テスト

19世紀 フランスはカンボジアやラオスの統治に同じくフランスの植民地支配下にあったベトナム人を使っていたそうです。

もちろんそのベトナム人はフランス人の言う事を聞く人ですが当時フランスは卑怯なもので間接的に統治することで直接批判を浴びる事さ避けていたそうです。

イギリスも同じような目的で当時イギリスの植民地支配下にあったインドからインド人を香港やマレーシアなど様々な植民地に送ったそうです。

その時 送られてきたインド人の子孫が香港系やマレー系のインド人として今でも多くの人がインドに帰る事なく住み続けてます。

マレーシアのインド人はタミル人と言いインド南部から来た人々の祖先のようです。

そんなインド人の大切な祭りが 毎年一月 マレーシアの首都クアラルンプールで開催されます。それがインドの奇祭はタイプーサムです。

裸の男がまるでサテ(マレーの串焼き料理)の具のように串刺しになったまま行進します。

見てるだけで痛いので本場インドでは もう既に禁止されている祭りだとも聞きました。

<インドの奇祭 タイプーサムを紹介したビデオ>

祭り前日 クアラルンプールの中華街にある小さなヒンドゥー寺院スリマハマリアマン寺院が神輿の出発地点となります。

スリマハマリアマン寺院 19世紀 英国統治下

夜 大勢のインド人に担がれた神輿は いきのいい掛け声(※インド音楽付き)と共に そこから約20数キロ離れたバトゥー洞窟へと向かいます。

<祭り前日(スリマハマリアマン寺院)>

<KL市内で行われた 前夜祭のパレード>

バトゥー洞窟は19世紀末インド系の有力者によって造られたそうです。

洞窟の手前には高さ42.7メートルムルガ神(戦いの神)の黄金の像が天高くたってます。

黄金像の向こうに高さ100メートル227段の石段があり さらにその奥には石灰岩で出来た吹き抜けの洞窟と寺院があります。

ムルガ神(戦いの神)
 

<普段のバトゥー洞窟>

バトゥー洞窟 19世紀 英国統治下で裕福なインド人が建てた

<いたずら猿が大暴れ>

タイプーサム 聖なる牛乳を頭に乗せ運ぶ信者

祭り当日に限り洞窟内にはヒンドゥー教徒にとって神聖な牛乳が滝のように流れてました。

さらに普段 バトゥー洞窟の石段のところで観光客に いたずらする多くの猿も この日だけは なぜか一匹も見ませんでした。 

この日は全国各地のインド人が なんと80万人も集まったそうです。

<インドの奇祭 タイプーサム 開幕>

<祭り当日 洞窟内部>

タイプーサム 洞窟内部

クジャクの羽 カバディー 神輿
クジャクの羽 カバディー 神輿2

<目次>
1マレーシアに関する基本情報
2マラッカ王国と
ポルトガル統治時代のマラッカ

3マラッカ
~フランススコザビエルに関する話題~

4オランダ統治時代のマラッカ
5タンチェンロックと中国人華僑(マラッカ)
6ハーモニーストリートほか
~マラッカの町の様子

7KL(クアラルンプール)の基本情報
8KLマレーシア独立記念日
9KLインドの奇祭タイプーサム
10KLチャイニーズニューイヤー
11ウミガメの出産(クアラトレンガヌ)
12ペナン島
13ランカウイやイポーとその他の名所