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モミの木教会

モミの木教会_R

トランシルバニア

トランシルバニアとは森の向こうと言う意味

2000年以上の歴史を持つ町

15世紀~17世紀にかけたくさんの教会や要塞が作られた

うち7つが世界遺産に登録されている

オスマン帝国はハンガリー帝国とローマ帝国を攻め落とそうとしていた。

そのちょうど中間地点となるのがトランシルバニア地方であった

神聖ローマ軍は戦いの最前線となったトランシルバニア地方にドイツ人を派遣した。

そのドイツ人がトランシルバニアに教会や要塞を築いた

現在はオスマンも滅びトランシルバニアの住民だったドイツ人も祖国へと帰っていった。

そしてドイツ人が築いた建物だけが残された。

トランシルバニアの女性は若い時は赤い服を着て年を取ると黒い服を着て過ごす

神聖ローマ、ハンガリー王国、オスマン帝国の支配地図_R
神聖ローマからトランシルバニアへドイツ人を派遣_R

アルバユリア

アルバユリアは1584年から100年近くトランシルバニアの首都だった

トランシルバニアはいくつかの山脈に囲まれ自然の防波堤の役目をはたしてきた。

アルバ ユリア
アルバ ユリア(星型要塞)_R

プレシュメル要塞

高さ12メートル 壁の厚さは9メートルもある

白い壁の穴からは熱湯が放たれた。

教会の柵は槍で出来ていて敵が来た時には頭上から尖った策が落ち串刺しにした。

また要塞は住民250人の避難場所となった

プレシュメル要塞教会_R
プレシュメル要塞教会 (2)_R
プレシュメル要塞(上空から撮影)_R
ドラゴが行っていた串刺し処刑の絵_R

シビウ

トランシルバニアの古都 

12世紀 時の王様がドイツから腕のいい職人を呼び寄せ作った町 

町の中心部にはドイツ人が建てた東方正教会が建っている

ドイツの職人たちはギルドと言う労働組合を結成した。

15~16世紀には シビウは ときどきオスマン帝国の攻撃を受ける 

20世紀 第2次大戦後 ルーマニアは社会主義国家となり シビウに暮らしていたドイツ人は故郷に帰っていった

革命前まではチャウセスクの息子がシビウの市長を務めていた。

ルーマニア革命の際はシビウでも銃撃戦が発生し100人以上が亡くなった

シビウ_R
シビウ1_R
シビウ2_R
シビウ (2)_R

いやらしい目の屋根(シビウ)

いやらしい目の屋根(シビウ)_R
スケベ目の屋根(シビウ)_R
シビウ(人の目のような屋根)_R
いやらしい目の形をした屋根(シビウ)_R

シビウの演劇

シビウは古くから演劇が盛ん 毎年5月に世界3大演劇祭の一つがシビウで開かれる

シビウの演劇_R

泥温泉(シビウ)

泥温泉(シビウ)_R

コルヴィン城

確かな記録はないがブラド3世が幽閉されたとされる城

城内に拷問器具が展示されている

コルヴィン城_R
コルヴィン城の拷問器具_R

ビエンタン

ドイツ系住民が作った町

シリショアラのシェルデシュチ教会

美しい中世の町が残っている 山の中にはチャウセスクが建てた別荘が残っている

シェルデシュチ教会_R
シェルデシュチ教会(内部)_R

マラムレッシュ(木造教会)

森に囲まれたこの地には数多くの木造建築が建っている うち8つが世界遺産に登録されている

カルパチア山脈のふもとの村々にヨーロッパ一高い 木造建築が残っている

マラムレッシュの木造建築2_R
マラムレッシュの木造建築_R
マラムレッシュ地方の木造建築_R

聖堂天使教会

18世紀の中頃 村人たちが建てた教会

教会の建物はキリスト教の体そのものと考えられ釘を一本も使わずに建てられた

高さ72メートル 屋根瓦は1枚1枚 モミの木で出来ている

ギリシャカトリックはギリシャ正教とローマカトリックが結合して建てられている

建築には11年も乾燥させた木材を使用している

吹き抜けの一番高いところに鐘がつるされている

朝の5時 村人を起こすために鐘が鳴らされ その次は昼食の時間を知らせる12時に

夜8時には就寝の時間を鐘の音で知らせる  この村では240年間 毎日ずっと鐘が鳴らされている

外観には色付けされていないが内装は色鮮やかに塗られている

内装の絵には怪物や天動説が書かれている

瓦の形が燕のしっぽと言われている

赤ちゃんが森の木のようにすくすくと育ってほしいとの願いを込めたまつりが開催される

家の柱には彫刻が彫られ 魔よけの意味を込め色が付けられていた

聖堂天使教会 鐘_R

ローマ皇帝 トライヤヌスの記念樹

2世紀 ローマ人は領土拡大のためダキア人を攻略した。  

ダキア人はオオカミを神と崇める民族

ローマ人のダキア侵攻(2世紀)_R

モルドヴァ修道院

500年前に描かれた絵が壁一面に描かれている

内容はコンスタンチンノーブル包囲戦の様子 この世の終わり最後の審判の様子も描かれている

モルドヴィツァ修道院_R
モルドヴィツァ修道院 壁画_R
モルドヴァ修道院(壁画)_R
モルドヴァ修道院(壁画2)_R
モルドヴァ修道院_R

ブラショフ

ルーマニア中央 カルパチア山脈のふもとの町

教会のような造りの小学校は築500年 今は博物館になっている

ブラショフの旧市街は1600年代ドイツ人が町に城壁を築きルーマニア人を追い出して作った町

町は今でもドイツの街並みとよく似ている ドイツ名の地名はクロンシタップ

ドイツ人がこの町へくる以前は多くのスラブ人が住んでいた。

ブラショフ(上空)_R
ブラショフ_R
ブラショフ2_R
トランシルバニアのブラショフ_R

ブラショフ駅

1872年に完成した古い駅舎

ブラショフ旧市庁舎(現博物館)

1420年に建てられた 高さ65メートルの建物

教会は80年かけて建てられた。

教会の屋根の上には建設中に転落死した子供をしのんだ像がある

ブラショフはドイツ職人により武器や医療器具などが多く作られた

博物館には かつて使われていた処刑台も展示されている

ブラショフ旧市庁舎_R

トゥンパ山

標高865メートルの頂上からの景色がいい

眼下に中世に建てられた赤レンガの民家郡が望める

またロープウェーを使えば頂上まで数分で到着する

トゥンパ山 頂上からの景色_R

ユダヤ教会

ユダヤ教会にはユダヤ人が多く住んでいる

ユダヤ教会_R
ユダヤ教会(外観)_R

黒の教会

1384年から84年かけて建てられた高さ65メートルの後期ゴシック建築

当初は聖マリア教会と言われていた 

16世紀オスマン帝国の攻撃を受け 教会は黒焦げとなった

1689年にも オーストリア ハプスブルクの攻撃を受け黒焦げになった外壁が残っている

壁には攻撃の際受けた弾丸の後が残っている

黒の教会_R
黒い教会の弾丸跡_R

聖ミハイル教会

聖ミハイル教会_R


<目次>
1基本(歴史&料理)
2ドラキュラ伝説と陽気な墓
3ブカレスト
4トランシルバニア
5シギシュアラ&ドナウのペリカン&隣国モルドバ