テスト

歴史

トルコの歴史は大きく8つに分かれる

①先史時代~青銅器時代(紀元前9500年~紀元前2000年)

②ヒッタイト時代(紀元前2000年~紀元前700年)

③ペルシャ帝国時代(紀元前700年~紀元前334年)

④ヘルニズムローマ時代(紀元前334年~395年)

⑤ビザンツ帝国時代(395年~1071年)

⑥セルジューク朝時代(1071年~1243年)

⑦オスマン朝時代(1299年~1922年)

⑧トルコ共和国時代(1922年~現在)

8000万年前の噴火によりエルジェル山(トルコ中部)が誕生した。

400~300万年前 カッパドキアで火山が噴火 火山灰溶岩は100メートル以上降り積もった 激しい噴火は1万年前まで数百万年間 続いた。

噴火が収まった後 浸食がすすみ今のカッパドキアの形が形成された。

およそ40万年前 パムッカレの地形が形成される

1万5000年前 ギョベックリ テペでは もうすでに人類が定住し農耕や宗教活動を行っていた。そのことを示す遺跡も残っている。

ギョベックリ テペ2
ギョベックリ テペ

1万1000年前 トルコのあたりで土器が発明される

9500~9000年前の住居跡 チャタルホユック遺跡(トルコ) 8000人が暮らしていた。

チャタルホユック2
チャタルホユック(トルコ南部)集落遺跡

同じく 9000年前 トルコ南部で農耕がもうすでに行われていた。

紀元前8000年~紀元前7000年頃 カッパドキアに人が住みだした。

約6000年前 トルコのカッパドキアでは もうすでに人が穴を掘り穴の中で暮らしていた。

この辺りの岩は掘削が容易だったため古くから洞窟住居が彫られていた。

5300年前 世界最古の鉄製刀(トルコ北部)

紀元前3000年(約5000年前) エジプトでピラミッドが作られていたころと同じ頃エーゲ海の小島にクノソス宮殿が築かれる

クノソス宮殿
クノッソス遺跡

紀元前3000年~紀元前2000年(約5000年前)ごろになると青銅器が作られ始める

同時期 シェリーマンが発見したトロイが最盛期を迎える。遺跡からは金の指輪やネックレスが見つかっている。

エーゲ海に浮かぶクレタ島ではミノワ文明で栄えた 島には当時の石棺が今も残っている

紀元前25世紀(約4500年前) ヒッタイトの先祖 ハットゥシャ人がトルコ東部のボアズカレ(別名 ハットゥシャ)に住み着いた。

紀元前20世紀(約4000年前) アッシリア人(イラク)がアナトリア地方(トルコ)の金や銀を目当てに移住し始める。

アッシリア人

同時期 黒海から海を渡ってヒッタイト人がトルコへ移住する。

ヨーロッパ エジプト(古代) が青銅を使っていた時代 ヒッタイトはもうすでに鉄製の武器を使っていた。

ヒッタイトは古代エジプトをも脅かす存在であった。

しかし ヒッタイトの遺跡が見つかったのはここ100くらい前で それより前はヒッタイトの存在は知られていなかった。

シュメール人(イラク)が発明した くさび形文字は北はトルコ 南はペルシャ湾まで オリエントの15か国に伝わった

シュメール語は その後 2000年間 学者の専門用語の中に使われていた

近年 楔(くさび)形文字の解読で少しずつ その実態が分かってきている

ヒッタイト帝国の支配地域
ヒッタイト帝国と古代エジプト 領土
くさび形文字

ボドゥルム(トルコ南西部)でヒッタイトの時代の沈没船が引き上げられた(1984年)

中には10トンの銅と1トンの鈴が見つかった

それらの鉄器を使い2000~3000人分の武器を製造していた。

この船の沈没事故は古代史にとって最大の海難事故であった

ヒッタイトの遺跡が見つかったのはここ100年くらい前で それより前はヒッタイトの存在は知られていなかった。

紀元前2000年(4000年前) 1万人収容可能な地下都市がカッパドキアに築かれた のちに地下都市はキリスト教徒の隠れ家となった

紀元前19世紀(3900年前) ヒッタイト帝国はロシア コーカサスからトルコ アナトリアに移住する

カッパドキアのあたりはヒッタイトが統治する

紀元前18世紀(約3800年前) ヒッタイトの王がハットゥシャに城を築く

紀元前1700年~1200年にかけヒッタイトと古代エジプトは覇権争いをしていた。

紀元前16世紀 トルコ アナトリア地方に初の統一王朝 ヒッタイト人からなるハットゥシャ王国が誕生する。

紀元前15世紀 高度な製鉄技術を持ったヒッタイトがトルコの方から攻めてきてメソポタミア地方(現イラク南部の古バビロニア地方を含む)を制圧する

ヒッタイト人

同じく 紀元前15世紀 かつて地中海に存在した伝説のアトランティス大陸が突如 海の中へ水没した。ある日突然海の中へ消えたとされている

アトランティスではミノワ文明が栄え地上の楽園と呼ばれていた。

アトランティス
アトランティス大陸

同じく 紀元前15世紀 トルコ(アナトリア平原)にヒッタイト帝国が君臨していた。 ほかの文明が青銅しか作れなかった時代 ヒッタイトは世界で初めて鉄器を使用していた。

鉄製の武器を使い鉄製の車輪を動かしていた。

紀元前13世紀の古代エジプトの記録にリキュア王国の事が書かれている

紀元前1285年 カデッシュの戦いでヒッタイト軍(トルコ)が古代エジプト最強を誇ったラムセス2世の軍に勝利する。

カデッシュの戦い2
カデッシュの戦い

紀元前1200年(前12世紀) ヒッタイトは消滅した。

ヒッタイトが滅亡した後もアナトリア地方は繁栄した。

紀元前1186年 エジプト第19王朝 ラミセス2世がパレスチナへ向け自らの軍を北上させた。

ラミセス軍(エジプト)はアナトリアから南へ勢力を伸ばしてきたヒッタイト(トルコ)と衝突した。

エジプト第19王朝 ラミセス2世

紀元前1180年 繁栄をおうかしたヒッタイト ハットゥシャ帝国が崩壊

崩壊後は ちりじりとなって分かれていった。

紀元前860年 トルコ東部にウラルトゥ王国が建国される。今でもトルコ東部のワンにはウラルトゥ時代の遺跡が残っている

ウラルトゥ王国

紀元前7世紀 トルコ西部にリディア王国が建国される

紀元前6世紀 ギリシャ建築からなるエフェソス遺跡(トルコ西部)の町が築かれる

紀元前6世紀(紀元前546年) トルコ西部のリディア王国はペルシャ(イラン)の支配下に入る

紀元前4世紀 ギリシャ マケドニア出身の王 アレクサンダー大王はイランやトルコのあたりを占領し大帝国を建国する

ギリシャ人 アレク

大王の死後 帝国は分裂しコンマゲネ王国(小国家)が建国された 

コンマゲネ王国

コンマゲネ王国はアレクサンダー大王の後継者 セレウコスが築いたセレウコス朝(イラン系)の流れをくむ王国 セレウコス朝の属国

セレウコス朝の属国でありながらもローマ帝国と協力関係にあった。

数百年後にはコンマゲネ王国はローマ帝国の属国となる

ローマ帝国の領土

紀元前400年 フェティエ(エーゲ海 トルコ西南部)の岸壁に造られたアミンタス王墓遺跡

紀元前334年 ギリシャ マケドニアのアレクサンドロス大王が遠征でイスタンブール(トルコ)を訪れている

当時アナトリア地方(トルコ)はペルシャ帝国の領土にあり多くの遊牧民が暮らしていた

イスタンブール周辺は ちょうどギリシャとの国境になり

イスタンブールはアレスサンドロス大王が本格的に大遠征を始める出発地点ともなった場所

その後 アレクはペルシャ帝国を滅ぼし大帝国を築く

アレクの死から20年後に作られた棺がトルコのイスタンブールにある

アレクの棺3
アレクの棺2

棺の彫刻にはギリシャとペルシャの戦いの様子が彫られている

(トルコ ビガ川 グラニコス川の戦い)でアレクの最初の戦いが行われた 結果はアレクの勝利

グラニコス川の戦い

アレクは金銀財宝を手にし さらに捕虜3万人を奴隷にした 地中海に沿って南下しアジアを目指した

(トルコ ダスキュレイオン)

ダスキュレイオン遺跡からの出土品

紀元前300年ころコンヤに初めて人が住み始めた。

紀元前3世紀 アッパース朝(イラク)はトルコ西部ベルガマに都を開いた 丘の上にはギリシャ風の遺跡が残っている

アクロとは高いという意味でその名通り丘の上にギリシャ神殿の様な遺跡が残っている

エーゲ海を象徴する遺跡でもある

アッパース朝の領土拡大

紀元前282年 トルコ西南部にアッタロス朝ペルガモンが建国される

アッタロス朝ペルガモンの領土

ベルガモン ユウメレス2世(又はエルメレス2世)は東の守りとしてパムッカレ温泉の丘にヒエラポリス(町)を建設した。

廃墟となった遺跡温泉もある

ベルガモン ユウメレス2世

紀元前253年 ローマのコインに描かれていていたのはエルジェル山(トルコ中部)の火山噴火だとされている。

紀元前2世紀ごろ 始まったシルクロード時代

イスタンブールは陸路で運ばれれてきた荷物をいったん仮置きする場として使われた。

その後 物資は船を使いイスタンブールから世界各地へ運ばれた。

同じく 紀元前2世紀 アンカラにローマ帝国の大浴場が建設される

浴場付近からは古代エジプト ラミセス2世のお守りも発見されている。

アンカラにローマ帝国の大浴場

同じく 紀元前2世紀 緑豊かなアナトリア高原でコンガネス国が栄える 

同じく 前2世紀 トルコでギリシャとペルシャの東西文明が融合しヘレニズム文化が生まれた 特に彫刻技術が格段に上達した

ヘレニズム文化

紀元前133年 ベルガモン王国はローマ帝国の属国となった。

トルコ西南部ペルガモン(現ベルガマ)には この時代 築かれたローマ遺跡が多く残っている。

ローマ帝国はペルガモンを拠点にアナトリア(トルコ)全域を支配していった。

トルコはローマ帝国とベルガモン王国に分断される形で支配されていた。

ローマ皇帝 ハドリアヌス によってトルコの丘の上にヒエラポリス古代都市が築かれる

紀元前2世紀 イズミールにアレクサンダー大王がアゴラ(広大な市場)を建設した。

紀元前1世紀 アルメニア王国を建国 今のアゼルバイジャン全土とトルコの一部

さらにカスピ海から地中海までの広い範囲を支配した大国 

同じく 紀元前1世紀 モンゴルから匈奴がトルコを侵攻する

匈奴(モンゴル)から来た騎馬民族は やがてフン族となる

モンゴルで栄えた突厥がトルコ人の先祖となる

匈奴
匈奴人
フン族

紀元前1世紀 ネムルト山にコンマゲネ王国の円すい形の王墓遺跡が築かれる

紀元前70年ごろ トルコのあたりは古代ローマの支配下に入る

ローマ帝国は地中海を取り囲む輪か状の巨大国家に成長する。

1000年以上続いたローマ帝国(ビザンチン帝国時代を含む)のトルコ支配時代 トルコのアナトリア地方は最も豊かな領土であった


<目次>
1トルコの基本情報
2トルコの年中行事
3歴史1(紀元前 ヒッタイト帝国時代)
4歴史2(ローマ帝国東西分裂 紀元後~9世紀)
5歴史3(ビザンチン最盛期 10~15世紀)
6歴史4(ビザンチン滅亡 オスマン帝国時代へ)
7歴史5(オスマン滅亡 17世紀~第1次大戦まで)
8歴史6(トルコ共和国建国~現在)