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紀元前7世紀 アッシリア帝国の全盛期 

紀元前7世紀頃 アッシリア(現イラク北部)がバビロニア地方(現イラク南部)を支配する

そのときイラク北部に拠点を置いたアッシリア帝国はエジプトまで領土を広げ繁栄期を迎える 

アッシリアは都をアッシュールから(コルサバド/コルサバード、Khorsabad 現イラク北部)へと移した

その後もニムルドやニエベへと何度も都を移した

アッシリア時代の古代都市名 ニネヴェ ニネベ(英語: Nineveh)

ニネベは もともとアッシリア王家の居住地であった また肥沃な農業地帯でもあった

またニエベはアッシリア時代の最後の首都となった

古代都市ニネベの想像図
ニネベ2
ニネベ
ニネベ (3)
ニネベ (2)

紀元前700年 アッシリアの残虐王アッシュールバニパル

初代ニムルドの王は残虐で知られるアッシュールバニパル王

反乱の知らせがあると数100キロ離れた場所でも駆け付け鎮圧したとされている

その際 女子供に至るまで残虐の限りを尽くして殺したとされている しかし反乱の鎮圧が 領土拡大につながった

またアッシリアの兵も凶暴で殺戮を繰り返しながら領土を広げていった 捕虜は自国の労働力又は奴隷となった

アッシュールバニパル王(初代ニムルド国王)
アッシュルバニバル王

紀元前700年 アッシュルバニパル王のライオン狩り

実は王の中でも教養に優れていたと言われるアシュルバニパル王 王が行ったライオン狩りの彫刻が残されている

アッシリア王のライオン狩りの様子が彫られている 紀元前7世紀に作られたもので今はイギリスの大英博物館に展示されている

王のライオン狩りは市民をライオンから守るという目的で行われていた

アッシュルバルパル
アシュツバニパニ王のライオン狩りの様子

狩りの様子は右から左へ4コマ漫画のようにストーリー仕立てで彫られている

ライオンのオリを開ける役の子供も安全のためオリの中へ入っている オリの中から外のオリを開ける仕掛けになっている

絵には戦車を使ってライオンを退治するアッシュルバニパル王の姿が彫られている

王はライオンよりも大きな姿で描かれている 王が構える弓の先には逃げ迷う多くのライオンの姿が彫られている

ライオンの口からは すっと抜ける 魂の様子が彫られている

王のライオン狩り 口から魂を吐くライオンの姿

王は図書館を建設 館内は くさび形が刻まれた粘土板が2万数千展 保管されていた

ニネベの図書館跡 遺跡

イギリス大英博物館にはバニパル王が妻と杯を交わす彫刻が展示されている

しかしその彫刻はニネベ陥落の際 王と王の妻の顔は削り取られてしまった

紀元前627年(紀元前7世紀)アッシュールバニパルが亡くなると 広大な帝国の維持が難しくなり 宮廷内で内紛が起こり 急速に衰退していく

アッシリアの王家の墓

(アヌとアダト神殿 イラク北部)歴代アッシリア王の石棺が置かれている 大きなアリ塚のような形をしている

そこには人が通れる通路が開けられている 中の構造を見るために開けられた穴

アヌとアダトの神殿

1989年 イラクの考古学者が偶然 アッシリアの王家の墓を発見した

ヤーマと言う女王の墓だった 墓に備えられた宝石は全部で400点 総重量は220キロ

墓には それらの財宝に手をかけた物への厳しい呪いの言葉が書かれていた

アッシリア王家の墓に書かれた呪いの言葉
アッシリア王家の墓で見つかった財宝の一部 (2)
アッシリア王家の墓で見つかった財宝の一部 (1)

紀元前612年 アッシリア帝国の滅亡

(紀元前624年 紀元前7世紀)新バビロニア王国を結成する 

繁栄を誇ったアッシリア帝国とニネベは新バビロニアにより滅ぼされる そしてバビロニア王国は紀元前7世紀には エジプトをも支配する大帝国となる

全盛を誇ったバニパル王の死から15年後の事であった そのときニネベの都は徹底的に破壊され アッシリア帝国は跡形もなく滅ぼされた

大英博物館のライオンに襲われる人の展示物はニムルドの井戸に捨てられていた物

ライオンに襲われた人

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バベルの塔とイシュタル門
(新バビロニア帝国)

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