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ナウル
ナウル 航空写真

イギリス連邦の加盟国  ポリネシア人とメラネシア人が先祖

メラネシア人
ポリネシア人

ナウルはかつて日本を超える金持ちの国だった

バチカン市国、モナコ公国 に次いで世界で3番目に小さな国

道は一本で30分もあれば国を一周できる 東京都港区と同じ大きさ

人口はバチカン市国、ニウエ、ツバル に次いで4番目に少ない国 12000人程度

若いころから年金が支給されるベーシックインカムを実施していた

前は鹿児島や那覇からナウルまで直行便が出ていた


ナウルの歴史

紀元前20世紀

紀元前20世紀 西方からカヌーに乗ってやって来た人が初めてナウルに到達したと推測されている

原住民はポリネシア人とメラネシア人が先祖

ナウル島の大きさは一周19キロで世界で3番目に小さな国

人口は約1万3千人

18世紀

1798年 イギリスの捕鯨船がナウル島に到達 島はプレザント島と命名された 

18世紀の捕鯨の様子

19世紀

1830年と1840年に白人の乗った捕鯨船が食料と水を求めてナウル島に上陸する しかし捕鯨船は たびたび島民の襲撃に会い

捕鯨船は島に近づかなくなった

1852年 アメリカとナウルは大砲の売買でもめた 

アメリカ軍艦 インダ号を拿捕された挙句 乗組員まで殺害されてしまった

1870年 ナウルの結婚式の場で射殺事件が勃発し紛争にまで発展した 紛争は10年以上続き島民の人口は1000人以下に減少した。(現在は約1万3千人)

1888年 ナウル紛争は36人のドイツ兵が島に乗り込み仲介を行った結果 ナウル島民は武装解除に応じた 

同年 ナウルはドイツ領ニューギニアに組み込まれる ナウル島はドイツの植民地となった

1889年 ナウルでニュージーランドの地質学者がリン鉱石鉱山を発見する 

大昔 ナウル島はサンゴ礁の上にアホウドリの糞が積もり出来た島

鳥の糞がつもり数万年かけてできたリン鉱山になった

リン(肥料の原料となる天然資源)は農業に不可欠

ナウルを統治していたドイツはイギリス資本の会社にリンの採掘権を与えた

アホウドリ

20世紀

1907年 ナウルでリンの採掘が開始された

1914年 第1次大戦でドイツがイギリスに宣戦布告したことでナウルはオーストラリアが占領する

1917年 第1次世界大戦の結果 イギリスが統治するオーストラリア領となる(ニュージーランドも同じ)

同時に リンの採掘権はイギリスの会社からイギリス オーストラリア ニュージーランドの3カ国に350ポンドで買い取られた

1940年 第二次大戦の時 ドイツ軍がリン鉱石を積んだ貨物船を沈没させる 同年 日本軍の攻撃により採掘所や住宅が破壊された

1942年 日本軍がナウル島を占領する 1200人のナウル島住民がミクロネシアのトラック諸島に強制連行させられた 多くの島民が日本軍により殺害された

トラック諸島

戦前の1940年 1848人いた島民は 戦後の1946年には1369人に減少した

1947年 ナウルは日本統治から再びイギリス オーストラリア ニュージーランドの3か国により統治される

1966年 島民は住民議会を発足し内政自治を会得した

1968年 ナウルは独立し英連邦に加盟した

1980年 リン鉱山の輸出で得た莫大な利益により公共料金や税金が無料となった 当時 太平洋地域でもっとも高い生活水準を誇っていた

1981年 ひとりあたりのGDP ナウルは日本の2倍で5位 

(1位UAE 2位モナコ 3位カタール 4位ブルネイ 5位ナウル 日本は22位 ※1981年当時)

(2017年度は1位ルクセンブルク 2位スイス 3位マカオ 4位ノルウェー 5位アイルランド 日本は25位 今ナウルは中国の一つ下の75位)

ナウル政府はリンの枯渇に備え不動産投資を行ったが大失敗に終わる

さらにリンが底をつきナウルは経済破綻に陥る

リン鉱山
かつての栄光 リン鉱山
過去の産物 リン鉱山 (1)
過去の産物 リン鉱山 (2)
リン鉱山

儲けは国民に平等に分配せれた

税金なし 医療費無料

金持ちだったころ購入した車
昔話
今じゃ破産

90パーセントの人が肥満体 食の欧米化が進んだため

糖尿病を患っている人は30パーセントと世界一多い

肥満一家

失業率も90パーセント

国民は車を何台も乗り回していた

結婚すると新居が支給されていた
(中東ドバイやカタールでは今も結婚すると国から土地と住宅が支給される)

政府は投資も行ったが失敗してしまった

裕福だったころグアム サイパン ハワイ オーストラリアにホテルを購入した

それらのホテルは もともとは非常時に国民を非難させるために購入したのだが
しかし近年、国内経済が行き詰まり売却が進んでいる

国民性は楽観的で温和、経済は崩壊しているにもかかわらず、デモや暴動もなく平和な生活が続いている。

島では一般的にナウル語が話されているが 英語もよく通じる

宗教は3分の2がプロテスタントで3分の1がローマカトリックの
キリスト教(一般的にカトリックの人よりプロテスタントの人のほうが経済的に裕福)

一時 ハブ空港を目指していた 滑走路は一本のみ

90年代 リン鉱山が切れてしまい 破綻

スパムという食べ物

肥満の原因にもなっている高カロリーの食事 (1)
肥満の原因にもなっている高カロリーの食事 (2)

21世紀

2001年 アフガニスタンから438人の難民を乗せた船がオーストラリアへ入港したがオーストラリアは受け入れを拒否した ナウルがオーストラリアから経済援助を受けることを条件にアフガニスタン難民を受け入れた 

オーストラリアへの入国を希望していた難民たちは大ショックを受けた

多くの難民

多くの難民を受け入れ その見返りとしてオーストラリアから援助金をもらっている

年間20億の支援を得た
中東から避難してきた難民たち
こんなつもりじゃなかったと語る難民たち (2)
こんなつもりじゃなかったと語る難民たち (2)
日本の受け入れはたったの6人

中東からの戦争難民が多い 難民たちは みんなオーストラリアの移住を希望していた

アニバレ漁港 日本の援助で作られた港

アニバレ漁港

1月31日 独立記念日 (1968年 オーストラリアから独立)

2002年 台湾との国交を断絶し 中国と国交を結ぶ

そして中国から1億3千ドルの支援をいただく

しかし2005年 再び台湾と国交を回復し 中国との国交を断絶している 台湾から援助金をいただき航空機を購入する