テスト

〃わびさび〃とは日本独特の美意識を表す言葉でその〃わびさび〃を心得た庭園が喜多院(川越)の中の日本庭園でした。
その庭園の灯篭や橋は まるで土の中から生えて来たかのように周りの風景に溶け込んでいました。

さらに11月末には様々な色の絵の具を空中爆発させたかのような鮮やかな紅葉が日本庭園全体に広がるそうです。

さてそんな庭園の奥に遥々遠くからそのままの形で移されて来た手品のような建物がありました。それが白い壁と黒い瓦屋根が特徴の江戸時代のお屋敷でした。 
しかし真っ白の壁は後から増築した建物で白に茶色を帯びた壁のほうが江戸時代に移されたお屋敷だそうです。

今から約380年前(1638年)なんと喜多院は参問を残して全て大火で焼失してしまったそうです。
そのとき肩が脱臼しそうなほど肩を落としてガッカリしていたのが当時 喜多院の住職でもある天海という偉いお坊さんでした。

そして当時 徳川の将軍を務めていたのが3代目 家光でした。
徳川家にとって天海(偉いお坊さん)は家康(初代将軍)から家光(3代目)まで親子3代に渡ってお世話になった恩人でもありました。

そして家光はそのとき江戸城の一部を恩人でもある天海にプレゼントする事にしました。それが今も残る喜多院の中のお屋敷でした。
当時 なんと木製の船を使ってそのお屋敷(木材等の建築素材)を運んだそうです。そしてその約20年後(明暦〃めいれき〃の大火)で今度は江戸(東京)が丸ごと焼けてしまいます。

そのとき江戸城(今の皇居)も天守閣ほか江戸時代初期の ほとんどの物が焼失してしまったそうです。
そして今でも皇居(江戸城)は皇族が住む大事な場所であるため ほとんどの場所が立ち入り禁止となってます。

そのことからも喜多院はとても貴重な場所という事でした。また天海(偉いお坊さん)は栃木県の日光東照宮の建築にも携わったとされています。

日本独特の美意識でもある〃わびさび〃を心得た庭園 (2)
江戸時代わざわざ江戸城(東京)から移されて来たお屋敷
日本独特の美意識でもある〃わびさび〃を心得た庭園 (1)

ーーーーこのあといよいよお屋敷の中に潜入します。

つづきをどうぞ