テスト

明治初期(約140年前)明治政府はフランス人技術者と共に大きな製糸工場を建てる事になりました。そしてまず最初に工場を建てる場所 選びから始める事となりました。
当時 日本で養蚕業(ようさんぎょう)が盛んであったところは長野県と埼玉県そして群馬県でした。その中でフランス人技術者と明治政府は群馬県の富岡市に目を付けました。

富岡市は江戸時代から養蚕業が盛んで原料となる蚕(カイコ)の繭(まゆ)が十分に確保できると言う利点がありました。
さらに今回 初めて近代的な工場を造ると言う事で蒸気機関を使った大掛かりな機械を動かさなければなりませんでした。

その為 動力の燃料となる石炭の確保も場所選びの重要なポイントでした。富岡市は近いところで石炭が採掘できた為その難問も難なくクリアすることが出来ました。
さらに富岡市に大きな工場を建てるのに必要な広大な土地を確保する事も出来ました。そして最も重要なポイントが外国人が建てる工場に町内の人の同意が得られるかでした。

しかし昔から富岡の人は新しいものを受け入れるのに何のためらいもなかったと言えわれてます。
その一例として当時あるアメリカ人が日本各地を見聞したときに富岡の人の良さを絶賛したそうです。

そのようにして明治政府は富岡市民の同意を得たと言う事で製糸場を建てる場所が富岡に決定しました。

しかし140年も昔に日本はもう既に住民の意見を重視した民主国家が出来ていたとは驚きでした。

群馬県豊岡市は江戸時代から養蚕業(ようさんぎょう)が盛んだったそうです。 (1)
群馬県豊岡市は江戸時代から養蚕業(ようさんぎょう)が盛んだったそうです。 (2)

ーーーーーこのあとフランス人ブリューナはレンガの調達に入ります。しかしそこには大きな落とし穴が待ってました。

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