テスト

ー歴史ー

紀元前6世紀 まずスキタイ人(イラン系 騎馬民族=サカ族)がこのあたりを統治する

サカ族はカザフスタンや中央アジアに多くの遺跡を残している

サカ族

紀元前3世紀頃には別の騎馬民族サルマート人がやって来る ローマ  ペルシャやギリシャの影響を強く受ける

4~6世紀 ウクライナ人の祖先となる東スラブ人がやって来る  スラブ人は隣国ベラルーシやロシアと同じ民族

さらに北欧のバイキングもやって来る 当時ルーシと呼ばれていた人々 のちにキエフルーシとなる

ウクライナ人
スラブ人
北欧 バイキング

8世紀頃 キエフルーシがキエフ公国を立ち上げる

10世紀には キエフルーシ キエフ公国は 東ローマ帝国 ビザンツ皇帝の妹を妃に迎え入れる

そこでキエフ公国にギリシャ正教が取り入れられる 文化的にビザンツ化(ギリシャ化)される

そのことが その後のロシアとロシア周辺国の文化にも影響してくる キエフは政治 経済 文化の面でおおいに栄える

キエフ公国は 王族の兄弟や親族が それぞれ分割して統治していた 次第に王族たちの意見の違いから国が分裂していくことになる

12世紀には10~12個の国に分裂する その中には のちのロシアとなるモスクワ公国も含まれている

13世紀 モンゴル帝国がやって来る 数々の公国がモンゴル帝国の手に落ちる

1240年 約600年続いたキエフ公国も滅亡することになる

1453年 ビザンツ帝国もオスマントルコに敗れ滅ぼされる 一方 モスクワ公国は存続を保つ

1480年までの約200年間 タタール人(モンゴル系イスラム教徒(アラブやトルコも同じ系統)が統治する 

タタール人

同じ頃 武装集団と化したコサック民族(スラブ系)がこの地にやって来る 

ドニエプル川沿いにザポレーゼシーチと言う要塞を築き 

のちにザポーレーゼコッサック(集団名)と呼ばれるようになる
 

その後 ポーランドとリトアニアがやって来てウクライナのあたりを併合する 

コサック民族からなるザポーレーゼコッサックはポーランド軍の一員として戦っていた。

ただ クリミア半島だけは タタール人からなるクルムハン国が支配し続け

黒海とクリミア半島

ザポーレーゼコッサック単独でクルムハン国と戦うこともあった ただのちにポーランドと戦うためにコサックとクルムハン国は同盟を結ぶ

1569年 リトアニアとポーランドが合併しポーランド・リトアニア共和国となる 

1648年 ザポーレーゼコッサックの中の(ボブランフレムニツキー?)と言う人物がリトアニアポーランドに反乱を起こす。

それがウクライナの独立運動へとなっていく 力をつけたザポーレーゼコッサックは一時期 ポーランドのワルシャワまで進行する

キエフにコサックからなるヘトマン国を結成する そのヘトマン国はモスクワのロマノフ王朝に支援を求めるがヘトマンはロマノフに吸収されてしまう

続いて コサック ヘトマンに変わって帝政ロシア ロマノフ朝がポーランドと戦うことになる

1667年 戦いは終結し ドニエプル川の東側とキエフは帝政ロシアの領土となる 一方 西側はポーランド領となる

ちょうど今のウクライナを半分に分けたような形となる  ただクルミア半島だけはオスマン帝国が支配していた 

当時のロシア皇帝 ピョードルは黒海を占領 悲願であった凍らない港を手に入れる

ピョードル一世

ピョードルの後継ぎ  女帝エカテリーナ2世は クリミア半島の領有権を手にするため オスマントルコに宣戦布告する

第1次露土戦争=ロシア王朝VSオスマントルコ(1768~1774年)の勃発となる 一回目はロシア(ロマノフ朝)の勝利 

露土戦争

クリミア半島はロシアの占領地となったが住民の多くはイスラム教徒でオスマンを支持していた

そこでエカテリーナ2世は ポチョムキン(兵士)を派遣し強制的にロシア化を図る

映画 ポチョムキンの戦艦や観光名所 ポチョムキンの階段で知られるあのポチョムキン

1772年 ロシア プロイセン(ドイツ) ハプスブルク(オーストリア)による1回目のポーランド分割が起こる

1787年 第2次露土戦争(ロシアVSオスマン)が起こる クルミア半島のロシア化が戦争勃発の原因となった  ロシア側にはオーストリア(ハプスブルク)がつく

一方 オスマンにイギリスとスウェーデンがつくが しかし両国は のちに手を引く

その結果 2回目もロシアの勝利(連勝)となり クリミア半島は完全にロシアの領土となる  

1793年 2回目のポーランド分割が起こり 1795年 3回目が起こり ポーランドは一時 地図上から滅亡する

それによりウクライナの西半分も帝政ロシア領となる 今の領土の8割が帝政ロシア領となり 小ロシアと呼ばれるようになる

残りの2割はオーストリア ハプスブルク帝国の領土となる この状態が第1次大戦終結までの約120年間続く

1804年 ロシアはクリミア半島にセヴァストポリ要塞を築く

セヴァストポリ要塞

1853年から1856年の間 ウクライナのクリミア半島でクリミア戦争が起こる

イギリス フランス オスマン軍 VS ロシア(ロマノフ朝)の戦い 結果はイギリス フランスの連合軍が勝利!

ロシアはアラスカの領土をアメリカに売り渡すなど急激に衰退する 一方 イギリスとフランスは力をつける

クリミア戦争

ロシア最大の要塞セヴァストポリも陥落する しかし今でもウクライナ 

クリミア半島の付け根にはロシア軍基地がある 黒海に面した要塞のような場所

1917年 第1次世界大戦末期 ロシア革命が起こり 帝政ロシア ロマノフ王朝が消滅する

ロシア革命

そこでウクライナに独立のチャンスが巡って来る ウクライナでも独立勢力が誕生する

一方でウクライナの独立を認めない ソ連の臨時政府も誕生する ソ連軍がキエフを占領する

1920年 ポーランドとソ連の間で戦争が起こり ソ連領が一部 ポーランド領となった

それらの地域はのちにチェコやスロバニアやルーマニアとなって独立する

1930年 ウクライナも集団農場化される 大失敗に終わり食糧危機が発生する 集団農場化でウクライナでも350万人が亡くなったとされる 

その350万人の死者はポルポトやウガンダと同じ大虐殺が行われた可能性もあるとされている ソ連がウクライナ人に行った大虐殺

ホロドモールと言う 400万から1450万人が殺された

ホロドモールを追悼するモニュメント(キエフ)

1941年 ドイツがソ連に侵攻 ウクライナ全土がドイツ軍の手に落ちる 

ウクライナでも 占領される前に 一斉に移住する焦土作戦も行われた 工業地帯の住民380万人が工場設備と一緒に一斉に移住した 残ったウクライナ人200万人がロシア側につき あとの30万人がナチス側についた

カナダにはウクライナ人コニュニティーがあり ナチス側についた人々は戦後 カナダに移住した。

第二次大戦末期には戦勝国の領土分配 ヤルタ会談がクリミア半島で行われた
 
第二次大戦後 この地域は独裁者スターリンにより急激なロシア化が進むようになる

1954年 フルシチョフがソ連国内の当時 ロシア共和国内にあったクルミア半島をウクライナ共和国にプレゼントする

そのことがソ連崩壊後のクルミア紛争の発端となってしまう

その時は まさか将来 ソ連邦が崩壊し ロシアとウクライナが別々の国になるとは思っていなかった

1986年 チェルノブイリ原発事故が発生する

チェルノブイリ原発

1989年 ソ連周辺で東欧革命が次々と発生する

1990年 ウクライナでも独立を求める30万人の人間の鎖が行われた

1991年 ソ連でクーデターが起こり 先にロシア エリツィンがソ連から独立する 国民投票の結果ウクライナも独立 

そのときはロシア系住民の多いクリミア半島でもウクライナ独立支持の票が多かった 

①ウクライナ ②アゼルバイジャン ③モルドバ そして ジョージアの 4か国はロシアと仲が悪い

ロシアと仲の悪い4か国の地図

2014年 ウクライナ騒乱があり 政権が天転覆し 大統領はロシアへ亡命する

その後 ロシアのクリミア併合へとつながる

ウクライナの歴史 まとめ

8~13世紀 キエフ公国時代(今のウクライナ人と同じスラブ人系国家)の約600年 

紀元8世紀 ロシア文化の発祥となるキエフ公国が誕生する

12世紀 キエフ公国は10以上の国に分かれ分裂 

その中には のちのロシアとなるモスクワ公国も含まれている

実はそのロシア人が その後 ウクライナ人を約400年間 苦しませることになる

13世紀 モンゴル襲来を受け 約600年続いたキエフ公国も滅亡することになる

13~16世紀 モンゴル系 タタール人支配の時代の約200年 

武装集団 コサック民族(ウクライナ スラブ系民族)が対抗する

16世紀 ポーランドとリトアニア
(民族はウクライナと同じスラブ系の白人)の支配時代 

コサック民族(ウクライナ スラブ系民族)が対抗する

17世紀 ポーランドとロシア(ロマノフ朝)が戦争し結果 
ウクライナの領地はロシアとポーランドで分割統治される

18世紀 ポーランドは一度消滅し ウクライナのほぼ全土が帝政ロシア領となる
※一部オスマントルコとハプスブルクが支配

20世紀 帝政ロシアが消滅し ウクライナはソ連と統治下に置かれる 

ソ連統治下のウクライナではソ連によるウクライナ人大虐殺が行われ数百から数千万人が犠牲となる

第2次大戦では ウクライナは一時ナチスドイツの占領下におかれる 反ナチスのパルチザンが活躍

戦後 ウクライナは再びソ連の支配下に置かれる

1986年 ソ連統治下のウクライナでチェルノブイリ原発事故が発生する

1991年 ソ連でクーデターが起こり 
先にロシア エリツィンがソ連から独立する 国民投票の結果ウクライナも独立 

そのとき13世紀の蒙古襲来依頼 実に800年ぶりにウクライナ人に国が戻って来る

独立後 一時は良好であったロシアとの関係が悪化し ロシアにクリミア半島の領土を奪われてしまう

現在ウクライナでは 反ロシア EUよりの政権が誕生したが 
2020年 現在 まだEUには加盟していない

<目次>
1ウクライナの基本情報
2ウクライナの歴史
3チェルノブイリ原発事故
4キエフ
5オデッサ 
6ウクライナの西北部
7クリミア半島