀元前1世紀 アルメニア王国を建国 今のアゼルバイジャン全土とトルコの一部

さらにカスピ海から地中海までの広い範囲を支配した大国 

紀元前333年 マケドニアギリシャのアレクサンドロス大王とペルシャ王 ダライオスとの戦いが起こる

アルメニアはペルシャに援軍を出すがダライオスは敗北をきす そしてササン朝ペルシャは崩壊する

その後 アルメニアはギリシャの影響を強く受けギリシャのセレウコス朝の支配される

セレウコス朝はアレクサンドロス大王の後継者が築いた国家

紀元前218年 チェニジア(北アフリカ)のカルタゴとローマとの間で戦争が勃発する

最初はローマの宿敵ハンニバル(カルタゴの将軍)率いるカルタゴの優勢であった

しかし紀元前202年にカルタゴ軍が敗北 17年に及んだ戦争はローマ軍が勝利する

続いてローマとセレウコス朝(ギリシャ)との戦争が勃発する 

カルタゴ(チェニジア)の将軍ハンニバルがセレウコスに亡命し戦いに加わるが またしてもローマ軍の勝利

紀元前188年 それまでローマ帝国で家臣を勤めていたアルタクシアスがアルメニアの王に就任 アルメニア王国の誕生

その後 アルメニア王国はローマ帝国の緩衝地帯として独立 同じころアルメニア東部ではパルティア(古代イラン)に支配される
 
ローマ帝国とパルティア王国(イラン)は何度も衝突を繰り返す 西暦63年 やっと和解が成立する

条約により土地の権利はローマ帝国に政権はパルティア王国が握ることとなった

西暦260年  トルコ南部のエデッサでエデッサ戦い(ローマ対ペルシャ)が起こる

そこではローマ皇帝が捕虜となる前代未聞で出来事が発生する(のちにもう一人捕虜となるローマ皇帝がいる)

この時のローマ対ペルシャの戦争はペルシャ軍が勝利する 

当時 アルメニアではペルシャ(イラン)と同じゾロアスター教を信仰していた

ある日 アルメニアの王が正気を失いくるってしまった その時 王を助けたのがキリストの宣教師グレゴリウスだった

そこで西暦301年 アルメニアの王はローマ帝国よりも早くキリスト教を国の宗教と定めた

もともとアルメニアのキリスト教はローマから入って来たのだが そのローマでは当時 まだキリスト教の宗教弾圧を行っていた

そのためローマがキリスト教を国教にしたのはアルメニアよりもずっと遅い391年だった

395年 ローマは東西に分裂する ローマ皇帝は副皇帝を合わせ全4人となる 過去にはアルメニア人のローマ皇帝も誕生している

アルメニアの王は再三 ペルシャ(イラン)からゾロアスター教に改宗するように要請を受けるが無視し続ける

ついにアルメニアの王はペルシャ系の貴族に暗殺されてしまう 5世紀 アルメニア王国は またしてもペルシャに支配されてしまう 

キリスト教徒ゾロアスター教の宗教対立が激化し何度もの戦争が起こる 宗教対立は同じキリスト教徒の中でも発生する

450年 聖職者がアルメニア文字を発明する 7世紀 イスラム教が誕生する

シルクロード時代には アルメニアはシルクロード貿易の要所として発展してきた 

アルメニア人もシルクロード商人として中国やヨーロッパへと足を運んだ 

9世紀にはアルメニアは一時的に独立を果たすが長続きはせず

13世紀にはモンゴル帝国の支配下に置かれる 15世紀以降は主にイスラム勢力に支配される

そのころアルメニア(アルメニア正教)は同じキリスト教徒でも宗派の違う十字軍(カトリック)の攻撃を受け被害にあう

17世紀にはオスマントルコの支配下となる 多くのアルメニア人が国を追われ海外へと逃れて行った 

それらの人々をアルメニアディエストラと呼ぶ オスマン支配下では異教徒に対する課税はあったが宗教に関しては寛容であった

ただオスマンとアルメニアの関係はオスマン帝国末期に悪化 オスマンによるアルメニア人虐殺も起こった 

オスマンはササディー朝ペルシャと何度もアルメニアの領土を奪い合う

1639年 オスマンとペルシャの間で和平条約が結ばれる

 アルメニアはこの両国により(西はオスマンに東はペルシャに)分断統治されることになる

18世紀 帝政ロシアがアルメニアの北から勢力を伸ばしてくる 

3度にわたるロシアペルシャ戦争の結果 1828年 トルコマイチャーイ条約が結ばれ

もともとペルシャ領であったアルメニアの東部はロシア領となる 

残る西アルメリア(オスマン領)ではロシアとオスマンとの間で領土争いが起こる

(トルコとの対立)
1915年 当時 国を持たなかったアルメニア人たちは今よりももっと広い範囲で暮らしていた。

そこへ新たな領土を求めて帝政ロシアとオスマン帝国がやって来た。

やがて両国の紛争に発展しアルメニア人もその争いに巻き込まれることになる 

やがてアルメニア人が住んでいた領土は帝政ロシアとオスマン帝国によって分割統治されることになる 

聖地エチミアジン(元アルメニア領)を含む今のアルメリア領土は そっくりそのまま帝政ロシアの新領土となった

一方 オスマン帝国は異教徒であるアルメニア人とロシア人が結びつくのを襲て

オスマンの新領土(アララト山付近)に住んでいたアルメニア人を強制移住せせる

難民となった多くのアルメニア人は砂漠の中を歩き 多くの家族が生き別れとなった 

そのとき150万人の人が生き別れになったとされている

100年以上たった今でもトルコとアルメニアは険悪な関係にある

トルコは その時アルメニア人が30~50万人が事故死したと主張 一方アルメニア側は150万人がオスマンにより虐殺されたと主張している
 
欧米の見解は被害者のアルメリアより 海外ではアルメニア本土の倍にあたる600万人のアルメニア人が暮らしている

アルメニアにはこれと言った産業がなく失業率も18~20%と高い アルメニア経済は海外のアルメニア人によって支えられている

そんな海外に住むアルメニア人が世界に この悲劇(オスマンによる殺害事件)を訴える活動をしている

第1次大戦後 敗北したオスマンは多くの領土を失い その時 セーブル条約によりアルメニアの独立も容認された

その時 未確定の国境も定まり聖地アララト山はトルコ領土に組み込まれ今に至っている

1920年代 アルメニアはソビエトに組み込まれ経済はひえいする

さらにオスマン時代にはなかった宗教弾圧がスターリンによって行われる

1953年 スターリンの死後 中央集権化から地方集権化に移行する なおもアルメニア経済は悪化し続ける

(地震)
ソビエト時代 犠牲者5万5千人を出す震度7の直下型地震が発生している

独立時 紛争があった 独立してもなおソ連の名残がある アルメニア人形とロシアのマトリヨーショカが隣り合わせで売られている

ロシアのマトリヨーショカ
アルメニア人形とロシアのマトリョショカ
アルメニア人形

<料理>
 ボルシチなどロシア料理も多く食べられている もう一つのロシア料理ピロシキはアルメニア風に作られる

アルメニア風のピロシキ

(パフラバ)蜂蜜と胡桃(クルミ)のパイ 誕生日のお祝いの時に出されるひし形上のお菓子

コーカサス地方と中東トルコと幅広い地域で食べられているお菓子

アルメニアではブランデーと胡桃で作られるが イスラム教徒の多い中東ではローズウォーターとピスタチオで作られる

パフラバ

(トルマ)ひき肉をブドウの葉で巻いて煮込んだ正月料理の一つ

トルマ

アルメニアは1991独立を果たす


<もくじ>
1 基本情報&歴史
2 首都エレバン