テスト

(歴史 ~オペラ仮面舞踏会から~)

9世紀にはバイキングが北欧各国を統治し栄えていた

12世紀 キリスト教が入って来るまでは北欧神話が信仰されていた 北欧神話は古くからゲルマン民族が信仰してきた宗教

神は最高神のオーディン 雷の神 トール(ドール) 豊穣の神 フレイの男性3人の神からなる 

オーディン
雷神ドール
豊穣の神フレイ

妖精トロル 顔はしわくちゃで鼻が大きい 女性や子供に悪さをする妖精 大勢で森で暮らしている 

そのほか植物で出来た美人の妖精もいる

14世紀 北欧各国の争いは 1397年のデンマーク ノルウェー スウェーデンの間でカルマル3国同盟が結ばれるまで続いた

同盟と言っても実権を握っていたのはデンマークであった この同盟により スウェーデンも一時 デンマークの領土となる

当時デンマークとロシアの間で戦争をしていた 

16世紀 1520年 スウェーデンの独立派はデンマーク国王(クリスチャン2世)によって虐殺される

80~100人以上のスウェーデン貴族が殺害された 中には初代スウェーデン国王グスタフ1世の身内も含まれていた

市民の独立感情をあおり スウェーデンは同盟から離脱し独立を果たす 

その指揮を執ったのが初代グスタフ王だった ストックホルムには立派なひげを蓄えたグスタフ像が立っている

初代グスタフ王の銅像
グスタフ像2
グスタフ像
グスタフ像 (2)

グスタフ1世はスウェーデンに王国を立ち上げ さらにデンマークの支配から国を解放した英雄

グスタフ1世のメダル
 

そしてグスタフ2世の頃 スウェーデン王国は最盛期を迎える 1世のヴァーサから50年 2世は北方の獅子と恐れられた

17~18世紀にかけてスウェーデンはロシアやデンマークと激しい領土争奪を繰り広げる

17世紀 30年戦争(1618年~1648年)30年戦争とはプロテスタント対カトリックによるキリスト教徒同士が起こした宗教戦争である

スウェーデンはドイツ プロテスタントと協力し当時の超大国 神聖ローマ帝国(カトリック)との戦いに挑んだ

そしてスウェーデンはバルト海沿岸を支配する

オペラ 仮面舞踏会 は実際にあった仮面をかぶった王の悲劇を題材にしている

オペラ 仮面舞踏会

主人公は18世紀のスウェーデン王 グスタフ3世 舞台となるストックホルムはバイキングの頃から栄えた港町

グスタフ3世
グスタフヴァーサ3世の銅像

物語は主人公のグスタフ3世が皇太子だったころから始まる

18世紀 グスタフ2世(アドルフ国王)の力は弱まり 政治の実権は議会が握っていた 貴族が実権を握っていた

当時のグスタフ3世(主人公)の父アドルフ国王は政治に関心を持っていなかった 

国王の趣味は家具づくり 孤独を愛する性格であった

自由奔放に生きた グスタフ2世

一方 主人公の母 王妃ロビーサは野心家で貴族から権力を取り戻すことが望みであった

ロビーサはドイツ ブロイセン王の妹 フランスの宮殿文化に親しんだ教養豊かな女性だった

若いころのロビーサ ウルリカ
年老いて頃のロビーサ

ロビーサは中国から輸入した芸術品にはまっていた

城内には中国風の離宮も建てられた 当時 スウェーデン王国は東インド会社を設立し中国南部に拠点を持っていた

中国の港からはお茶やスパイス陶器などが入ってきた 王侯貴族の間でちょっとした中国ブームが起こっていた 

そんなある日 王妃ロビーサは ひそかに軍を動かしクーデターを狙っていた 

さらに王妃は資金作りに苦労し大事な王冠をドイツに質屋に入れてしまった。

しかしそのクーデターの企ては実行前に失敗 王妃は宮殿の部屋に閉じ込められてしまう 王妃の夢は息子のグスタフに託された

グスタフ3世は感情を押し殺すため仮面をかぶって生活するようになる 

母親が推し進める英才教育により 2歳の時には もうすでに勉強付けとなり まったく遊べなかった 

グスタフ3世が着る服もフランス ルイ14世(ベルサイユ宮殿を建てた)のような強い王様似に立てて作られた

グスタフ3世 5歳の時に描かれた肖像画がストックホルムのドロットニングホルム宮殿内に飾ってある

幼いころのグスタフ3世

5歳の頃のグスタフ
 

やがてグスタフ3世(皇太子)は成人となり 当時 対立していたデンマークとの関係改善を狙って 

デンマークから結婚相手の女性を招いた 

1771年 国王アドルフは突然死する そして王妃ロビーサの期待を背負ったグスタフ3世が王位につく

すると母ロビーサが出来なかった事を息子グスタフは あっけなくやってのけてしまう

まず近衛(コノエ)兵を動かしクーデターを実行し政府の要人を逮捕していった

次に議会に自ら製作した憲法を承認させる 王は貴族から内政と外交の権限を取り戻した

さらにグスタス3世はスウェーデンの母国語を統一し大学(アカデミー)を造った

そのスウェーデンアカデミーは現在 ノーベル賞の選考会に使われている

スウェーデンアカデミー 18世紀 スウェーデン王国

しかし今度は母と息子 ロビーサとグスタフ3世の間に亀裂が生じる 原因はデンマークから嫁いだグスタフ3世の妻だった

グスタフ3世と妻ソフィアは政略結婚であったが とりわけ王妃ロビーサはデンマーク人を嫌っていた

たびたび王妃ロビーサの嫌がらせを受けるソフィア グスタフ3世も母ロビーサからソフィアを守り切れずにいた

王妃ロビーサはソフィアが側近と浮気関係にあると言いふらした 

そんな中 1778年 グスタフとソフィアの間に王子となる息子が誕生する しかしグスタフは自分の子ではないのではと疑った

結婚11年目にして出来た待望の後継ぎであったが グスタフ3世は王子の誕生が私と母の関係を悪化させてしまったと嘆いた

1778年 王子誕生(グスタフ4世)

グスタフ3世が母ロビーサに送った手紙には私の最も美しい日に あなたは毒を投げつけたと書かれた

グスタフ3世は王妃ロビーサを遠く離れた離宮へ追いやった ロビーサ自慢のコレクションは募集され国家の管理置かれた

1782~3年 ロビーサは62歳で一人寂しく亡くなっていった 

横になって寝るのは死んだ時だけと言われていた 王妃ロビーサは生前 座って寝ていた

ブリックホルム城 王妃の寝室

その後もグスタフ3世は強い王を目指す グスタフはロシアと戦争をしたがっていたが開戦を決めるのは議会にあった

そこでグスタフは我が部隊を偽ロシア兵に襲わせ でっち上げの口実を作ることにした

この作戦は見事に成功し議会を動かし開戦に踏み切った 開戦から2年後 スウェーデン軍は見事にロシア軍を打ち負かした

ロシア海戦で勝利した時の様子

グスタフ3世は偉大な王として喝さいを浴びた さらにグスタフ3世は国家の近代化を図った

官僚を粛正し 拷問や死刑を廃止した 宗教の自由を認め 国益の売買も自由化 

グスタフ3世は貴族より市民優先の社会を築いていった

しかしグスタフ3世はこの頃 戦争と言う魔力に取りつかれていた 

1789年のフランス革命の時もグスタフ3世は軍を送り込もうとしていた 結果 戦費は どんどんかさんでいった 

スウェーデン人は昔から酒好きで知られている 特にジャガイモから作ったアクラビットと言う蒸留酒を好んで飲んでいた

そこへ目を付けた政府は政府自らお酒を管理し戦費を酒の儲けで賄う政策をとった

市民は それまで自由に作ってきた酒が作れなくなってしまった

アクアビット

貴族と対立していたグスタフ3世にとって市民と農民は大きな基盤となっていた

そのため一部の酒造りの規制を緩める代わりに税収を貴族に負担させた さらに戦争に反対した貴族は処刑していた

グスタフ3世は戦争以外に演劇も好きだった 誰よりも芸術を好んだ王でもあった そのため演劇王とも呼ばれていた

特に王妃ロビーサが建てたドロットニングホルム宮殿内の宮殿劇場はグスタフ3世の一番のお気に入りであった 

さらにグスタフ3世は劇を見るだけでなく14歳の時 自ら脚本を描き 自ら舞台に立ちフランスの王を演じた

劇場の2階にはグスタフの特等席が今も残っている 18世紀のグスタフ3世の時代には毎日のように演劇が繰り広げられていた

ドロットニングホルム宮殿内の劇場
宮廷劇場

1792年 グスタフ3世にとって運命の日がやって来る 

舞踏仮面会当日 商人や船乗りまであらゆる商業の人々が仮面をかぶり集まった 

グスタフ3世には暗殺を通知する脅迫状が届いていたが それでもグスタフ3世は大好きな舞踏会に参加した

仮面の下に身分を隠したグスタフ王だが胸には それとわかる大きな勲章をつけていた

オペラ仮面舞踏会 ピストルを構える犯人
オペラ仮面舞踏会 グスタフ3世最後の瞬間 (1)
オペラ仮面舞踏会 グスタフ3世最後の瞬間 (2)

犯人はグスタフ3世に恨みを持った下級貴族であった。犯行の動機は反戦の思いと貴族の処刑に立ち会ったことだった。

凶弾に倒れた グスタフ3世は ただちに緊急手術を受けたが助からなかった 46歳だった

仮面舞踏会の殺害事件で使われた拳銃

グスタフ3世が死の直前まで着ていた衣装と仮面が王宮の地下に保存展示してある 

仮面舞踏会でグスタフが身に着けた衣装

グスタフ3世が もしロビーサの教育を受けていなかったら父親の様に もっと自由な人生を送れていたであろう

また 当時の宮廷劇場は今でも現役として使われている

グスタフ3世の後を継いだのは 若き王グスタフ4世(アドルフ)だった

しかしグスタフ4世は戦争で大敗を期する そしてブリックホルム城に幽閉されてしまう 今でも幽閉の間として残っている

ただ地下には脱出用の通路が設けられている

ブリックホルム城 16世紀 デンマーク(スウェーデン漁)
幽閉の間

19世紀から20世紀にかけて不作が続き 多くのスウェーデン人が北米へ移り住んだ 特にスウェーデン南部の移住者が多発した

祖国を追われた人の数は全部で130万人 その時の様子は映画にもなった

1809年(又は1905年) スウェーデンには新しい憲法が出来 王の権限は制限された そしてフランスから王家がまぬかれ今に繋がっている

戦争に明け暮れたグスタフ王朝の崩壊から5年後 スウェーデンは中立国となる 19世紀のナポレオン戦争に大敗したのが原因

スウェーデンはノルウェーとの戦争を最後に200年以上 戦争をしていない

現在 国王は政治に一切 関与しないようになった スウェーデンは世界でも もっとも市民との距離が近い王室だと言われている

今でも王室は続いているが王室も一般市民と変わらない生活を送っている

現国王 カール16世は自分の車を運転し職場となるストックホルムの王宮まで出勤している

一般人が その辺のカフェで王様と出くわすこともある それでいて王室の国民支持は7割以上 王室関連の本や雑誌も よく売れている

現在の国王

夏 王室は宮殿を離れ バルト海沿岸で暮らす 7月14日は 現王女ヴィクトリアの誕生日

王様の別荘も一般開放され誰でも入れる ヴィクトリア誕生の際 女性の王位継承が認められた

現王室のヴィクトリ王女
現ヴィクトリア女王


<もくじ>
1基本情報
2歴史
3ストックホルム~基本情報&料理
4ストックホルム~ノーベル賞関連
5ストックホルム~王室 王宮 関連
6カルマル エーランド島
7世界遺産 タヌムの岩絵と電波塔
8その他の名所