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関東大震災と東京大空襲により ほとんどの古い建物を失ってしまった東京ですが そんな東京からおよそ30キロ離れたところに江戸時代さながらの建物がそのまま残ってました。
それが埼玉県 川越(かわごえ)の蔵造りの町並みでした。江戸の雰囲気を楽しめるとあって年間 なんと660万人の観光客が川越に訪れるそうです。

川越は海外の旅行ガイドブックにも多く取り上げられ江戸を見たければ川越にお越しくださいと紹介されているそうです。

あの71年前の戦争のときアメリカ軍の空襲により日本各地が焼け野原と化した中 川越は奇跡的にその被害を免れました。
さらに地震大国日本において川越は一度も被災した事がないそうです。そんな奇跡と幸運が重なって川越の古い町並みが残されて来たのでした。

しかしその川越の町並みが造られたのは実は江戸時代ではなく明治に入ってからだったそうです。
明治26年(1893年=123年前)川越で大火災が発生して そのとき川越の商店街は ほとんどが焼失してしまったそうです。

そのあと東京から来た大工職人たちが江戸時代の東京 つまり江戸の町と全く同じ造りの建物を建てたそうです。
そのため川越の町の風景は明治10年に撮影された京橋(東京)の写真に似ているとも言われてます。東京は明治に入っても まだ江戸時代からの建物が多く残っていたみたいでした。

近代では日本人好みの清潔な白壁の住宅が多いようですが川越の蔵は大きな瓦屋根だけでなく壁までもが黒で塗られてました。その色を江戸黒と言うそうです。
当時 白い壁はお武家様など位の高い人の建物に多く使われていました。一方 身分がそれほど高くない商売人が多い川越の町では建物に黒色が多く使われていたのでした。

江戸黒と言われる江戸時代建築の黒い壁
小江戸川越とよく似てるといわれている明治10年の東京京橋の様子 

ーーーこのあと川越のシンボル的存在でもあるあの鐘つき櫓(やぐら)についてです。

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