テスト

今から140~150年前ちょうど江戸から明治へと時代が移り変わろうしていた頃です。千葉県では東京湾に面したある山が病気にかかり見る見ると痩せて細っていました。

そしてその山からは〃ゴォッーー〃と言う物凄い轟音(ごうおん)が聞こえて来ました。すると今度はその山の杉林の中から〃ブレーキ!ブレーキ!!〃と叫ぶ大きな声が聞こえて来ました。
次の瞬間〃キッッーーー〃と言う甲高い急ブレーキの音と共に杉林の中から なんと女性数人が巨大石に引かれそうになって飛び出して来ました。

そしてついに〃ガツーン〃と言う大衝突と共にあたり一面 砂埃で真っ白となりました。
しばらくすると目の前の視界が開け そこには崖から下り落ちた巨大な石がピタリと止まってました。しかしそこにはもう既に先ほどの女性の姿はありませんでした。

そのとき なんと女性は無残にも巨大石の下敷きとなり名古屋の〃きしめん〃のようにペラペラになってしまいました。※ちなみに僕は愛知県の出身です。
何とも可哀そうにと涙を拭こうとハンカチを取り出したところで なんとも不思議な奇跡が起こりました。そのとき なんと女性の声が聞こえて来ました。

実は彼女らは大きな石に踏み潰される寸前のところで身を交わし無事だったのでした。
そしてそれらの大きな石はそのまま木製の船に積み込まれ東京湾を渡って東京や横浜へと運ばれて行きました。

彼女らの話では彼女らは車力(しゃりき)と言い山から切り出された石を運ぶ仕事をしていたのでした。
そして冒頭に述べた見る見ると痩せていく山とはあのギザギザ模様が特徴の鋸(のこぎり)山でした。

しばらくすると彼女らは木製の荷台を担ぎ また山を登り始めました。杉林の細い山道を登った先では屈強な男たちが石の切り出し作業をしてました。
そこで男たちは切り出した石を荷台に乗せるのですがその重さは なんと一つ80キロの石が3つで合計240キロもありました。

そして彼女らが通った山道を車力道と言い今でも手軽な登山道として人気のようです。さらにその車力道に敷かれた石には〃くっきり〃と車輪の跡が残ってました。
その石に刻まれた車輪の跡は100年以上たった今でも残る彼女たちの苦労の証(あかし)でもありました。

鋸山で切り出された房州石を運ぶのはもっぱら女性の仕事だったそうです。
鋸山で切り出された房州石を運ぶのはもっぱら女性の仕事だったそうです。
鋸山で切り出された房州石を運ぶのはもっぱら女性の仕事だったそうです。

ーーーーーこのあとは鋸山の岸壁で働いた石切り職人についてです。つづきをどうぞ