テスト

~~イギリス統治時代に建てられた建築物編~~

(マハラーシュトラ州の宗教 ムンバイを含む)
インドの中で仏教徒が600万人と一番多い ジャイナ教徒もインド全体の3分の1にあたる140万人の人が暮らしている

ーーームンバイ(南西部) インドで一番の大都市 マハーラーシュトラ州

インドのほかの場所に比べると物価が高い 交通渋滞もひどく睡眠薬強盗の被害も出ている

(イギリス統治)
1661年 人口はわずか1万人 小さな漁村だった 現在の人口は1841万人(2011年現在)

二階建てバスが走っている

ムンバイの2階建てバス

ムンバイの港を整備したのもイギリス人だった

街にイギリス統治時代に建てられたコロニアル建築が残る

(鉄道)
ムンバイで汽車が走り出したのは1850年 当時は毎日がお祭り騒ぎのようだった

(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅)
(ビクトリアターミナス駅 チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅) 

宮殿や大聖堂がいくつも重なり合ってできたような豪華な鉄道駅 世界遺産に登録されている

インドの鉄道の歴史はムンバイから始まった。

CST駅 1888年に建てられた世界遺産の鉄道駅  外観は宮殿 イギリス統治時代に作られた豪華な駅

ビクトリアターミナス駅
ビクトリアターミナス駅2
ビクトリアターミナス3
ビクトリアターミナス駅4
ビクトリアターミナス駅4 (1)
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅2
ビクトリアターミナス駅4 (2)
ビクトリアターミナス駅 門
チャトラバティ~鉄道駅3

通勤客は1日300万人以上

チャトラバティ~鉄道駅 内部

駅の正面にライオンとトラの像がある ライオンはイギリス トラはインドを現している

ビクトリアターミナス駅のライオン像
ビクトリアターミナス駅の虎の像
ビクトリアターミナス駅の屋根
ビクトリアターミナス駅3

寝台車で あるインド人と一緒になったイギリス人 

そのイギリス人はインド人のすり切れたサンダルが不愉快と感じて窓からサンダルを投げ捨ててしまった 

朝起きると 今度はイギリス人の上履きがなかった

インド人はこう言いました あんたの上履きは私のサンダルを探しに行ったよ

駅弁もカレー
寝台列車で出されたカレー (2)
寝台列車で出されたカレー (1)

(インド門)イギリス統治時代 1911年にイギリス人が建てたフランスパリの凱旋門のような形をした門

首都のデリーにも同じ名前の門がある

ムンバイ(インド門)コラバ地区
ムンバイのインド門 海から
ムンバイのインド門
夜 ライトアップされたムンバイのインド門

(南インドのホテル事情)

南インドではチェックアウト24時間制をとっているところが多い

チェックインから24時間後がチェックアウトの時間になる 

チェックアウト時間の都合が悪ければ料金を追加し延長も可能

(タージマハルホテル)
イギリス統治時代にはホテルの中はインド人の立ち入りを禁止していた

しかしタージマハルホテル(1903年 オープン)はインド人の入場を認めていた

タージマハルホテルはインド門の隣にある インドの大富豪が建てたホテル

埋められたばかりの場所にタージマハルホテルは建設された 当時まだインド門は立っていなかった

客室からの海の眺めはいいが屋上からは海軍施設が見えるので撮影は禁止されている

タージマハルホテル
タージマハルホテル2
タージマハルホテルとインド門
タージマハルホテルから見たインド門

<2008年 同時多発テロ事件> タージマハルホテルなどで銃撃があり日本人を含む170人が犠牲となった

カシミール地方の領土をめぐって インドと過去に3回も戦争をした パキスタンが事件にかかわっているとされている

2008年に発生した同時多発テロ 燃えるタージマハルホテル

(プリンス オブ ウエールズ博物館)インド門近くにある博物館

プリンス オブ ウエールズ博物館
プリンス オブ ウエールズ博物館2


<もくじ>
1南インドの文化や年中行事
2ムンバイ1
~イギリス統治時代に建てられた建築物編

3ムンバイ2
~インド映画 弁当配達 貧困問題編
 
4ムンバイ3
~ヒンドゥー教に関する祭りや遺跡編

5マイソール1~市内~
6マイソール2~郊外~
7エローラ石窟(他宗教遺跡)
8アジャンタ石窟(仏教遺跡)
9ハンピ遺跡(ヒンドゥー遺跡)
10コーチン(欧米人初のインド植民地)
11ゴア(色濃く残るポルトガル文化)
12ハイデラバード(イスラムモスクほか)
13バーダーミー(ヒンドゥー遺跡)
14カルナータカ州と その他の名所
15チェンナイ~カーンチープラム
16タンジャーヴール~他いろいろ
17クンバコナム スリランガム
18マドゥライほか~その他の名所