テスト

20世紀 独裁者スターリン亡き後のソ連

1954年 スターリンのあとソ連の指導者にフルシチョフが選ばれた

フルシチョフは当時 ソ連国内のロシア共和国内にあったクルミア半島をウクライナ共和国にプレゼントする そのことがソ連崩壊後のクルミア紛争の発端となってしまう

フルシチョフ

1955年 ナトー(米軍と西ヨーロッパからなる軍隊組織)に対抗してソ連はソ連軍と東ヨーロッパの軍隊が結集したワルシャワ条約機構が結成される※ワルシャワはポーランドの首都※

1956年 フルシチョフは それまで国家秘密にされてきたスターリンが行ってきた悪事(自国民の殺害など)を暴露するスターリン批判をする

それを切っ掛けにソビエト政権(社会主義)の影響下にありソ連に不満を持った隣国ハンガリーではハンガリー動乱と言う反社会主義 反ソ連を掲げた暴動が発生する

ハンガリーの場所
ハンガリー動乱

ジョージア(旧名グルジア)でもスターリン批判がきっかけで暴動が発生 ソ連軍が出動し暴動の鎮圧にあたった  その際 ソ連軍が民衆に発砲し 犠牲者の数はロシアのスパイ組織 KGBの発表では420名となっている

さらにフルシチョフのスターリン批判に反感を持った毛沢東率いる中国はソ連と決別する

1964年 ブレジネフ書記長が誕生し ブレジネフはソ連の指導者を18年間務める

ブレジネフ

1968年 ソ連の衛星国 チェコスロバキアでプラハの春と言う民主化暴動が発生した際にはソ連軍が出動し暴動を鎮圧した

チェコスロバキアの地図
プラハの春

1969年 ソ連 極東のハバロフスクと中国東北部 黒竜江省の国境で軍事衝突(国境紛争)が発生する

1979年から10年間 ソ連はアフガニスタンに侵攻した 目的は王政廃止となったアフガニスタンで社会主義の崩壊を防ぐためであった

アフガニスタンのバーミヤン遺跡には 今でもソ連軍が残していった地雷が多く残っている

生前のバーミヤン大仏

1985年 ソ連最後の指導者ゴルバチョフはアメリカとの関係改善を行い冷戦を終結させた

冷戦終結

ゴルバチョフは それまで情報統制が行われていたソ連で情報公開を行うなどの改革を行ったが それが裏目に出て各地で民族主義が噴出し 共産党内で対立が生じた

ゴルバチョフ

1986年 チェルノブイリ原発事故が発生する※現ウクライナ

石棺に覆われたチェルノブイリ原発

1991年 ソ連共産党内でクーデターが勃発する そのクーデターをロシア共和国のトップ エリツィンが鎮圧する

一躍脚光を浴びたエリツィンはロシア共和国の独立を宣言した

ソ連共産党のクーデター
エリツィン

ソ連がまとめていた ほかの共和国も次々と独立を宣言し ソ連は たった74年で崩壊した ソ連崩壊後 新たに15か国の共和国が誕生した

ソ連邦崩壊
ソ連解体後で出来た15か国

同年 ジョージア(当時グルジア)の独立後すぐアブハジアと南オセチアで民族紛争が起こる
特にアブハジアではロシアも介入し数万人の死者が出る 戦闘はロシアアブハジア軍の勝利

ジョージアと南オセチアとアブハジアの地図

旧ソ連のバルト3国は独立後EUにも加盟し国の発展と経済の面ではロシアよりも成功している

またソ連時代にはエストニア人がロシア語を勉強していたが独立後はロシア人は新たにエストニア語を勉強する必要があった

※中国も同様で以前は中国人が仕事のためにロシア語を学んでいたが 中国が経済的にロシアより優位に立った今では逆にロシア人が仕事のために中国語を学んでいる

エストニアに住むロシア人はエストニア語の試験があり不合格の場合はエストニアの市民権がもら得なくなり無国籍状態となる

そこで生まれ一生そこで暮らす人に市民権を与えないと言うのはEUの議題に上げられるほどの大問題となっている

中央アジアのカザフスタンはソ連時代一番 経済的な恩恵を受けていて 実はカザフスタンはソ連崩壊を望んでいなかった 

ソ連崩壊後 一番最後に独立したカザフスタンには独裁政権が誕生した。

カザフスタンの場所

中央アジアのタジキスタン(旧ソ連)はソ連からの独立後 5年間続く内戦へと突入する

タジキスタンの場所

ソ連ができて間もないころ スターリンが中央アジアのキルギス(旧ソ連)とウズベキスタン(旧ソ連)の間に国境線を引いた。

ソ連崩壊後 その時にひかれた国境線が原因で民族衝突の悲劇が起こる 

民族衝突は全体では200万人が亡くなり2000万人が被害にあったとされる

キルギスと周辺国の地図

資本主義に大きく舵を切ったロシア共和国は物価が急上昇しハイパーインフレを招いた

国民は物不足と貧困にあえいだ

1993年 ロシアとジョージア(旧ソ連)の国交は断絶

1994年~1996年 ロシア軍とロシア連邦からの独立を目指すチェチェン独立武装勢力との間で紛争が勃発する 

一般市民を巻き込んだ戦闘は10万人以上の犠牲者を出した

チェチェンの場所

1999年 ロシア共和国のエリツィン大統領(初代)は突然辞任し代わりにウラジミールプーチンが大統領の座に就いた 

同年 プーチン大統領は自国の領土でもあるチェチェンに空爆を行う 

プーチン大統領はその後 現在に至るまで20年以上 ロシアのトップの座を務める

プーチン

2000年 プーチン大統領はソ連時代からあるロシアと旧ソ連の国々からなる財閥を解体する

さらにロシア最大のガス会社を国有化した もともと欧米との関係がよかったガス会社だったのでガス会社の国有化は欧米諸国からの反発を招いた

その後 ロシアは石油や天然ガスの収益で経済が潤う

21世紀 

2008年 プーチン大統領は任期満了の為 いったん大統領の座から退く

その代わりにプーチンの子分とも言われるめどヴェージェフが大統領の座に就く

2008年 南オセアニア紛争が発生し ロシア軍の軍事介入により2地域がジョージアから独立を果たす

ロシア軍が突然 有刺鉄線を張り巡らせジョージア国内に国境を作った 

ロシア軍がジョージア領内で引いた有刺鉄線 (1)

2011年から始まったシリア内戦でロシアはアサド政権(政府軍)に対し軍事と経済の面で援助を行う

そこでロシアは反政府軍を支援するアメリカと対立する

2014年 隣国ウクライナで騒乱が発生し それまで新ロシア路線を取っていた政権が崩壊する それを切っ掛けにウクライナとロシアの関係は悪化する

再び 大統領の座についていたプーチンはウクライナのクルミア半島にスパイと軍を送り込みクルミアをロシアの領土に組み込んでしまう

ロシアは国際的な批判を浴びG8から脱却 さらに欧米各国から経済制裁を受けることとなる

一方 ロシアは中国主導で行われている上海協力機構(ロシアを含むユーラシア大陸の8ヵ国からなる組織)との関係の強化を図っている

同年 ロシアのソチで冬季オリンピックが開催される

<目次>
1 基本情報とロシア料理

(歴史1) 4世紀キエフ時代から17世紀のロマノフ朝ピョードルまで

(歴史2) 18世紀のロマノフ王朝ロシア時代

(歴史3) 19世紀のロマノフ朝ロシアとクリミア戦争まで

(歴史4) 19世紀末~20世紀 ロシア革命とロシア内戦まで 

(歴史5) 20世紀 ソ連邦の誕生と第2次世界大戦まで

(歴史6) 20世紀と21世紀 ソ連邦崩壊から現在まで