テスト

(歴史)

8000万年前
の頃の恐竜の卵の化石 モンゴルで見つかる 当時モンゴルはジャングルだった

恐竜の卵

4500万年前

モンゴル高原では砂漠化が進む

ゴビ砂漠

紀元前5000年(7020年前)

ラオス人の先祖 ラーオ族がアルタイ山脈(ロシア シベリア、モンゴル、カザフスタン)から漢民族に押され中国 黄河や長江の中間のあたりまで南下する

アルタイ山脈(ロシア)
ラーオ族

3500年前から4000年前

オーシギン ウブリーン遺跡(モンゴル)鹿石からなる遺跡 

14本の鹿石、人面や月、太陽、装飾品の彫られた石柱

オーシギン・ウブリーン遺跡

紀元前10世紀~紀元前6世紀
のモンゴルの草原に人工的に建てられた石柱が今も残っている

鹿石(ルーシー)

紀元前853年(2873年前)

モンゴル北方より中国へ攻めてきたタタール人により西安ムアンルン(ラオス ラーオ族)は重慶ムアンパー(ラーオ族)へと移住する

その後 重慶ムアンパー(ラーオ族)は周(中国王朝)の攻撃を受け 湖南省 長沙ムアンギャオ(ラーオ族)へ移住する

タタール人

紀元前8世紀

周が都を洛陽に移してから秦が中国を統一するまでの550年間を秋春時代と言い モンゴルもその戦火に巻き込まれる事となる

秋春時代の中国地図

紀元前4世紀

モンゴル高原に広大な領土を持つ国家 匈奴が誕生する

匈奴の支配地域

紀元前3世紀

秦の始皇帝の死後 匈奴が中国内モンゴルを支配する

紀元前3世紀
月氏は 同じモンゴル系の匈奴に敗れキルギス イシク湖に逃れサカ王を追い出し そこに大月氏国を立ち上げる

紀元前3世紀
 劉邦率いる前漢とモンゴル匈奴の間に白登山(大同)の戦いが起こる 戦いに敗北した前漢は匈奴の属国となった

白登山(大同)

紀元前3世紀
 月氏(中央アジアのモンゴル系民族)は玉の民と言われ ホータンで仕入れた玉を漢(中国)へ運び 玉を売ったお金で絹を買っていた 絹はシルクロードを通って遠くヨーロッパまで運ばれた 

玉ぎょく

紀元前221年
秦長城(中国 内モンゴル)秦の始皇帝が北方の異民族(モンゴル人)の侵入に備えて作らせた

秦長城

紀元前2世紀 

紀元前2世紀
 中国ウイグルのキジ国はモンゴル匈奴の属国となる 

匈奴はロシア バイカル湖 周辺を統治する

ロシア  バイカル湖

匈奴がモンゴル高原と西域26か国とを統一する

紀元前176年
 ローラン王国は一時 月氏(中央アジアのモンゴル系王朝)の支配をうける

その後 月氏は匈奴に敗れため ローラン王国は匈奴(モンゴル)の支配下に入った

楼蘭遺跡
楼蘭の美女 推定年齢4000歳

紀元前161年
大月氏が烏孫(キルギス)建国

烏孫と前漢(中国)は友好関係にあった 烏孫は軍事大国であったが常に北方の匈奴(きょうど=モンゴル系)におびえていた

紀元前146年前
匈奴の支配下にあった内モンゴルは前漢 武帝の反撃にあい次々と陥落していった

紀元前1世紀 2078年前

モンゴル 匈奴で内部分裂が起こる 隣国の前漢が仲介に入り騒ぎは収まる 以降 前漢と匈奴は平和な時代が続く

46年

モンゴルでイナゴの大発生が原因で大飢饉が起こる

匈奴の人口は3分の1まで激減した。

イナゴ
イナゴ大発生

48年

南匈奴が匈奴(本体)から分裂する。南匈奴は後漢と友好関係を築き長城の内側に暮らす事を許される

93年

北匈奴(本体)は南匈奴(分裂)と後漢の攻撃を たびたび受け滅亡する

北匈奴の人々は西方(中央アジア)の方へ逃げていった。

北匈奴滅亡後 南匈奴も力が弱まり 変わって鮮卑(せんぴ)がモンゴル高原一帯を統治する

鮮卑は のちに中国で北魏を立ち上げる民族

鮮卑人
北匈奴 南匈奴 鮮卑

6世紀

552年
モンゴル高原と中央アジアの広い範囲にモンゴル系テュルク遊牧民国家 突厥(とっけつ)が誕生する(現在のモンゴル カザフスタン ウズベキスタン トルクメニスタン キルギス)

モンゴルでは突厥時代の王冠他 金銀財宝2300点も見つかっている

突厥は仏教を信仰し軍事と文化に力を入れた

突厥人
突厥の支配地域

582年

突厥  内紛により 東西に分裂する

突厥分裂
突厥 分裂地図

7世紀

616年
モンゴル 東突厥は隋(中国)の属国であったが 隋の衰退を機 隋に攻撃を仕掛ける

630年

それまで唐は東突厥の兵士を借りていたが 力関係が逆転し 東突厥は唐の属国となる

8世紀

744年

モンゴルの東突厥が回鶻(かいこつ=ウイグル)に滅ぼされる 回鶻はロシア バイカル湖 近くの丁令(匈奴からの離反者)の子孫 

回鶻の子孫(中国 ウイグル族)
回鶻の領土

756年
安史の乱が起こると唐はモンゴルの回鶻(かいこつ=ウイグル)に援軍を要請する

唐 回鶻 連合軍は反乱軍と8年間戦う

840年
モンゴルの回鶻(かいこつ=ウイグル)は唐と友好関係にあったが 国内の後継争いや異常気象が原因で衰退し滅びた。

 モンゴルで国が滅び騎馬民族は南方の3方向に分かれて旅立っていった

その一つが中国でウイグル族となった 

ウイグルではトルコ系のウイグル族が定着

新疆ウイグル自治区(中国)

860年
回鶻(かいこつ=ウイグル)滅亡後 モンゴルを支配していたキルギス族はタタール族に追い出される

テムジン のちのチンギスハーンの父親は そのタータール人に殺害されている

10世紀
 

916年
中国東北部にモンゴル系遊牧民からなる遼(契丹きったん)が建国される

926年
モンゴルからタタール人を追い出した遼はモンゴル高原と中国東北地方の広大な領地を統治する

その頃 遼が築いた城跡がモンゴル北部にハル ボヘン バルガス遺跡として今も残っている

ハル ボヘン バルガス遺跡 Khar bukhyn balgas/Хар бухын балгас

1038年
チベット系の民族 タングートの首長 李元昊(りげんこう)が中国北部の平原に西夏王国を立ち上げる

中国 内モンゴルのカラホトは西夏の中心地として栄える 

李元昊の像
カラホト遺跡

1195年
チンギスハーンは兵を集め金軍に捕らわれた遊牧民タタール人を救出に成功する。チンギスはその功績を認められ金朝皇帝から官職を授かる

1203年
テムジン(チンギス)はモンゴルの小部族(ケレイト王国とナイマン)に勝利し自分たちの部族に併合する

1204年
チンギスハーンはモンゴル高原の多くの部族をまとめモンゴル統一を果たす

1206年
 モンゴルの草原で生まれたテムジンが仲間と協力しモンゴル帝国を建国した テムジンは皇帝(大カーン)に昇進しチンギスハーンと改名する

チンギスが初めて小さな部族を束ねた指導者だった

だが のちに全人類の半数以上を支配下に置く大帝国に成長する

チンギスハーン
チンギス ハーン像テーマパーク 

1211年
 チンギスハーン率いるモンゴル帝国は金に侵攻

天山ウイグル王国はモンゴル帝国に滅ぼされる 以降 ウイグルはイスラム化が進む

天山ウイグル王国

1215年
 モンゴル帝国は金の都を攻め落とす 金王朝の皇帝は内紛のさなか殺害された

金は大部分の領土を失うも河南省 開封へ逃れ存続した

同年(1215年)
 中国 甘粛省の大仏寺でモンゴル帝国2代目皇帝のフビライハン(チンギスハーンの孫)が生まれる

フビライ

1218年
 ウイグルから中央アジアに存在した西遼 モンゴル帝国によって滅ぼされる

チンギスハーン率いるモンゴル軍はアフガニスタンに侵攻し都市を次々と陥落させていった。

同年1218年
 金朝の黒契丹が朝鮮に侵攻する それを高麗とモンゴル帝国の連合軍が撃退する

1219年
 チンギス率いるモンゴル帝国はホラズムシャー朝(中央アジア イランイラク)などのイスラム教徒が多い地域を攻める 一方でキリスト教国家 グルジア(現ジョージア)にも攻めた

そしてオトラル(カザフスタン)を攻め落とす その後 首都サマルカンドも陥落しホラムズの領土はモンゴル帝国の支配下に置かれる

ホラムズ王国の支配地域
ウズベキスタン サマルカンド

<目次>
1 国家創設~帝国誕生(紀元前~13世紀初期)
2 モンゴル帝国①ヨーロッパ中東 遠征(13~14世紀)
3 モンゴル帝国②アジア遠征(14世紀)
4 清朝 ソ連支配~独立(15世紀~現在)