テスト

その昔(約650年前)仙台がまだ仙台と呼ばれる前の事です。そこには千体の仏像を安置していた千代(せんだい)城と言うお城がありました。
その千体の仏像の千体(せんたい)と千代城の千代(せんだい)が合わさって そのとき初めて仙台と言う地名が生まれました。

またその千代城の書き方は のちに仙台城となりますがその城が青葉山に建てられた事から青葉城とも呼ぶ事もあります。

そして江戸時代に入る少し前 今から約420年前に伊達政宗が仙台城を新たに築城します。また仙台の町づくりもこのとき正宗によって本格的に行われたそうです。
しかしその後 江戸幕府を開くことになる徳川家康(初代将軍)に配慮して仙台城に天守閣(てんしゅかく=シンボル的存在の建物)は建てられなかったそうです。

その後270年間も一度も戦火を見ることなく伊達家が仙台城を守り続けたそうです。
江戸時代もし仮に仙台城が戦火に見舞われたとしても高さ50メートルの断崖絶壁に築かれたその城は容易には攻め落とすことは出来ない造りになってました。

仙台城はまさに天然の堀で出来た完璧な要塞でした。しかし仙台城は何度となく火災と地震の被害にあいその都度 修復を繰り返していったそうです。
江戸 明治 大正と無敵を誇った仙台城も昭和に入り第2次世界大戦のときにはアメリカ軍の仙台大空襲により仙台城は無残にもほぼ全焼してしまいました。

さらに戦争が終わっても仙台城の敷地内にアメリカ軍が駐留する事になりました。
そのとき江戸時代から仙台城に残るたった一つの建物であった三の丸 巽(たつみ)門も通行の邪魔になるとアメリカ軍によって取り壊されてしまいました。

その門は大阪城や姫路城に匹敵するほど立派な門であっただけに ただただ悔しいばかりです。

戦争が終わって12年が経った昭和32年にやっと仙台城は日本人に返還されました。
その後 民間からの寄付で大手門脇のやぐらだけが復元されたもののそのほかの建物は再建されずに今に至ってます。

71年前の仙台大空襲を受ける前の仙台城(模型)
戦争で焼けてしまった大手門

ーーこのあと日中タンス料理対決の模様をお伝えします。

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