テスト

開業当時 富岡製糸場の運営の全てを任されていたのは明治政府に雇われフランス人の技術者ブリューナでした。ブリューナは言わば明治政府の雇われた社長でもありました。
そして工場の敷地内に設けられたブリーュナとブリューナの家族が過ごした家は まさに社長宅と言った風格と大きさでした。

その大きな建物を首長館やブリューナ館と言います。ブリューナはそのブリューナ館で妻と子ども(2人)と一緒に過ごしたそうです。
さらにメイドとブリューナがフランスから連れて来たフランス人女性(指導員)も女工館ではなくそのブリューナ館で暮らしたとされてます。

そしてブリューナたちが帰国した後は女工(日本人)たちに読み書きや裁縫を教える学校の校舎として使われました。

さらにそのほかの施設も紹介します。工場内で まゆを煮込むときに必要な水を確保する為に直径15メートルの大きな鉄製のタンクが造られました。
そのタンクはフランスの造船技術が生かされているそうです。そしてその鉄タンクの下には幾つもの石が敷かれ まるで鉄タンクの足のような役割を果たしてます。

それはちょっとした芸術でした。ただそのタンクは残念ながら非公開だそうです。

2014年 富岡製糸場は世界遺産に認定されましたが工場以外の別の場所でも絹産業遺産群として世界遺産となった場所があります。
それが下仁田町(しもにたまち)にある岩で出来た天然の巨大冷蔵庫でした。江戸時代よりも前から蚕(カイコ)の まゆを保存するために使われて来ました。

当時 国内最大の貯蔵能力を誇りました。そして冷蔵庫の役目を終えた今でも岩の間からは〃すっ~~〃と冷たい風が吹いて来ます。

フランス人ブリューナが住んだのち学校の校舎となった首長館(ブリューナ館)
下仁田町のもう一つの世界遺産〃荒船風穴(あらふねふうけつ)天然の冷蔵庫 まゆの保存に使われてました。
巨大な鉄製の貯水タンク

ーーーーーこのあと富岡製糸場は予期せぬ噂により女工集めに苦戦を強いられます。

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