テスト

毎日毎日来る日も来る日も牛乳を飲み続けパンに至っては約2日に一回は食べてました。それは子供のころの学校給食の思い出です。
その西洋風の献立は どうやら戦後 日本を統治したアメリカが関係しているようでした。

そのときアメリカ人は日本人に子供のころから洋食になじんでもらい将来 日本人にアメリカ産の牛乳や小麦をたくさん買ってもらおうと言う作戦のようでした。 
そして近年 日本人の米(こめ)離れが進んでいるという話を聞くとその時のアメリカの作戦は見事に成功しているのかもしれません。

そんな中 元気いっぱいの子供たちが目いっぱい糸を引きながら学校給食の納豆を美味しそうに食べてました。
そこは納豆の消費量日本一の茨城県 水戸市の学校かと思いきや…福島県福島市の学校でした。そして納豆消費量日本一も茨城県(水戸市)ではなく福島県(福島市)のようでした。

水戸市の学校が3か月に一回の割合なのに対して福島市では最低でも2週間に一回は給食に納豆が出てくるそうです。
ちなみに30年近く前の話ですが僕が通っていた学校(愛知県)では給食に一度も納豆が出たことはありませんでした。

さらに福島市のスーパーでも納豆売り場が大きく場所を占めているそうです。そしてほとんどの納豆が100円以下で購入できるとの事です。
どうやら納豆消費量と納豆熱では水戸市より福島市に軍配が上がったようでした。

さて今度は水戸納豆の名誉回復のために納豆発祥の記念碑を見に行く事にしました。
ありました 赤いピラミットのような石碑が確かにそこには〃納豆発祥の地〃という文字が刻まれていました。

しかし妙に気候が寒いことに気づきました。それもそのはずそこは なんと茨城県ではなく東北の秋田県でした。そして納豆発祥の地も水戸市ではなく秋田県(横手市)でした。
僕は恥ずかしながら今までずっと水戸が納豆発祥の地だと勘違いをしてました。ただ糸引き納豆の生産量は茨城県が世界一でした。 

全国的に有名な水戸納豆
納豆発祥の地の石碑

ーーーーーこのあと1000年前の戦で偶然に誕生した納豆物語をお伝えします。
つづきをどうぞ