テスト

仙台七夕まつり1 真夏のオアシス

真夏の青空に焼けるような太陽が真っ白に光り輝いていました。熱さゆえか目の前のあらゆるものがゆがんで見えて来ました。

とりあえず猛暑を避けるために商店街のアーケードの中に避難することにしました。そしてそのアーケードの中で見つけたのは宙に浮くアサガオと金魚でした。
その金魚はチリンチリンと静かな音を立てながら涼しそうに泳いでました。どうやらそのお店はたくさんの風鈴を売っているお店でした。
 
その風鈴の涼しい音色を聞いただけでなんだか体温が下がったような気がして来ました。
さらにアーケードの天井には人々を真夏の灼熱地獄から解放してくれるような綺麗で涼しい飾り付けがされていました。

様々な涼しい色で表現されたその飾りつけは天井から床に向かって流れ落ちる滝ようでもありました。
その涼しげな飾り付けの滝のトンネルくぐっていると天井にひときわ光り輝く一組のカップルを見つけました。

その仲むつましい2人の姿はまるで一年ぶりの再会の様でした。さらにその立派な体格の男の隣にはその男よりも大きく立派な牛がいました。
そして見るからに綺麗で美しい女性の隣には大きな〃はたおりき〃がありました。どこかで聞いた話だと思い慌ててカレンダーを見たら案の定 今日は7月7日でした。

ということは…..やはり その男の胸には〃ひこぼし〃の文字がそして女性の胸には〃おりひめ〃と書かれた名札が付いてました。 
そうです 今日は年に一回だけ開かられる七夕(たなばた)まつりの日でした。

暑い夏 体の熱を下げてくれる涼しい音色の風鈴

ーーーーーこのあと宇宙の果ての天の川で繰り広げられた七夕に関するラブストリーをお伝えします

仙台七夕まつり2 宇宙の大河〃天の川〃

地球上にも幾つかの大河があるように遥か彼方の宇宙にも数え切れないほどたくさんの星々が流れる大河があります。
それは人があまり住まない環境の場所で夜間のみ天空に姿を現す夜の川〃天の川(あまのがわ)〃です。その天の川の近くにひときわ輝く一つの星が夏の星座の織姫星です。

その織姫星のあたり一帯にはたくさんの神が住む村があるそうです。そしてそこが織姫の故郷でもあります。
ところで彦星はと言うと天の川の対岸のかすかに光るあまり目立たない星だそうです。かつては彦星も織姫も同じ場所で仲良く暮らしていたそうです。

しかしそこには彦星と織姫のつらく悲しい涙の物語がありました。

その昔 中国の古い伝説では天の川の織姫星のすぐ近くにもう一つの光り輝く星があったそうです。その星がかつての彦星だったそうです。
彦星はそのとき天の川のほとりの村で牛飼いをしながら神様の食事の世話をしていたそうです。さらに彼は村一番の働き者で神様からの信頼も厚かったそうです。

そしてもう一人の働き者が神様の衣服の世話をしていた織姫でした。ある日 織姫は織り上がったばかりの布を送り届けるため馬車に乗り外に出掛けました。
しかしそのとき不意に事故にあってしまいます。そのとき助けに入ったのが偶然そこを通りかかった牛飼いの彦星でした。そのことがきっかけとなり2人は付き合いだすようになります。

そしてやがて2人はめでたく結婚することになります。そのときは村の神様たちも働き者の2人が結婚することに大賛成の様でした。

真っ暗な夜空にだけ姿を現す天の川

ーーしかしこのあと2人を引き裂く大事故が発生します。

仙台七夕まつり3 織姫と彦星に突然 起こった悲劇

織姫と彦星の結婚生活が始まると仕事のことは忘れ2人は来る日も来る日も天の川のほとりで寄り添うようになります。

すると村の神様たちの服や食べ物が不足するようになります。そしてそのときとうとう神様たちの怒りが頂点に達し大きな稲妻となって彦星と織姫めがけて落ちました。
そのとき雷の直撃を受けた彦星は何万光年か離れた遠くの宇宙に吹き飛ばされてしまいました。

その後 愛する彦星を失った織姫は天の川が決壊しそうなほどの涙に溢れ泣き崩れたそうです。その可哀そうな織姫の姿を見た村の神様たちは考え方を改め直したそうです。
そしてその神様たちの計(はか)らいで年に一回 7月7日に限り彦星と織姫が会えるようにしたそうです。

地球上では毎年7月7日 織姫星がいつも以上に明るく光を発するそうです。それは彦星と1年ぶりに会った織姫の喜びの光だそうです。
そして数年に一度7月7日に降る雨は織姫の嬉し涙だと言われてます。

さて 実は現代社会では外灯などの光害により夜空の星が見えずらくなっているそうです。
そのせいもあって今 世界の3分の1の人々が天の川を見たことがないそうです。日本に至っては実に7割の人が天の川を見たことがないそうです。

僕は旅行中に何度か天の川を見たことがあります。その中でもモンゴルの草原で見た天の川が最高に綺麗でした。

またモンゴルの場合は頭上だけでなく正面を見れば遥か遠くの地平線の向こうに天の川が見えます。
皆さんも山に行った際はどうぞ忘れずに夜空を見てください。そこには降って来そうなほどの大量の星々から成る天の川を望むことが出来るでしょう

 

天の川のほとりで1年ぶりの再会を果たした。彦星と織姫!

ーーーーこのあと日本の七夕祭りの数千年にわたる歴史についてお伝えします。

仙台七夕まつり4 その伝統は中国から日本へ

七夕の話は今から約1800年前の中国で始まったとされてます。そのころ中国では毎年旧暦の7月7日に乞巧奠(きこうでん)と言う祭を行っていたそうです。
その祭の時に人々は夜空の天の川に向かってお祈りをしたそうです。彦星には田畑の豊作とそして織姫星には裁縫の上達を願っていたそうです。

時が過ぎいつの間にか中国では乞巧奠(きこうでん)の祭りは行われなくなりました。が しかし日本では七夕(たなばた)と名前を変えて今でもその伝統と文化を受け継いでいます。

その日本で初めて七夕が伝わったのは今から約1500年前とされてます。毎年7月6日の夕方から7日にかけて水の神様に豊作の祈りをするためその儀式は行われていました。
それは〃たなばたつめ〃と呼ばれる若い女性が川の近くで織物をする儀式でした。当時は織り機のことを〃たなばた〃と呼んでいたそうです。

2本の竹の間に糸を吊るし掛けていたそうです。その糸がのちに七夕のとき竹の枝に願いを書いて吊るす短冊へと変わっていったそうです。
その儀式は7月の7日の夕方に行われていたので七夕と書いて〃ひちせき〃と呼ばれていたそうです。

しかしその七夕は千数百年もの長い間 一般の人には知られることなく天皇や貴族だけが行う祭りだったそうです。

そして今から約400年前の江戸時代初期にあの伊達政宗公が女性の文化向上のため仙台で七夕まつりを広めたそうです。
さらにその100年後 寺小屋で学ぶ子供たちによって七夕の文化は日本中に広まったそうです。

昭和20年(71年前)の第2次世界大戦のとき仙台はアメリカ軍の大空襲にあい焼け野原になってしまいます。しかし戦後 七夕まつりは見事な復活を遂げます。
そして今では仙台七夕まつりは東北三大祭りの1つに数えられ さらに例年200万人以上の人が訪れる大きなイベントになりました。

約千数百年前 天皇と貴族だけが行っていた旧七夕の乞巧奠(きこうでん)

ーーーーこのあといよいよ待ちに待った仙台七夕まつりが始まります。 続きは後日公開します。