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歴史

10世紀 ミェシュコ1世によりポーランド王国が建国された

ミェシュコ1世
ポーランド王国時代の領土 今よりも広い

ポーランド王国 地図

 

11世紀 クラクフがポーランド王国の首都となった

ポーランドは昔 アジアからヨーロッパへ進出した遊牧騎馬民族の通り道だった

その遊牧騎馬民族に対抗するためにシュラフタ(騎士団)が結成された

当時 貴族の間で べんぱつ 頭の周りの髪の毛をそり落とし真ん中だけ残す髪型

べんぱつ
シュラフタ

13世紀 ワルシャワの建設が始まる

1240年 モンゴル軍は ポーランドへ侵攻した。

トゥルスクの戦いでモンゴル軍は圧勝した

14世紀 貴族が行っていた貴族の実が投票できる選挙で国王を決めていた。

ポーランド リトアニア王国が建国される 首都は引き続きクラクフに置かれた

ポーランド リトアニア王国の旗

1466年 ポーランド リトアニア王国はドイツに占領されていた領土を奪還した

やがてポーランド王国は黄金期を迎える ちょうどその頃 トルンでコペルニクスが生まれる

コペルニクス

16世紀 ポーランド リトアニア王国がヨーロッパ最大の国家となる

1596年(又は1611年) 首都がワルシャワに移るまで600年間 ポーランド王国の首都として栄えた

1385年 リトアニア皇室にポーランド人を招く ドイツ騎士団に対抗するための政策でもあった

その後 ポーランド リトアニア共和国が誕生する そしてポーランド リトアニアは宿敵 ドイツ騎士団と戦い 勝利する

ポーランド リトアニア共和国は更に領土を拡大ベラルーシ全域

ロシアとウクライナの一部を占領する ヨーロッパ最大の国家となる 

しかし権力は次第にリトアニアよりポーランドの方が上で王より貴族の権限が強くなる

13~14世紀にかけてドイツ騎士団が納めていた領土
ドイツ騎士団が占領した地域

1480年 ポーランドとリトアニアがウクライナのあたりを併合する 

コサック民族からなるザポーレーゼコッサックはポーランド軍の一員として戦っていた。

ただ クリミア半島だけは タタール人からなるクルムハン国が支配し続け

黒海とクリミア半島
ウクライナ 地図

ザポーレーゼコッサック単独でクルムハン国と戦うこともあった ただのちにポーランドと戦うためにコサックとクルムハン国は同盟を結ぶ

コサックダンス

16世紀(1558年~1583年)

エストニア リトアニア(隣国)の支配権争いが原因でリボニア(リヴォニア)戦争が勃発する

戦後 リトアニアの北部がスウェーデン領となり エストニアの南部がポーランド領となる

リボニア(リヴォニア)戦争

1569年 リトアニアとポーランドが合併しポーランド・リトアニア共和国となる 

1596年(または1611年) ポーランド王 ジムヌント3世が首都をクラクフからワルシャワに移した

17世紀 ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年) (1654年~1667年) 12年~13年間 長期にわたるロシア ポーランド戦争が起こる

 ロシアの内戦にポーランド リトアニアが介入して発生した戦争

モスクワ公国はポーランドに大敗を期しモスクワはポーランドに占領される

ベラルーシの人口は100万単位で激減する 虐殺が行われた可能性が高いとされている

ロシア・ポーランド戦争

1667年 ロシア ロマノフ朝とポーランドの戦いの結果  ドニエプル川の東側とキエフは帝政ロシアの領土となる 一方 西側はポーランド領となる

ちょうど今のウクライナを半分に分けたような形となる  ただクルミア半島だけはオスマン帝国が支配していた 

1772年 ポーランドは125年間ドイツやロシアに支配された歴史を持つ

1772年 3分割されたポーランドの地図

最初の分割

ポーランドは 帝政ロシア(ロマノフ朝) プロイセン(ドイツ) オーストリアの大国3か国に3分割され占領された

ポーランドは地図から消えてなくなった。

ポーランドの国土消滅状態は100年続いた ポーランドの王政も廃止となった

19世紀半ば 国内に鉄道が開通する ヨーロッパの鉄道大国だが第二次大戦中 ポーランド国内の鉄道路線の3割が破壊された

1918年 第一次世界大戦後独立を果たした。

1919年 ポーランドソビエト戦争が勃発する 結果はイギリスとフランスの支援を受けたポーランドの勝利

ポーランドソビエト戦争

ポーランドはロシア(すでに崩壊したロマノフ朝)から多くの領土を獲得する

それらの地域は のちにチェコやスロバニアやルーマニアとなって独立する

チェコ スロバキア ハンガリー の地図

  戦争に負けた帝政ロシアは領土を減らした

西ベラルーシがポーランド領となり 東ベラルーシは帝政ロシアとなる 

ロシア革命が起こり 帝政ロシアはベラルーシ領を放棄する その時 ベラルーシは一時 独立を宣言する 

2回目の分割

1939年 ドイツがポーランドに侵攻し第2次大戦が始まった 

ソ連とドイツの間に 秘密議定書 不可侵条約(お互い他国を占領しても見て見ぬふりをしましょうという条約)を結ぶ

天敵と言われていたヒトラーとスターリンが手を組んだ条約 

そしてソ連はドイツがポーランドへ進行するのを許す代わりにソ連も周辺の小国を併合していった

1939年 2分割されたポーランドの地図

16日後 ソ連もポーランドに侵攻した そのときスターリンはポーランドの捕虜 2万人を銃殺している

ポーランドはソ連とドイツに分割統治された

ポーランドの国土は再び消滅した。ポーランドは 又しても地図から消えてなくなった。

ポーランドはイギリスとフランスと協定を結んでいたが両国から見捨てられた

1941年 独ソ戦が行われる 

ドイツは一方的にソ連との不可侵条約を破りポーランドに侵攻した。ポーランドはソ連と手を組みドイツと戦った

1944年 ワルシャワ蜂起

ポーランド政府は海外に逃れ亡命政府を樹立した イギリスやフランスから支持を求めた

ロンドンから ポーランドに残った兵士に指示を出し粗末な武器を手にゲリラ戦を繰り広げた 敵の不発弾から火薬を抜き取り肉をミンチにする機会を使い爆弾を作った

殆どのワルシャワ市民も戦いに参加した 

ナチス軍をどんどんと追い詰め 

ワルシャワ蜂起からたった1週間でドイツ軍をワルシャワ中心部から撤退させた

そしてポーランドは見事に祖国を取り戻した

ナチスに禁止されていたショパンの曲が復活した。

ワルシャワ蜂起から1か月後 ドイツが再びポーランドに侵攻し

追い詰められたポーランドはソ連に助けを求めたが ソ連はポーランドを見捨てた

死者20万 ポーランドは人口の2割を失った

ワルシャワ蜂起から2か月後 ポーランドはドイツに降伏する

1945年 ソ連軍がワルシャワ入りする

ソ連はイギリスで活動するポーランド亡命政権に対抗する政権をポーランド国内に造る

戦後 ポーランドにソ連の影響力の強い共産党が誕生する ポーランド国内にソ連軍が駐留する

ソ連は多くのポーランド人が中央アジアの灼熱のカラクム砂漠(トルクメにスタン)へ送り強制労働をさせた。

戦後 農業の近代化に遅れポーランドの農業は衰退した

多くの農民は今でも馬を使って田畑を耕している

ポーランドは農業国から工業国へと変わっていった

カラクム砂漠
カラクム砂漠 (2)

1955年 ナトー(米軍と西ヨーロッパからなる軍隊組織)に対抗してソ連はソ連軍と東ヨーロッパの軍隊が結集したワルシャワ条約機構が結成される※ワルシャワはポーランドの首都※

ワルシャワ条約機構 加盟国 地図

1980年 ソ連の影響下にある東ヨーロッパの国では初めてとなる組合が設立され ストが発生した 市民の提案にポーランド共産党が譲歩する

社会主義体制の崩壊を恐れたソ連がポーランドに軍を派遣し弾圧を行った。

1981年 市民と警察官の衝突が切っ掛けとなり1000万人規模のストに発展した。

街は軍の装甲車で埋め尽くされた。 90人以上の犠牲者が出た

多くの人々が教会に避難した。ポーランド人の9割がキリスト教徒 政府も教会での集会だけは黙認していた。

1986年 民主化活動はしばらく沈黙を保っていたが 変化の兆しはモスクワから訪れた

ゴルバチョフはソ連の衛星国の国々 東ヨーロッパ諸国のソ連の影響力を弱めると発表した

国民の支持を得られないポーランド政府は社会主義体制を維持することを条件に連合に歩み寄りの姿勢を見せた

その後 選挙により 連合側の政権が勝利する  平和的な政権移行が行われた

ポーランドの社会主義体制は崩壊した 41年の歴史に幕 

ポーランドに連帯からなる新政権が誕生した

1989年 ワルシャワで東ヨーロッパ発の選挙が行われた

1991年 ソ連が崩壊しポーランドに駐留していたソ連軍が撤退した。 

ポーランドもロシア同様 経済の悪化に悩んでいた

ポーランド新政府は経済の立て直しのために国営企業の売却を行った

企業の民営化によりリストラも進んだ

民主化の影響を受け失業者があふれたため次の選挙では共産党の流れをくむ政党が政権を取った

元共産党出身者が次期大統領に選ばれた

ポーランドはEU加盟を第一目標に掲げた EUの加盟条件は31項目 ポーランドが条件をこなすまでに12年もかかった

経済対策としては街の郊外に17か所の経済特区(免税等を行い)外国企業を多く呼び込んだ

イギリスのIT企業やドイツの自動車会社がポーランドに進出した

それまで東ヨーロッパののみの輸出は西ヨーロッパにまで広まった

1999年 ポーランドはナトーに加盟する 安全保障面で大きな飛躍となった

ナトー 加盟国 地図

2004年 ポーランドはEU加盟を果たす

EU加盟国地図

EU加盟移行 ポーランド労働者の海外流失が起こり 労働者不足となった

その穴を埋める為 ウクライナ人がポーランドで出稼ぎ労働者として働くようになった

ウクライナ人は自国で働くより5倍多い賃金を得ることが出来る

ポーランド 独立100年を祝う
独立記念日 25万人が参加


<目次>

1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地) 
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか))
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)