テスト

モクモク有毒ガスが立ち込める硫黄島のその一帯は砂の間から硫黄が噴出し硫黄臭い匂いが漂ってました。そして岩までも黄色く溶けていました。

昭和20年(71年前) 硫黄島に集結した日本兵は日本の領土では初めてとなる地上戦に備え急ピッチで地下壕を掘ってました。
その地下壕は まるで巨大アリの巣のような地下要塞でした。その規模は大きく深さ20メートル全長は なんと18キロにも達してました。穴の中には病院まであったそうです。

地下要塞造りは絶悪(ぜつあく)な環境での工事であったため困難を極めました。足元からは靴底が溶けそうになるほどの地熱が襲って来ます。

そればかりではなく絶えず有毒ガスが発生しているため防護マスクをつけての作業となります。すると 呼吸をするのも困難になります。
しかも 戦局の悪化から物資が不足していたため作業はすべて手作業でした。場所によっては硬い岩盤を砕くのに1日1メートルしか掘る事が出来なかったそうです。

そんな万全の準備で(いど)もうとしていた硫黄島の戦いですが実はその戦いは勝つためではなく本土空爆を阻止(そし)するための時間稼ぎにしかすぎませんでした。
そのため硫黄島に送られたのはあまり戦力にならない年配者や十代の若者の兵士がほとんどだったそうです。中には銃の打ち方も知らない兵士もいたそうです。

島では兵士の食料として野菜の栽培も行われていたそうです。しかし もちろんそれだけでは足りなかったため定期的に輸送機が飛んでいました。
輸送機は食料だけでなく兵器も運んでいました。そんなある日 輸送されたばかりの荷物のシートを開けたら なんと中からは多くの竹やりが出て来ました。

それはあまりにも無謀な作戦でした。アメリカ軍の戦車に竹やりで向かって行くのは ほとんど自殺行為です。実はそのとき硫黄島の兵士は完全に本土からは見放されていたのでした。

硫黄島の岩
硫黄島の硫黄

ーーーーーーーーーこのあと 硫黄島でアメリカ軍の猛攻撃が始まります。つづきをどうぞ