テスト

紀元前40世紀から紀元前20世紀にかけフィリピンやインドネシアからミクロネシアへ人が移住してくる

最初の開拓者は優れた農業技術を持った台湾の原住民 オーストロネシア語族だったと言われている

オーストロ族

6世紀初め ミクロネシア ポンペイ島に人口の島が造られ始める 数百年後 それらの人工島はナンマドール遺跡として完成する。

ミクロネシア ポンペイ
ナンマドール人工島

10世紀 ミクロネシア ポンペイ島にシャウテレウル朝が誕生する

紀元13世紀 ミクロネシア ポンペイ島にナンマドール遺跡(玄武岩作り)が造られる その間 チャウペーン王朝が600年間 島を統治してきた

王が亡くなるたびに人工島と墓が作られ その合計は100以上となった

ナンマドール 図
ナンマドール

14世紀頃 コスラエ島(ミクロネシア)でレラ遺跡が建設される。ナンマドールと同じ巨石で作られた遺跡 コスエラ島はナンマドール遺跡のあるポンペイ島から約550キロ離れた小島

コスエラ島
レラ遺跡

1528年 ポルトガル人探検家がミクロネシア ヤップ島を発見する
ヤップ島はパラオとグアムの中間に位置する島で一番近いパラオ島から200キロ離れた小島

ヤップ島 ヤップ人

ヤップ人は石貨を使っていた。いつ頃から使い始められたかはわかっていない。

古いものは割れても価値は変わらない どれだけ大変な思いをして石のお金を運んだかによってその価値が変わる

海の中に沈んだ石貨にも持ち主が決まっている 石貨は昔パラオから運ばれてきたもの

20世紀初の日本統治自裁には1万3000個が確認されている

ワニアン村 石貨
ワニアン村 石貨2
石貨を運ぶ2

1529年 スペイン人が白人として初めてマーシャル諸島を発見し島は そのままスペイン領となる しかし その後 70年以上 何も手を付けずに17世紀まで放置する

同年 ミクロネシアもスペインの統治下におかれる
 
1565年 スペイン領ミクロネシアの中心地はグアム(現在はアメリカ領)に置かれた

1595年 スペインからミクロネシアにキリスト教が伝わる しかしスペイン人は布教活動以外 何もしなかった

1628年 シャウテレウル朝が崩壊する

1788年 イギリス人のギルバートとマーシャルがキリバス ギルバート諸島(キリバス)とマーシャル諸島(当時無名)を訪れ それぞれの島々に自分らの名前(ギルバート諸島 マーシャル諸島)と名付けた

1824年 ミクロネシア コスエラ島に白人として初めてフランス人が上陸する

1869年 ドイツ人が貿易の為 ミクロネシア ヤップ島へ上陸する

ヤップ島 ヤップ人2

1885年  スペインがミクロネシア ヤップ島に軍を派遣する 

同年 スペインとドイツがミクロネシアで軍事衝突を起こす

1886年 スペイン人がミクロネシア コスエラ島に要塞を建設する

1889年 スペインの国力が低下し植民地維持が困難となりグアムを除いた大部分の島をドイツ帝国に売りはなった. 

パプアニューギニアの一部とパラオやマーシャル諸島を含む ドイツ領ニューギニアが結成される  

 ドイツはマーシャツ諸島でヤシやコプラ(食用油を取る)を生産する

ドイツ統治下で原住民の遠洋航海が禁止された 遠洋航海の禁止は日本統治時代まで続いた。

ドイツ領ニューギニア
ドイツ領ニューギニア 地図

同年 ミクロネシアもスペインからドイツ領となる そのときドイツ人が築いたの鐘楼跡が今も残っている

ドイツの鐘楼跡
ドイツの鐘楼跡2

1914年 第1次大戦後 敗戦国となったドイツはマーシャル諸島とミクロネシアを日本へ譲り渡す

1920年 日本は国連から北マリアナ諸島(グアムを除きサイパンを含む)とパラオ マーシャル諸島とミクロネシアの統治委託を受ける

日本は それらの新たな領土に南洋諸島と名付けた。

ミクロネシアでは日本人移民により もともと4万だった人口が8万5千に急増した

1942年 米軍は日本が統治するマーシャル諸島やギルバート(キリバス)に空爆を行う

1944年 マーシャル諸島は米軍との地上戦となり日本軍が連戦敗北を期す また日本軍は米軍の空襲により空からも攻撃を受けた。

1944年 マーシャル諸島の戦い
ナンマドール 旧日本軍の戦闘機

1945年 ミクロネシア マーシャルは米軍に占領される 戦後はアメリカの植民地となる

1946年 米軍がマーシャル諸島近辺でニ十数回にわたる核実験を行う

ビキニ核実験所(ハワイ)
1946~ アメリカが23~67回も核実験を行っている  

1947年 国連からの委託を受けグアム サイパンとパラオとマーシャル諸島がアメリカの領土に組み込まれる それぞれの島民に英語による学校教育が強制された

日本が築いた設備を解体し 新たな投資で開発を行い島民はかつてないほどの繁栄を遂げた

同年 米軍のキャッスル作戦ではブラボーを含む計6回の水爆実験が行われた

ブラボーによる水爆実験が行われた

1954年 米軍のブラボーによる水爆実験がマーシャル諸島近辺で行われた 米軍が使用した水爆は広島に落とされた原爆の1000倍の威力 

島が丸ごと吹っ飛び 死の灰が130キロ離れたロンゲラップ島にまで到達した ロンゲラップ島民に被害が出る 直径2キロ 深さ70メートルのクレーターが出来た

ロンゲラップ島
核のクレーター
アメリカの核実験の為に家を追われた人々

日本の漁船 第5福竜丸も被爆した 近年やっと安全宣言は出されたが未だに人が住めない

第五福竜丸

1962年 米軍はマーシャル諸島(当時アメリカ領)にある核実験場で105回にも及ぶ核実験を行った。

1979年 アマタ・カブア(日系人)がマーシャル諸島に自治政府を発足する 一方 ミクロネシアでも島民のトシオ ナカヤマ(日系人の中山としおさん)が初代大統領となる

日系マーシャル諸島人のアマタ・カブアさん
ミクロネシア初代大統領の中山としおさん

1986年 マーシャル諸島とミクロネシ連邦は米軍基地を残したままアメリカからの独立を果たす。

1991年 ミクロネシアとマーシャルの3か国は国連に加盟する

2008年 北京オリンピックには初めてパラオとミクロネシア マーシャル諸島が独立国として参加した。