テスト

<シーギリアロックの場所> 

 

地上180~200メートルの岩山の頂上に築かれた宮殿 東京ドーム50個分の広さ広さ 

シーギリヤロック

遺跡からは宝石も出土している  1982年に世界遺産に登録されるも内戦で観光客は伸び悩む

近年 内戦が終わり ようやく観光客が戻り始めた 

(カッサパ)

 岩山頂上の王宮は477年に造られた 完成までに7年かかった 

この空中宮殿を築いた王は自分の父親を殺してまで王になった人物 王の名はカッサパ(シンハラ王 在位473年~495年)

カッサバ1世
 

カッサパは長男であったが母親の身分は低く そのためカッサパの弟が王位継承権を持っていた

その弟がインドへ出かけている時にクーデターとなる王(カッサパの父親)の殺害事件は起こった

カッサパの父は第80代シンハラ王朝の王で 当時 シンハラ王朝は農業国として豊かだった。

またカッサパの父は生涯をかけ大河のように広大な貯水湖を作り上げた

  そんな カッサパの父もまたシーギリア王宮を建てるのが夢だった

(獅子)獅子(ライオン)はシンハラ王朝のシンボル  

岩山の北側の中腹に宮殿の入り口がある かつては煉瓦で作られた巨大獅子がどっしりと構えていた

完成したばかりの頃のシーギリアロック

シーギリアロックのシーギリアとはライオンの喉の意味 

宮殿は獅子の巨大な口が入り口となり喉を通って内部へ入る仕組みとなっていた

シーギリアロック 獅子(想像CG)

今は両足(足首より先)がだけが残っているのみ  

シーギリアロック ライオンの足
獅子の足
獅子の足の爪
シーギリアロック 獅子の足2

(階段やリフト)
鉄製の1250段の階段が近年 整備された登って見学もできる しかし風が強いときは登頂が禁止になることもある

昔あった階段は もっと急だった ただ昔は王だけが利用することの出来たリフトがあった その名残が岩に見て取れる

シーギリア
シーギリアロック 岩のふもと

(岩の頂上に築かれた宮殿) 地上1500メートルの頂上には貯水池まで作られ水であふれていた

高低差を利用し宮殿内に水が流れる設計になっていた  さらに高低差を利用した噴水まであった 

夏は天然のクーラーのように涼しかった 地下水を地上までくみ上げたと言う説もあるが まだはっきりした証拠は残っていない。

5世紀には500人の美女が水浴びする水の庭園があり 

雨水が水路を満たす構造になっていた 広さ4000坪の王の沐浴所 王座にはダンスステージまであった

しかし今は平らな広場のみ 

シーギリアロック 頂上の王宮跡

シーギリアロックの空中庭園
 

シーギリアロックの空中庭園2
シーギリアの王宮を再現した画像
シーギリアの貯水池

シーギリア 王宮跡
 

(壁画)壁画は岩の中腹 階段を上った途中にある 現在残っている壁画は全体の30分の1

山頂付近には1500年前の壁画も残っている かつては色鮮やかな仏像が500体もあった 壁画や仏像は今 18体のみ 

粘土や漆喰で3層に塗り固められた壁に書かれていた 美女の壁画はシーギリヤレディ 豪華な宝石を身にまとっていた

シーギリヤレディ
シーギリアレディーの壁画

アプサラ(天女) 東洋のモナ・リザと言われている 岩の壁画には かつて500体もの天女が描かれていた 

卵白や蜂蜜を塗り鏡のように加工された岩壁(ミラーウォール) そのミラーウォールに多くの天女が移る仕掛けになっていた

さらにミラーウォール裏側に霧吹きを使用して壁に水をかけるとシーギリヤレディの姿が浮き上がる

19世紀末 壁画があることを知らずに岸壁にはペンキが塗られてしまった

ペンキがはがれ たまたま水をかけたら壁画が浮き上がった 内部の壁画と違い 下半身がしっかりと描かれている 

シーギリアロックの壁画

(遺跡周辺のハチ)
遺跡周辺には大ミツバチが多い ハチは王の家臣の生まれ変わりだといわれている

蜂の大きさは2センチもあり 1000年以上も前からシーギリアに住み続けている

高いところに巣を作る習性がある 

巣に集まった蜂の大群は電光掲示板のようにも見える 外敵を威嚇するときは大群が模様となり波打つ

時に観光客を襲うこともある 

2004年 5月1日 200人以上の観光客がハチに刺され100人以上が病院に運ばれた 幸い死者は出なかった

子供が巣に向かって石を投げたのが原因  政府はハチの駆除に乗り出したが ハチは再び戻り始めている

オオミツバチ

(王宮以前のシーギリアロック) 

王宮が建てられる前の僧侶が暮らした洞窟も見つかっている 洞窟内には涅槃仏が残っている

シーギリアロック 涅槃仏

(兵士の見張り台)人が入れる穴から大きな石を落とせる仕掛けになっていた

(岩の周りにあった掘)昔は岩(シーギリアロック)の周りに掘りがあった さらに堀の中には防御のためにワニを飼っていた

シーギリアロック 貯水池跡
シーギリア 水の庭園
シーギリア 水の広場
シーギリア 水の宮殿

さらに岩山(シーギリアロック)の ふもとには左右対称の町が造られた その町には何千人の人が住んでいた。

地下水を利用して造った噴水は今でも雨が降ったときに噴き出すことがある

(シーギリアの遺跡を展示する博物館)仏教とヒンズー教が融合したのがシンハラ仏教

(終焉)
5世紀(王宮完成の11年後) インドからカッサパの弟が大軍を連れて戻ってくる そしてカッサパは弟に追い詰められ自らの命を絶った。

カッサパに勝利した弟は都をシーギリアからほかの場所へ移した。

そのためシーギリアの王宮と町は わずか11年だけ栄えたのち滅びた その後もシーギリアは仏教の聖地として使われるが

整備が行き届かず木々に覆われていく その後しばらくの間シーギリアロックの人々から忘れられ噂だけが残るようになった

19世紀後半(1851年) ここを訪れたイギリス軍人が偶然 岩壁に天女の絵を発見する

20世紀 別の庭園が発見される 人々から忘れられていた遺跡は1500年ぶりに復活する

スリランカ映画 シーギリアのカッサバ

(シーギリア博物館)

(ハスの水路)

ハスの水路

(エレファントロック)

エレファントロック

(コブラ岩)

コブラ岩


<もくじ>
1基本情報と歴史 
2シーギリアロック(岩山宮殿)
3アヌラーダプラ(シンハラ王朝最初の都)
4ポロンナルワ(シンハラ王朝2番目の都)
5ダンブッラの黄金寺院
6ヤーパフワ クルネーガラ ミネリヤ国立公園
7聖地キャンディ1(仏歯寺 湖 ペラヘラ祭り)
8聖地キャンディ2(紅茶畑と その他の情報)
9コロンボ(政治経済の中心地 宝石の産地)
10ゴール旧市街(岬に突き出た砦)
11ジャフナ(最北部)
12自然保護区や国立公園の動物たち
13スリランカ料理