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ヴァロツワフ  ヤヴォルの平和教会

ヴァロツワフ

クラクフから270キロ ワルシャワから355キロ

古くから石炭の一大産地だった 今も工業都市として栄えている

6世紀にはもうすでにスラブ人(ロシア ウクライナ系)の人々が住む集落があった

14世紀にボヘミア王国の支配下となり 以後 神聖ローマ帝国の領土となった

第2次大戦中 ドイツに占領されていたが その後 連合軍の手に落ちる

ドイツが運が撤退する際  

ナチスドイツは多くのトラックで機密書類と弾薬を運んだ後 秘密倉庫を爆破し去っていった。

一方 ポーランド兵は調教したクマと共にドイツ兵と戦った

ヴロツワフ2
ヴロツワフ
ヴロツワフ 旧市街広場

ヴァロツワフ 市庁舎

ヴァロツワフ 市庁舎2
ヴァロツワフ 市庁舎

ヴァロツワフ 百年記念会館

ヴァロツワフ 百年記念会館

ヴロツワフ大学

これまでに十数名のノーベル受賞者を出した名門校

ヴロツワフ大学

ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパ最大の木造建築

6000人収容可能

ヤヴォルの平和教会

シィフィドニツァ地方

 
シヴィニツァの平和聖堂 シフィドニツァ平和教会

ヴァロツワフから約40キロ郊外

ポーランド西部(ドルヌィ・シロンスク県)ワルシャワから約300キロ

シヴィニツァの平和聖堂
シヴィニツァの平和聖堂 内部
シフィドニツァ平和教会 内部
シフィドニツァ平和教会 天井

1645年  プロロテスタントの教会として建てられた

木の枠にわらと粘土を詰め込み造られた 

中央祭壇には成人の像が飾られている

一見 大理石でできているように見えるが木で出来た彫刻

木とわらと粘土だけを使って作られた建物

木材を使って石やレンガで作ったように見せた

石の彫刻のように見えるが木材で出来ている

4階の壁には旧約聖書 2階の壁には新約聖書が書かれている

シフィドニツァ平和教会 彫刻群
シフィドニツァ平和教会 中
シフィドニツァ平和教会 内装

16世紀 宗教改革でカトリックとプロテスタントが対立する

その後 その土地の領主が信仰する宗教を選んだ この土地の住民は圧倒的にプロテスタントが多かった

しかしこの土地を納める神聖ローマ帝国はカトリックを信仰していた。

ローマ皇帝は やむえず プロテスタント信者に教会を作ることを許した。

しかし 工期は1年 しかも資材に金属や石とレンガの使用を禁じた。

それは寛大さを装った弾圧であった。それでもプロテスタント教徒は 

木と わらの粗末な素材だけで見事な教会を たった1年で作り上げた(※ただ構想(設計)と資金集めに4年の歳月を要した。)

教会には全部で2000本の木材が使用されている

当初 ローマ皇帝は木材の建物は長持ちしないと考えていた。しかし 常に修復を行うことで450年間も使い続けている。

その時造られた 2つの平和教会が 現在は世界遺産に登録されている

大木を大理石彫刻に見せて造られた 金属は使えないため釘も一本も使わずに建てられた。

今の技術を持ってしても困難とされている

石や鉄を使わずに建てられた
全て木を彫って作られた彫刻群
木製の彫刻(シヴィニツァの平和聖堂)
木製の彫刻(シヴィニツァの平和聖堂) (2)
木製の彫刻(シヴィニツァの平和聖堂) (1)

棺には亡くなった人の肖像画が取り付けられている 棺に取り付けられた金や銀の装飾品は埋葬後 教会に保存される

ポーランド東部 ヨーロッパバイソン

ザモシチ旧市街

ワルシャワから東に約300キロ

16世紀 イタリアへ留学したポーランド人留学生が そこで見たルネッサンス様式の美しい街並みをそのまま祖国に持ち帰りたい考えた

やがて その夢は ポーランドの何もない辺境の地(沼地)で実現する

1580年 祖国へ帰国したポーランド人留学生は わずか10年で国王のに上り詰めた イタリアで見たルネッサンス様式の街並みをザモシチ旧市街に再現した。

着工から11年200件の建物が碁盤目状に建てられた

人一人住めない沼地が3000人が住める街へと変貌を遂げた

町全体が統一感を持たせ建てられた

どの方向から攻撃されても対処できるよう5角形に造られた

免税を行い 海外から商人を呼んだ その中でもアルメニア人が一番の成功者であった 

東方からは毛皮や武器が入ってきた

ザモシチ

聖トーマス大聖堂

ザモシチ大聖堂
ザモシチ大聖堂
ザモシチ 第7バスチオン

ヤン ザモイスキー

ヤンザモイスキ
ヤン ザモイスキー

16世紀 ポーランドリトアニア共和国の大貴族 ヤン ザモイスキー

聖トーマス大聖堂の地下にはヤン ザモイスキーが眠っている

また 大聖堂の隣には高さ22メートルの鐘楼塔が建っている

聖トーマス大聖堂 鐘楼塔
ザモシチ 聖トーマス大聖堂

>ザモシチ 市庁舎

当時 造られたばかりの大砲の攻撃に備え城壁は低く頑丈に作られた 
正午になると市庁舎の時計台から3方向に向かって時を知らせるラッパが鳴らされる

ザモシチ 市庁舎2
ザモシチ 市庁舎

ザモシチ大聖堂

ザモシチ 兵器庫博物館

ザモシチ 兵器庫博物館

ザモシチ ロトンダ

第2次大戦時 ナチスドイツに占領され ここで8000人のポーランド人 ソ連人 ユダヤ人が虐殺された

今は博物館となっている

ザモシチ ロトンダ

ビャウォヴィエジャの森

ヨーロッパバイソンの生息地 ヨーロッパ最大の哺乳類

体長3メートル 方の高さまでが2メートル

体重900キロ 一時は残り12頭にまで減った 絶滅危惧種

バイソンの絵柄はウォッカのパッケージにもなっている

バイソンは第1次大戦後 食料を補うため乱獲され数を減らした。

ビャウォヴィエジャの森

1929年にはヨーロッパ全土でヨーロッパバイソンの数が建った54頭にまで減ってしまった。

内、固有種は たったの12頭 しかも 殆どが家畜と混ざった雑種だった

23年後 やっと繁殖に成功した

ヨーロッパバイソン
ヨーロッパバイソンが描かれたウォッカ

ポーランド南部 タルヌフ

人口10万の小さな町

建築的に価値のあるゴシック建築の建物が多く残る

広場の近くにはユダヤ人居住区がある 

第2次大戦時には多くのユダヤ人が連行された

タルヌフ

オグロジェニエク城

岩山に築かれた城 天井がなく壁だけが残っている

オグロジェニエク城3
オグロジェニエク城 (2)
オグロジェニエク城 (1)

聖母マリア生誕大聖堂

高さ72メートル

聖母マリア生誕大聖堂

ザコパネ(ポーランド南部の山岳地帯)

ザコパネ様式博物館

ザコパネ様式博物館

グバウフカ山

グバウフカ山

大カスプロヴィ山

大カスプロヴィ山


<目次>

1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地) 
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか))
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)