テスト

江戸時代あれだけ貧しかった日本も明治の終わり頃(約100年前)には欧米列強と肩を並べるほどまでに成長しました。その日本の発展に大きく貢献したのが群馬県の富岡製糸所でした。
その頃には日本の生糸は生産量も輸出量も世界一となってまいた。最高潮に達したときは輸出の実に60パーセントが生糸(又は絹きぬ)だったそうです。

さらに不調が続いた時でも生糸の輸出は30~40パーセントを切る事がなかったそうです。そんな状態が昭和初期(約90年前)まで続いたそうです。
当時の日本は生糸でほとんどの外貨を稼いたそうです。まさに生糸は蚕(カイコ=幼虫)が生み出した大きな宝物でした。

また蚕は全て日本国内で賄(まかな)えるので向かうところ敵なしと言ったところでした。
しかし国民の生活が豊かになった分 政府は軍事にも力を入れ富国強兵(ふこくきょうへい)と呼ばれるようにもなりました。

お金持ちになった日本は強力な兵器を購入し結果 日清 日露(中国とロシア)と2つの戦争で勝利します。また当時は日本は糸で軍艦を買ったとも言われました。
しかし明治大正が終わり昭和に入る(約90年前)と昭和の大恐慌(世界大恐慌)がやって来ます。すると生糸も売れなくなり次々と廃業に追い込まれて行きました。

一番影響が大きかったのは長野県でそのとき町には多くの失業者で溢れかえったそうです。ちょうどその頃 中国東北部で起こったのが満州事変でした。
そして満州国が建国されると開拓のために多くの生糸産業の働き手が中国東北部に派遣されて行きました。

その頃 富岡製糸所を運営していた合弁会社も社内でのトラブルもあり結局 工場を売却する事となってしまいました。それは第2次世界大戦が勃発の7年前の事でした。

日本は糸を売ったお金でこんな豪華な買い物をしました。 (1)

日本は糸を売ったお金でこんな豪華な買い物をしました。 (2)

ーーーーーこのあと富岡製糸場の戦中戦後そして廃業までの歴史をお伝えします。 

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