テスト

————————————-2クチャ キジル石窟(ウイグル西北部)

クチャ

 シルクロードのオアシス都市 14の民族が暮らす 青い目に白人系の人種とウイグル系が最も多い

町には立派な絨毯も売られている 昔から鉄づくりが盛ん

清朝の時の城壁が残る 

1759年 乾隆帝の頃 クチャ王国は人民共和国(共産国家)建国まで12代続く世襲制国家だった

クチャ王府

 乾隆帝(清朝)や初代クチャ王ミーアルザウートゥイの絵が飾られている

初代クチャ王ミーアルザウートゥイ
クチャ王府 12代続いた王朝  キジル王国 18世紀 清朝が建設  

12代クチャ王(ラストエンペラー)は86歳で今も健在? 14歳の時に王に着いた

12代クチャ王(ラストエンペラー ダウド・メスト王)

阿薩故城(クチャ郊外)
 

(亀茲きじ国 4世紀ごろ存在した国)
 

2世紀 建国以前のきじ国は北方の匈奴(きょうど北方モンゴル系)の勢力にあった その後 漢に占領される

当時 クチャのオアシスは農産物が豊富だった 

335年 くまらじゅが生まれる11年前 キジ国は漢族の軍に焼かれた

46年後 くまらじゅが35歳になったころキジ国はやっと復興した。しかしその後長安(西安)から7万の軍勢がやってきて

4世紀の戦国時代 漢族も騎馬民族も分裂し争いを続ける ついにくまらじゅのおじにあたるキジ国の国王も捕まる

ぜんしん(国)が攻めてきて キジ国の国王は殺される 

413年 69歳でくまらじゅもなくなる 日本に仏教が伝わったのはそれから120年もあとの事 

くまらじゅ 4世紀 亀茲国(きじこく仏教)の王子

くまらじゅ2

キジル千仏洞

キジル石窟

キジル石窟(又はキジル千仏洞)(市内から約70キロ) 

砂漠に緑の木が生えているところに石窟がある  高さ27メートル 東西2キロ

3~9世紀にかけて彫られた 全236~339か所の石窟 

キジル石窟 壁画
キジル石窟 3~9世紀 亀茲国
キジル石窟

4世紀には1万の僧侶がいた 敦煌に次いでシルクロードで2番目の規模

窟の半数が僧房 後の半数が壁画の窟 壁画の黒い人は赤色が変色したもの 

キジルには敦煌にも影響を与えた壁画がいくつもあった

ラビスラズリと言うアフガニスタンでしか取れない青い顔料は5000年前のエジプトツタンカーメンのマスクにも使われた塗料 

19世紀にフランス人が人口のウルトラマリンを作るまで青はこの原料しかなかった

中国では るり と呼ばれている 顔料は金や銀に匹敵する値段で取引された 

ラビスラズリ (アフガニスタン産の顔料)
僧房

 
壁画には ソグド人 ペルシャ系の人々が描かれている  懐中電灯が必要 屈内は撮影禁止

ソグド人 

駱駝のキャラバン

当時のキャラバンはインドから物資だけでなく多くの経典を持ち帰ってきた 

隊長とコックだけはラクダに乗って先に目的地の到着する 残りの物は徒歩で移動

人は飲む事が出来ない塩水でも駱駝は飲むことができる  駱駝の背は揺れが大きい 上り坂では前かがみ 下り坂では後ろのめりに座るのがコツ

駱駝のキャラバン

(キジ国)

キジ国の人口は1000人から10万人へと拡大した

石窟の前には鳩摩羅什(くまらじゅ)の銅像が立っている 

鳩摩羅什はサンスクリット語で書かれた経典を中国語に翻訳した。

くまらの母はキジ国の女王 父はインドの貴族 キジ国の王子であり のちに僧侶となる 300の経典を翻訳し 中国や日本の仏教の基礎となった

色即是空(しきそくぜくう)仏教の宇宙感を現した言葉)くまらじゅが作った言葉  くまらじゅの死後 200年後 三蔵法師もここを訪れる 壁画にその様子が残っている

京都の清凉寺にくまらじゅがインドから背負って持ち帰ったとされる 釈迦如来龍族と言う 仏像が安置されている 

京都の清凉寺 仏像 釈迦如来

チャール・タグ(荒涼の山)不毛の山

(38屈)壁画にはバーミヤンの影響

チャール・タグ

スバシ故城

(市内から約90キロ 中国語: 苏巴什佛寺遗址、英語: Subashi (Buddhist Temple) Ruins 人一人通れる狭い窟 昔は豪華だった

6階建てのビルに相当する高さの放火台 ガンダーラ式の仏塔 1400年前 100の伽藍が立ち 仏教が盛んだった 

スバシ故城 3~5世紀 亀茲国
スバシ故城

クムトラ石窟
 

クムトラ石窟

クムトラ五連洞

クムトラ千仏洞

 川沿いの岸壁に築かれた石窟 前106屈 5004人の僧侶がいた 入場料500元 懐中電灯が必要

(30屈)天井に壁画

(46屈)壁画の輪郭のみ 3から4世紀の屈

7世紀には三蔵法師が訪れた 石窟にはいまだ解読されていない古代クチャ語の文字が書かれている 

4~5世紀の造営

8世紀末 吐蕃(チベット)の侵略により古代クチャ王国は滅びた 

9世紀トルコ系のウイグル族が定着 11世紀には吐蕃も滅びる

クズルカハ石窟

クズルカハ石窟

クチャ大寺(モスク)

クチャ大寺
クチャ大寺2

クチャ大府

モラナエシディンマザール(陵墓)

 (亀茲古城)

亀茲博物館

塩水渓谷
 

塩湖

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

クズルガハ千仏洞

 高さ13メートルの烽火台 懐中電灯が必要 撮影不可 車をチャターする

烽火台
クズルガハ千仏洞
クズルガハ千仏洞2

クズルガハ熢火台

クチャ神秘大渓谷(クチャ大渓谷)The Mystic Grand Canyon of the Tianshan

 水や木々はない 赤茶げた岩山のトンネル 大迫力

クチャ神秘大渓谷2
クチャ大渓谷
クチャ クチャ神秘大渓谷2

タリム川(塔里木河)全長2000キロの大河

ウイグルを東西にくねくねと蛇行しながら流れる 川岸から200メートル離れたところに川の水がある

6~8月 水量が増す しかし以前より水量が少ない 塩水 以前より畑の土に塩が混じるようになった

タリム川 塔里木河
塔里木河2
塔里木河
塔里木河4
タミル川 塔里木河

大西海子ダム

8~10月 綿の収穫時期 綿栽培は50年前に始まった わた造りには大量の水が必要 

下流には大西海子ダムがある 野生の駱駝も生息

タリム川は時代と共に流れを変えてきた かつてはシルクロードにそうように流れていた 

(飲食)

ナンには羊のバターとなたで油を使用 羊肉入りの窯焼きパン

<目次>
1ウイグルの基本情報と歴史
2ウルムチ(ウイグル東北部)
3トルファン(ウイグル東北部)
4クチャ キジル石窟(ウイグル北西部)
5ホータン(ウイグル南部)
6カシュガルとタシュクルガン(ウイグル西北部)
7イーニンとカナス湖と ナラティ草原(北部と北西部)
8アルマイ ニヤ カラマイ(北部と南部)
9ローランとミーラン遺跡(ウイグル東南部)