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ブハラ歴史地区

 
9世紀に大繁栄するが1220年にモンゴル軍の襲来にあい町は壊滅する

今ある街の姿は16世紀に造られた

ブハラ3
ブハラ2
ブハラ

5月中旬にシルクとスパイスのフェスティバルが行われる

シルクとスパイスのフェスティバル2
シルクとスパイスのフェスティバル

(カラーン モスク)288の丸屋根からなる建物

ブハラ カラーンモスク
カラーンミナレット

(カラーンミナレット)高さは約46メートル

内部は105段からなるらせん階段があるが現在登ることはできない

18世紀~19世紀にかけて袋詰めにされた囚人が塔の上から落とされる死刑執行が行われていた

最後の死刑は1884年 チンギスハーンの襲来と大地震と言う2度の試練を乗り越えいまだに立ち続ける塔

ブハラのシンボル的存在

(ナディール ディヴァンベギ メドレセ)
4月~10月まで民族舞踊ショーが行われる

ナディール ディヴァンベギ メドレセ
ナディール ディヴァンベギ メドレセ 民族舞踊ショー

(チョル ミナル)1807年 大富豪によって建てられた4本の太いミナレットが特徴的なモスク

チョル ミナル

(マゴキ アッタリ モスク)1936年まで砂に埋もれていたモスク

マゴキとは穴の中と言う意味で その名の通り 周囲の5メートルの穴を掘り その中に建てられたモスク

6世紀には仏教寺院が建てられ その後アラブに支配されるまではここでバザールが開かれていた

その後ムスリム商人によってイスラムモスクの礼拝堂となる 創建は9世紀

現在 内部は絨毯博物館となっている

マゴキ アッタリ モスク
マゴキ アッタリ モスクの内部

(バザール タキ)

ブハラのバザール タキ
タキ

(ウルグベク メドレセ)※サマルカンドにも同じ名前の建物がある※

1418年に建てられたイスラムの神学校 中央アジア最古の神学校

ブハラのウルグベク メドレセ

(アブドゥールアジス ハン メドレセ)
ウルグベク メドレセより200年後に建てられた建物 

色彩が昔の物より鮮やかになっている

アブドゥールアジス ハン メドレセ2
アブドゥールアジス ハン メドレセ

(ミル アラブ メドレセ)ソ連時代も活動していたアラブ神学校

ミル アラブ メドレセ

(アルク城)2000年以上の歴史のある城だが

過去にモンゴル軍の襲来などで何度も破壊されたがその都度再建されてきた

1920年にソ連軍に侵攻されるまで歴代ブラハ ハンの居城として使われてきた。

アルク城
アルク城の城壁

(ボラハウズ モスク)1712年に建てられた20本の柱からなるモスク

ボラハウズ モスク

(チャシュマ アイユブ)眼病に聞く泉が湧き出ている

チャシュマ アイユブ

(イスマイール サマーニ廟)892年~943年にかけて建てられた モンゴル軍襲来の時 

幸い建物は土に埋もれていたので 破壊されずに済んだ

イスマイール サマーニ廟2
イスマイール サマーニ廟

(スィトライ マヒ ホサ宮殿)1911年に建てられた西洋風の建物

スィトライ マヒ ホサ宮殿2

(ギジュドゥヴァン)

ギジュドゥヴァンの陶器

(パイケンド)ブハラから約50キロのところにある遺跡 

かつてこのあたりの中心地はブハラではなくパイケンドであった

1981年からウズベキスタンとエルミタージュ美術館(ロシア サンクトペテルブルク)の共同発掘が行われ5000以上の資料が見つかっている

紀元前4~3世紀 アラブ人がやってくるまでソグド人の町があった

11~12世紀ごろザラフシャン川の浸水が進み町は次第に衰退し やがて廃墟となった

パイケンド遺跡

(バハウッディン)中央アジアではメッカに次ぐ聖地

バハウッディン

(ブハラの日本人墓地)シベリア抑留ののちに亡くなった159人の日本人墓地

ブハラの日本人墓地2
ブハラの日本人墓地


<もくじ>
1基本情報&文化と料理
2タシケント
3サマルカンド
4ヒヴァ
5ブハラ
6その他の名所