テスト

フランスから海を渡り富岡製糸所に運ばれてきた300台の繰糸器(そうしき=糸をつむぐ機会)は まず日本人の体格に合わせ台を低く改良されました。
さらに まゆから枠(わく)に巻き付けられた束は その後さらに別の機械に移され大きな枠に巻き取られて行きます。

その方法を あげ返しと言い湿度の高い日本で糸同士がくっつかない様にする為の工夫だそうです。そのようにして品質の向上を図っていたのでした。

さてそれらの機械を動かす動力源となるのが敷地内の中央に設置された煙突付きの蒸気釜所でした。
しかし開業当時 恐らく日本ではまだ薪(まき)を燃料に使っていたのでしょう そのため石炭はまだ普及していなかったため石炭の調達にも苦労したそうです。

工場近くの山々をくまなく調査して眠れる資源を呼び起こすようにして石炭を探していったそうです。

また石炭を燃やす熱を利用して蚕(カイコ)の まゆを乾燥させていたそうです。
高温で乾燥させる事で まゆの中の蚕が死に蛹(さなぎ)になる事を防ぐと共に まゆの長期保存が可能となります。

さらにブリューナ(フランス人技術者)は蒸気を使ったエンジンをフランスから取り寄せました。
これらのエンジンはのちに彼の名前を取って通称ブリューナエンジンと呼ばれるようになりました。

蒸気エンジンが稼働すると床の下に敷き詰められたシャフト(鉄棒の軸)が一気に動き出し まるで蒸気機関車が動き出したかのように勢いよく機械が動き出したそうです。

僕の認識では もともとイギリスが工業国でフランスは農業国と聞いていました。
しかし140年も前に農業国フランスでこんなに優れた機械がもう既に使われていたとは全く持って驚きでした。

そして富岡製糸場のその大掛かりな機械は当時のフランスにもイタリアにもなかったそうです。そのエンジンは今 愛知県の明治村(博物館)に展示されているそうです。

しかし富岡製糸場の蒸気釜所(石炭を燃やしていた場所)は残念ながら2年前の大雪により屋根が崩れてしまい今は撤去されてしまいました。只今 早急に復興中との事です。

創業当時 工場の動力源となった石炭を燃やしていた蒸気釜所
愛知県 犬山市に展示されているブリューナーエンジン

ーーーーーこのあとブリューナ館〃邸宅〃とその他の施設についてです。

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