テスト

鋸(のこぎり)山の山肌は まるで大きな鋸で切り取ったかのように真っ平らになってますが しかしその昔 石の切り出し作業には意外な道具か使われてました。

そしてそこは今から数百年前の鋸山です。その鋸山の頂上から中腹にかけて〃カツン カツン〃と何か硬い物を叩く音が聞こえてました。
そこには屈強な男たちが両手で持った長い棒を渾身の力を込めて振り下ろしてました。そのとき男が持っていたその棒とは〃つるはし〃でした。

また〃つるはし〃はその形が鶴の嘴(くちばし)に似ているからその名が付いたそうです。

鋸山の石の切り出しは相当古くから始まったとされていますが商売として本格的に始めたのは江戸時代中期(約300年前)だったとされてます。
そして幕末から明治にかけて(約150年前)開国を迫られた日本は近代化の道を選ぶ事となります。

そこで建築素材の需要も高まり鋸山の石の切り出しも最盛期を迎える事となります。
最盛期には なんと〃つるはし〃使っただけの作業だけで なんと年間56万本の石が切り出されて行きました。

その頃には金谷地区(地元)の人口のおよそ8割が石材産業に従事していたそうです。

鋸山の真っ平らに切り立った崖はところどころ美術館の額縁のような形を見かけます。それはより良い石を掘り出した結果そのような形になったそうです。
さらに頂上付近に良質の石が多かったそうです。しかしその仕事は過度な肉体労働に加え非常に危険であった事は間違いなさそうでした。

昭和33年(約60年前)やっと作業現場に機械が導入される事になりました。それでもなお屈強な男が朝から晩まで働いて一日たった8本の石しか取れなかったそうです。
やがて時代が進むにつれ世の中にセメントが出回って来ます。すると鋸山の石の需要もどんどんへっていくようになります。

そしてついに昭和60年(31年前)を最後に石の切り出しは行われなくなりました。そうやって何百年と言う鋸山(石切り)の長い歴史に幕が下りたのでした。

数百年間ずっと〃つるはし〃を使っただけの作業が行われていた。
石切り職人がより質のいい石材を求めた結果このようないびつな山肌となった
石切り職人がより質のいい石材を求めた結果このようないびつな山肌となった

ーーーーーこのあと船乗りと科学者そして建築家が見た鋸山と房州石についてです。つづきをどうぞ