テスト

2004年 約4年間の工事を終え やっとケソン工業団地の生産が始まりました。

工場の運営に当たっては北朝鮮側が土地と労働力を韓国側が資本(お金)と技術を提供する事で進められました。

2007年には平日に限りケソンから韓国ソウルへ貨物列車の運行が始まりました。
これで南北朝鮮日本統治時代 さらにはもっと前の朝鮮人同士が仲良く暮らしていた平和な時代に戻ったと誰もがそう思いました。

ところがそう言うわけにも行きませんでした。同年ソウルからケソンへの日帰りツアーが開始されましたが たった1年で中止になってしまいました。
その後 両国の関係が悪化しケソンソウルを結ぶ貨物列車も たったの半年で運行が中止になってしまいます。

そしてケソン工業団地は韓国側の撤退と再会を数回 繰り返します。しかし近年 北朝鮮のミサイル発射や核実験の軍事挑発が度々行われるようになります。
するとついに痺(しび)れを切らした韓国は2016年2月無期限でケソンからの撤退を表明しました。最盛期には北朝鮮の従業員5万人以上 韓国企業が123社も進出したそうです。 

そのとき北朝鮮ケソンで得た多くの利益は軍事費に回された事は間違いないでしょう 結局 韓国が同情的な感情で始めた事業ですが大失敗となってしまいました。

一時期 大量の韓国資本(お金)が投入され大賑わいだったケソン工業団地 (1)
一時期 大量の韓国資本(お金)が投入され大賑わいだったケソン工業団地 (1)
一時期 大量の韓国資本(お金)が投入され大賑わいだったケソン工業団地

ーーーーーこのあと約40年前 東南アジアのカンボジアで起こった悲劇についてです。つづきをどうぞ