テスト

ポーランド 南西部  ナチスドイツの地下基地

イェレニャグラ

ポーランド南西部 チェコとの国境近く  築100年を超える 古い城が多く残っている

しかし修復できる職人の数は不足している

イェレニャグラ

ポーランド南部 ヴァング教会

山の頂上に建てられた北欧バイキングの教会 船作りと同じ建築方法で建てられた

ポーランド ヴァング教会

下シロンスク地方

ナチスが造った秘密の地下基地がある 地下基地には財宝と機密文書が隠されていた。

ある日 地下基地近くにトラックが突っ込む大爆発を起こした。

戦争末期には数千人の兵士で守られていた その最強兵士をナチスドイツはワンダフルウェイポンと呼んでいた

下シロンスク地方の場所
ナチスドイツの地下基地

クションシュ城

13世紀 貴族によって森の中に建てられた城

その後 この地方はチェコから神聖ローマ オーストリア ハンガリー ドイツと次々と支配者が変わっていく

ヒトラーはこの城に司令部を置いた ヒトラーはこの城を訪れたことはないが いずれこの城に住むつもりでいた

城の地下には第2次大戦時 ドイツ軍が造った ナチスのトンネルがある

ナチスは そこをシェルターとして使用していた。

地下道の長さは950メートル 地下にエレベーターが造られる要諦だった

今は科学アカデミーとして地震観測に使われて立ち入り禁止となっている

クションシュ城
クションシュ城

オスーフカ(オスフカ地下施設)

ナチスが造った地下施設がある 地下道は20キロ離れたクションシュ城(ナチスドイツ司令部)まで繋がっていた

今では政府一押しの観光スポットとなっている

監視所があり機関銃も置かれている 全長1700メートルの地下施設

天井までの高さは10メートルもあった 3か所造られた地下施設は全部 繋がる予定だった

地下基地を作り鉄道を通す予定だった

ナチスドイツは その地下基地でデンマークやノルウェーから科学者を呼び寄せ秘密兵器が造られる予定であった

オスフカ
地下の秘密基地(未完成)

戦争末期 ソ連軍がドイツの地下施設の情報を得る その事を知ったドイツは地下基地(未完成)の入り口を爆破した

ムジャクフ公園

ムジャクフ公園

アウシュビッツ強制収容所

クラクフから約70キロ郊外 アウシュビッツはドイツ語

人類最大の負の遺産 ナチスドイツやユダヤ人絶滅の為に作った施設 

戦前までポーランド全人口の約10分の1がユダヤ人であったが ポーランドのユダヤ人は消滅した。(現在もまだ戻っていない)

一本の線路でつながったアウシュビッツ収容所 その線路もユダヤ人が造らされた

土を運ぶ汽車に乗せられユダヤ人たちが運ばれてきた 1両に70人が運び込まれ移動中に亡くなった人もいた

アウシュビッツ (2)
アウシュビッツ2

戦争末期 敗戦色が濃くなったナチスドイツは多くの施設を破壊し隠ぺい工作を行った

ナチスドイツがアウシュビッツから撤退する際 都合の悪い資料は全て処分した

現在 ポーランド政府はこの悲劇を後世に伝える為 建物の保護が法律により決められている

世界遺産に登録され年60万の観光客が見学に訪れる

ポーランド政府が博物館を運営している 毎年1月に追悼式が行われている 

年200万(うち日本人は400人)の見学者が訪れ 17の言語でガイドが行われている 日本人による日本語ガイドも行っている

アウシュビッツ
アウシュビッツ
アウシュビッツ国立博物館

ガラスケースに山のように積まれたケースカバン

永遠に持ち主の元へ帰ることのないカバン

カバンには それぞれ持ち主の名前が書かれている

後で返すと嘘をつきカバンの持ち主に名前を書かせた

アウシュビッツ カバン
永遠に持ち主の元へ戻らないカバン
ここに送り込まれた人のカバン
虐殺された人々の靴

ゲットー

ユダヤ人を狭い部屋に閉じ込め毒な食事も与えずに殺害した

ゲットー
アウシュビッツ内部の独房
アウシュビッツ内部 部屋
アウシュビッツ内 共同トイレ2
アウシュビッツ内 共同トイレ
ゲットーの壁

ポーランド人に助けられたユダヤ人

地下の貯蔵庫にユダヤ人をかくまり にせのIDを持たせピアノの合図とともに300人のユダヤ人を逃げさせた

ガス室

アウシュビッツに送り込まれてきた人はまず死の選別を受ける

すぐにガス室に送られ死ぬか 過酷な労働の末 死ぬか 

生かすか殺すかは軍服を着たドイツ兵が即座に決めていた

老人や妊婦 それと身長120センチ以下の子供 男でも働けそうにない物から順にシャワー室へと送られた。

アウシュビッツに送り込まれた人の75%がガス室 行きとなった

シャワーを浴びさせられたあとガス室へと送り込まれる

ガス室
ガス室

ガス室からは大量のガス管が発見されている

毒ガスチクロンB(殺虫剤の一種)により約20分後には息絶える 15分~20分かけ苦しみながら亡くなっていく

チクロンB 毒缶
ガス室で使われたガス空の缶
ガス缶

遺体から金歯や銀歯を抜き取られ 髪の毛は剃られた 

ナチスドイツは人の毛で布を織っていた。また人の毛とほかの毛を混ぜ絨毯もおられていた。 人の脂からは石鹸 皮膚で紙も造られた

金歯等はベルリンに運ばれた

一度に数百人単位で殺害し 一日当たり数千人が殺されて行った

一度に千人以上を殺せる大部屋のガス室もあった 遺体はすぐに焼却された

アウシュビッツ 焼却炉

死の壁

計1~2万人が銃殺された死の壁 亡くなった多くの人はナチスドイツに抵抗したポーランド人

過酷な労働環境

収容棟には170のベットに700人が詰め込まれ真冬でもわらのベットしか与えられなかった

毎日 作業を終えると まだ使い物になるかならないか選別される

ほとんどのものは3か月以内に力尽きた

20か国の人々からなる110万~150万の人が ここで犠牲となった

アウシュビッツで亡くなった人たちの顔写真

オシフィエンチム強制収容所

クラクフ郊外 クラクフから68キロ ナチスドイツは10万の人を送り込み虐殺した

オシフィエンチム強制収容所

ビルケナウ収容所

300頭以上の建物が建て横一列に並ぶ 

ビルケナウ収容所(アウシュビッツから2キロの場所)はアウシュビッツ2号と呼ばれていた

アンネの日記の著者 アンネフランクもこの収容所へ入れられた

ビルケナウ収容所

新約聖書

実は新約聖書の中にユダヤ人迫害理由について書かれている

当時 イエスはユダヤ教の改革運動をしたことによりユダヤ人ににらまれ処刑された 

のちにヨーロッパでキリスト教徒が増えイエスを殺したユダヤ人の迫害を始める

ヒトラー以前 中世のヨーロッパにおいてもうすでにユダヤ人の迫害が行われていた。

その後 一部のユダヤ人は当時 恥とされた金貸し業(金融業)で大成功する ユダヤ人はキリスト教徒に ますますにらまれるようになった

ポーランド 南東部

ルブリン

16世紀のっポーランドリトアニア王国 誕生の地

ポーランド ルブリン.

ルブリン城

ルブリン城

マイダネク強制収容所

第2次大戦時 ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺が行われた現場

マイダネク強制収容所

ナウェンチュフ

ルブリン郊外の温泉施設

ナウェンチュフ

旧ルブリン門


<目次>

1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地) 
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか))
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)