テスト

グダンスク

ワルシャワから約360キロ バルト海に面したポーランド最大の港町

ルネッサンス様式の建物と1000年を超える歴史がある

グダンスクは昔城壁に囲まれていた 今でも城壁の一部が残っている

グダニスクの場所
グダンスク2
グダンスク
グダンスク
グダンスク ゆがんだ家

窓の少女と言う小説をもとに造られた少女の人形

少女はこの城に幽閉されていた

人形は1日3回屋根裏から外に向け首をかしげながら飛び出してくる

機械仕掛けだが瞬きもする

窓から顔を出す少女人形
人々の前に顔を出す少女人形
屋根裏から飛び出してきた少女の人形

海水浴場では奇麗な琥珀が取れる

海から拾い上げたばかりの琥珀はゴツゴツとしている

職人が磨き上げ つやつやてかてかの工芸品が完成する 

海辺で拾い上げた琥珀
きれいに磨いた琥珀
ポーランド名物の琥珀

聖母マリア教会

160年間かけて1502年に完成した

第2次大戦で一度焼失したがその後再建された。

高さ78メートル レンガ作りのゴシック建築で街のシンボルとなっている

聖母マリア教会.

グダンスク 高い門

グダンスク 高い門

囚人塔

昔の囚人塔 14世紀に建てられ300年間使われてきた

現在は琥珀博物館となっている

グダンスク 囚人塔
琥珀博物館
クラクフ 琥珀博物館2
クラクフ 琥珀博物館

グダンスク 市庁舎

1561年 建築 今は博物館となっている

夏場のみ展望台が解放され広場とバルト海が望める

グダンスク 市庁舎
グダンスク 市庁舎 内部

ドゥーギ広場 と ネプチューンの噴水

1633年 完成

ドゥーギ広場
グダンスク ネプチューンの噴水

グダンスク 第2次世界大戦博物館

2017年 オープン

グダンスク 第2次世界大戦博物館

グダンスク造船所と連帯記念碑

グダンスク造船所と連帯記念碑

ヴェステルプラッテ

平和を願う記念碑

ヴェステルプラッテ

ドゥーガ通り

メインストリート 王の道と言う意味

ドゥウーガ通り

マルボルク城(宗教施設)

マルボルク グダンスクから60キロ郊外

1274年 創建 1309年~1457年までドイツ騎士団が使用していた。

赤レンガを一つ一つ積み上げ150年かけ完成させた城 内部は宮殿のような作りとなっている

温めた石を使った暖房施設も完備していた

城の主はドイツ騎士団 ポーランドが周辺国の攻撃に備え800人のドイツ騎士団(カトリック)を呼び寄せた

キッチンやトイレが木製で出来ている 当時 紙は貴重であったため

トイレットペーパーの代わりにキャベツを使っていた

マルボルク城 調理場
マルボルク城 大食堂

13世紀 ドイツ騎士団は十字軍の遠征からもどりここを拠点にキリスト教の布教活動をしていた

マルボルク城は修道院でもあり騎士たちは修道院でもあった 場内の個室は祈りをささげる部屋でもあった

しかし実際は異教徒を武力で弾圧し文たちの領土へ組み込んでいった バルト海沿岸もドイツ騎士団に制圧された

バルト海沿岸は琥珀の産地でドイツ騎士団は琥珀の権利を独占した

やがてドイツ騎士団は宗教活動から政治活動に力を入れるようになり ヨーロッパでもっとも強大な政治組織となる

ドイツ騎士団は ほかにも120の城と90の町を築いた ドイツ騎士団繁栄ののち 

ドイツ騎士団との戦いに勝利したポーランドリトアニアがこの地を統治する事になる

ドイツ騎士団
ドイツ騎士団の像
マルボルク城 ドイツ騎士団

現在 マルボルク城は博物館となっており城内にレストランもある

ビール入りのパンケーキなどが頂ける

マルボルク城
マルボルク城
マルボルク城内の聖母マリア教会
マルボルク城 (2)

トイレの表示は悪魔のマークとなっている

ポーランドではトイレに悪魔が住んでいると考えられているため

トイレは悪魔の看板があるところ
トイレの看板

毎年 7月下旬 ポーランド王国とドイツ騎士団が戦った マルボルタ包囲戦 を再現したイベントが開催される

マルボルク城 マルボルタ包囲戦

エルブロング

観光船は約30キロの距離を4時間半かけゆっくりと進む 乗船料は3600円

狭い川幅を進む大型観光船 高低差100メートルを グイグイと登っていく

川から陸に上がった船がリフトの力を利用し陸の上を走る

リフトは もともと切り出した木材を運ぶために造られた

陸を過ぎると再び着水する 陸と川を4回繰り返し進んでいく

エルブロングの場所
エルブロング遊覧船の乗客
エルブロング遊覧船
リフトで船が陸に上がる様子2
リフトで船が陸に上がる様子
エルブロング
陸の上を走るエルブロング遊覧船 

ジニン

ワルシャワから約300キロ

湖水地方の中心都市

観光用のトイトレイン(おもちゃのような小さな汽車)

ジニンの汽車

1894年に開通した 乗車時間は40分

砂糖キビと大根の運搬に使われていた

サトウキビやダイコンは今でも栽培されている

ビスクピン

ジニンから10キロ郊外

ポーランドのポンペイとも言われている

1933年 子供たちと遠足にやって来た先生が偶然に発見した 紀元前8世紀の砦と集落跡

ビスクピン

黒いマリア

チェンストホヴァ

クラクフから約140キロ

ヤスナ・グラ修道院

カトリック修道院 

ヤスナ・グラ修道院

夜の10時になると修道院の奥に沈む夕日がみられる

修道院の奥に沈む夕日 (2)
修道院の奥に沈む夕日 (1)

黒いマリア 火災に会い顔が黒くなってしまった為そういわれている

多くの巡礼者が黒いマリアを拝むためにやって来る

昔 スウェーデンとの戦いで最後まで屈しなかったそれは黒いマリアの奇跡と言われた

修道士は一日中休むことなくミサを行っている

普段黒いマリアは黒い幕がかけられているが時間になるとラッパの演奏と共に幕が上がる 

ラッパの演奏と共に黒いマリアが披露される

黒いマリアはポーランドの女王とも呼ばれている

ヤスナ・グラ修道院 黒いマリア
黒いマリア


<目次>

1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地) 
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか)
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)