テスト

ブカレスト

人口密度は東京よりも高い

1859年 ワラキアとモルドバが合併しルーマニア公国が誕生し ブカレストは その首都となった 

第2次大戦までは小さなパリと呼ばれるほど美しい町並みであったが

1960年と1980年代に チャウセスクの近代化政策でブカレストに残っていた中世の街並みが一部 取り壊された

ブカレスト_R
ブカレスト 大主教教会_R
ブカレスト 橋_R

旧市街には19世紀の街並みが残っている

凱旋門

1919年 第一次大戦の勝利を記念して建てられた。

パリの物より少し小さめ

当初は木造で建築されたが1930年に改築され今の姿になった

繁華街からは離れている

ブカレスト 凱旋門_R
ブカレスト(凱旋門)_R

統一大通り

パリの大通り シャンデリゼ通り をまねて作られた 通りの幅はパリの物より6メートル広い

中央に噴水があり その向こうに国民の館(国会議事堂)がある

統一大通り_R
統一大通り (2)_R
統一大通り3_R
統一大通り2_R

国立軍事博物館

近年起こったルーマニア革命だけでなくハプスブルク オスマン ハンガリー王国など中世に起こった数多くの革命に関する展示を行っている

国立軍事博物館_R

アテネ音楽堂

1880年代 国民の寄付によって建てられた

歴代国王の肖像画が描かれている

アテネ音楽堂 (3)_R
アテネ音楽堂 (2)_R
アテネ音楽堂内部 (2)_R
アテネ音楽堂内部 (1)_R
アテネ音楽堂_R
アテネ音楽堂(歴代王)_R

初代国王 カロル1世の宮殿

旧共産党本部前にある

チャウセスクが大統領府として使用していた。

現在は一部がルーマニア美術館として利用されている

ルーマニア革命で多くの絵が損失している

ルーマニア革命で亡くなった人の名前が刻まれた石碑_R

国立美術館

国立美術館の作品 (3)_R
国立美術館の作品 (1)_R
国立美術館(ブカレスト)_R

ペレシュ城

カロル1世が夏の宮殿として8年の歳月をかけ完成させた宮殿

宮殿内には180の部屋がある

ヨーロッパで最初に電気とコンロが使われた場所

ペレシュ城_R
ペレシュ城2_R

国民の館(国会議事堂)

元チャウセスク宮殿 1984年に建設を開始した。

チャウセスク宮殿のベランダ_R
チャウセスク宮殿_R
チャウセスク宮殿 (3)_R
チャウセスク宮殿 (2)_R
チャウセスク宮殿内部_R

総工費1500億円 アメリカのペンタゴンに次ぐ世界第2位の大きさ

部屋数は3000 シャンデリアの数は4500 装飾には3500トンの推奨が使われた 

宮殿(建物)は正面がなく東西南北どちらの方向から見ても同じ作りとなっている

この宮殿を作るにあたって26の教会と7000の民家が取り壊された。

2万人の作業員を動員し昼夜を問わず建設が行われ 

建設から6年目 全体の7割が完成したところで革命が発生し工事は中断された 

宮殿内を飾る予定だったチャウセスクとチャウセスクの妻エレナの巨大壁画の建設は中止となった

今だ未完成の宮殿は未使用の部屋も多く残っている

国民の館2_R
国民の館 (2)_R
国民の館_R
国民の館 (4)_R
国民の館 (3)_R
国民の館ベランダからの風景2_R
国民の館ベランダからの風景_R

文化宮殿

文化宮殿2_R
文化宮殿_R

革命広場

ルーマニア革命の銃撃戦で1000以上の犠牲者を出した場所

広場には慰霊碑が建っていて亡くなった人の名前が刻まれている

広場の向こう側には旧共産党本部がある

革命広場_R
ブカレスト革命広場_R
革命広場の噴水_R
旧共産党本部 (2)_R
旧共産党本部_R

トゥルゴヴィシュテ(ブカレスト郊外)

ルーマニ公国の建国以前 ワルキア公国の首都がおかれた場所

1689年 ブカレストに遷都されるまでの200年間 ワルキア公国の首都であった

チャウセスク夫婦が処刑された場所として有名になった

トゥルゴヴィシュテ_R
死刑の宣告を受けるチャウセスク_R
チャウセスク銃殺の瞬間_R
銃殺刑に処せられたチャウセスク_R

スナゴヴ修道院(ブカレスト郊外)

1476年 ドラキュラ伝説(別名 吸血鬼伯爵)のモデルとなったドラゴ将軍がオスマン帝国との戦いで戦死する

ドラゴ3世の頭は胴体と切り離されブカレストに送られた。

首から下の遺体は ここスナゴヴ修道院に埋葬された。

1930年代の調査で実際 頭のない首から下だけの遺体を発見している 

ただ それがブラド3世の物かどうかは定かではない

スナゴヴ修道院_R


<目次>
1基本(歴史&料理)
2ドラキュラ伝説と陽気な墓
3ブカレスト
4トランシルバニア
5シギシュアラ&ドナウのペリカン&隣国モルドバ