テスト

富岡市の隣町の甘楽町(かんらまち)に今でも約140年前に瓦(かわら)職人が苦労に苦労を重ね焼き上げたと言う煉瓦(レンガ)の窯跡(かまあと)が残っています。

そして同じく甘楽町の歴史民俗資料館には焼き上がった煉瓦を隣町の富岡製糸場の建設現場まで運ぶときに使われた荷車が展示されています。
またその資料館も90年前(1926年)に建てられた赤煉瓦造りとなってました。もともとその資料館は蚕(カイコ)の繭(まゆ)を保存する倉庫だったそうです。

そしてそのとき(約140年前)富岡製糸場用に造られた煉瓦(レンガ)の数は なんと星の数よりも多い150万個だったそうです。(※星の数とは物の例えです。)
そのため煉瓦は広大な広場で焼かれる事となりました。さらに瓦と煉瓦は一見似てますがその製法はかなり違うそうです。

粘土質の細かい土を使用する瓦に対して煉瓦は質の荒い土を使うのが一般的だそうです。従って瓦と同じ土 同じ焼き方では煉瓦は作れないとの事でした。

そのため瓦職人は生まれて初めて造る煉瓦に相当苦労した事は間違えなさそうでした。そして最初に造られた煉瓦はやはり大きさが不ぞろいのようでした。
今でも富岡製糸場の外壁の一部にデコボコとした煉瓦の壁が残っているみたいです。

しかしその後 瓦職人は試行錯誤を重ね見事に大きさのそろった煉瓦を焼くことに成功したのでした。その証拠が富岡製糸場の女工館の見事につらのそろった赤煉瓦の壁です。

さらに煉瓦と煉瓦をつなぐ接着剤にセメントではなく〃しっくい〃が多く使われていたそうです。

着工から1年後に積まれた面が見事にそろった赤煉瓦(女工館)
建設当時140年前に積まれた大きさが不ぞろいの煉瓦(西まゆ倉庫)

ーーーーーこのあと大工職人が登場し苦労に苦労を重ね富岡製糸場を完成させます。

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