テスト


ハッダ(パキスタン ペシャワールから約130キロ)

半世紀を超える調査の結果 ここは唐(中国)を超える数の仏教寺院があった事が分かった

等身大のクシャナ王の像など 1万5千体以上の仏像も見つかった しかし戦争で失われ今は写真が残るのみとなった

ギリシャ女神と大仏 その隣にはヘラクレスの像 さらにはアレクサンダー大王の像まであった

ハッダ  ガンダーラ仏教遺跡 
ギリシャ人が作った仏像

仏像づくりにギリシャ文明が大きな影響を与えていた

2300年前 ギリシャ他 ユーラシア大陸を統治していたのはアレクサンダー大王(ギリシャ人)だった

大王アレクはギリシャからインドの近くまでの巨大な帝国を築いていた偉大な人物である

大王は帝国各地の軍事拠点にギリシャ人を残していった

ガンダーラにも多くのギリシャ人が残った

アレクサンダー大王の大遠征から100年後 残されたギリシャ人たちで

ガンダーラ地方(現アフガニスタン東部とパキスタン北西部)に国を作る

ちょうどそのころ ガンダーラのギリシャ人はインドから伝わった仏教を知る

当時 仏教は まだインドに存在する数多い宗教の中の一つに過ぎなかった

初期の仏教 仏教徒は森の中で修行する 一日の大半を瞑想して過ごす

初期の仏教は仏像などの偶像するものを持たない 質素な宗教であった

ガンダーラでギリシャ人が仏教を知ってから300年後(※ガンダーラ仏教が誕生してから300年後)

仏教徒の数が急激に増え 多くの寺院が作られるようになった

(ラニガト遺跡)
当時 最大の寺院が建っていた 15メートルを超える仏塔もたっていた

大きな仏塔を囲むように大小さまざまな40の仏塔が建てられた

今は台座のみが残っている 仏塔の上に仏塔が重なるように増築さてた仏塔もある

ラニガト遺跡
ラニガト遺跡の仏塔跡 (4)
ラニガト遺跡の仏塔跡 (3)
ラニガト遺跡の仏塔跡 (2)
ラニガト遺跡の仏塔跡 (1)

遺跡からは その当時まだ存在していなかったはずの仏像も多く出土している

1900年前 クシャーン王(クシャーナ朝1~3世紀)が仏教に大きな影響を及ぼした。

等身大の王の像も発掘されている 

当時 ブッタの姿を見たいと願った人が大仏を作ったとされている

クシャン人にとって拝む対象のない宗教はなじみにくかった

その後 日常的に仏像が作られるようになっていった

クシャーン人はペルシャ系(イラン系)の民族だが もともとは遊牧民であった

ソグド人と同じゾロアスター教を信仰していた ウズベキスタン人の中にクシャーン人の名残がある

クシャーナ朝は山脈を超えカブールと中央アジアを征服しガンダーラへと向かった

その後 インドの北半分を制圧する 

さらに クシャーナ朝は ローマと後漢の間のシルクロード貿易の要所を抑えた

クシャーナ朝の王 カニシカ王 パキスタンのペシャワールを都とした

カニシカ王が描かれた金貨 ローマが発行したものと同じ重さ

カニシカ王が書かれた硬貨

コインの裏にはインド(ヒンドゥー教)のシヴァ神 イラン(ペルシャ)の神アモネスが描かれていた

インドヒンドゥーのシヴァ神
イランのミトラ神
ギリシャのアモネス神

クシャナ朝 カニシカ王は多くの宗教を尊重していた

<アフガニスタンの その他の名所>


ヒンドゥークシュ山脈

 

アフガニスタンの東 タジキスタンとパキスタンに挟まれた場所 地図上では尻尾のように細いところ

ブッタの死後500年後 この山脈を超え仏教は広まった

ヒンドゥークシュ山脈


スルフ コタール遺跡(場所不明)

 

スルフ コタール遺跡


<もくじ>
1基本情報+歴史(料理)
2バーミヤン仏教遺跡
3ハッダ ラニガト仏教遺跡
~ガンダーラ仏教の成り立ち~